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北アメリカ車旅97 −6月−



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6月11日(水)

 ついに出発した。  11日午前5時に起き、最後の積み込と確認をして出発!
ビクトリアはくもり模様である。しかし、どこかで雨が降っているのか、見慣れたオリンピック山地に 大きな虹が出ていた。まったく素晴らしい旅立ちである。 7時30分発のシアトル行き「プリンセス・マルガリータ3世」に乗り込む。出国手続きも簡単に 終わり、乗船。あとは、出港を待つだけだ。思えば、いろいろなトラブルに見舞われたが、とうとう こうして出発するのである。ホストマザーをはじめ、いろいろな人に厄介になった。感謝の気持ちで 一杯だ。  出港後は、曇っていることもあり、あまり写真などとらず、椅子に座って寝ていた。ちょっと、 ヨダレが出ていたようなので、いびきもかいていただろうが、周りはみな知らん人である。 たまごっちと戯れていたら、もうシアトル。4時間30分の航海であった。キングドームや、有名な 針タワーが見える。ついにアメリカである。
入国手続きが再びある。ビザなど書類は先にビクトリアで済んでいるのだが、こんどは不審な荷物を 持っていないかなどのチェックであり、犬が走りまわっていた。質問は、「どこ行くの?」「ギフト 品を持ってないね?」の2つだけ。簡単に終わり、さあ上陸である。 今回は、Interstate90のフリーウエィを東にアイダホ目指して進む。 さて、一番はじめにすることは、ガソリンを入れて食料を買わねばならない。何といっても、アメリ カはガソリンが安いので、空にしてきたのだ。アメリカは、距離はマイル、ガソリンはガロン単位で あるから、なんとも理解がしにくい。たまたまあったショッピングモールで食料を買ったあと、隣り のガス屋でいれる。1ガロン1.329ドル。これが10.87ガロンでマンタン。14.45ドル を支払った。1ガロン何リッターかは、今手元に資料が無いのでご容赦を! I90を東に進む。制限速度は、65ー70マイルである。わがゴルフにはマイルメータが付いてい ないので、いちいち制限速度に1.6をかけて計算せねばならない。ま、流れにのって走行車線を 走っていれば問題ないのであるが。 シアトルを出て、ちょっと行ったところで面白いものを見た。道路の白線を引いている作業に出会っ たのである。これが何とオートマチックである。車の両側に線をひくための機械が付いていて、点線 をひくほうは「プシュ!プシュ!」とばかりに白点線を気持ちよく書いてゆく。後続に1台車がつい ていて「ペンキぬりたて」の表示をだしながら注意をうながしている。まあ、なんと合理的なことよ。 町を離れ50kmもいけば、そこは大農場だった。映画でみるような肥料まきのヒコーキが目の前を 通過してゆく。こんな大農場でつくれば、そりゃ安くもできるだろう。まったく、考えさせられる。
今日、泊まる予定にしていたのは、シアトルのあるワシントン州を離れ、東となりのアイダホ州の ホープという田舎町を考えていた。結果的にそこまで、12時20分から19時30分、611Km であった。ところがである!!なんと、キャンプサイトがクローズしていた。これは情報外のことで あり、最初から「つかん」ぶりを発揮した。元来た路を戻り、途中でみかけたキャンプ場のサインを あてに、いまテントをはっている「Sandpointキャンプ場」についた。20時16分、総 走行距離シアトルから丁度650Kmである。(走行データの詳細は、また追ってアップします)  闇に苦労しながら、肉を焼き、ソバを作り食べた。なんとかやっていけそうである。明日は、いよ いよイエローストーン国立公園である。大きな期待を抱きつつ、寝る事にしよう! (後記:1ガロンは約3.785リットルだそうです) 場所        メータ     時刻 シアトル     145976  12時20分 アイダホ州界   146471  17時55分  ホープ      146587  19時33分 サンドポイント  146626  20時16分  (途中、給油、買い物などで64分無走行。)    

6月12日(木)

 今日は雨模様である。困ったもんだ。イエローストーンはこの旅行のハイライトの一つなので、 天候は良くあって欲しいし、もし悪ければ滞在の延長も考える事にしている。 朝、5時30分に起きて、25セントで7分30出るシャワーをあびてから、昨日のあとかたづけ をして7時30分に出発した。雨が降ったりやんだりする中、I90を東へしばらく行けば、モン タナ州である。ここはスピード制限が無いことで知られている。とは言うものの、工事区間やトラッ クには制限が加えられている。しかし、このモンタナ州こそ「アメリカ」ちゅう感じのところだった。
広大な草原、山々、木、どれをとって見ても日本では味わえない光景である。また、ビデオをミスした のでお見せできないが、田舎町に立ち寄れば、まるで西部劇の世界。また訪ねてみたいところである。 ところで、やはり速度無制限のツケか、今日大きな事故を見た。まだ警察が処理をはじめる前であり、 赤い車が完全にひっくり返っていて、そばに赤い血がたくさん流れていた。前に救急車がとまっていた が、多分あれはだめだろう。その光景を見て、もうタイヤマークまで来ていた前輪のタイヤを、急いで 換える事にした。近くの町のタイヤショップに立ち寄り、韓国産のタイヤを2本作業料込み96ドルで やってもらう。やはりアシ周りの変更は偉大だ!見違えるように良く走るようになった。 ここで、奇妙な話しを一つ。今、イエローストーン国立公園のテントのなかでこれを書いていて思いだ したこと。私は、先の事故を前に絶対みている!!それに今気が付いた。ひっくり返った車の横に 置いてあった奇妙なバスケット。なかには一杯服のようなものが入っていた。そのバスケットに見覚え があるのだ。現場では気が付かなかったが...ちょっと今震えがきている... さて、イエローストーン国立公園である。まだ、着いたばかりなので詳細は明日以降に書くが、実に 美しいところだ。入園にはお金が必要である。しかし、アメリカの国立公園を1年間何回でも訪ねる 事ができる「Golden Eagle Pass」を知っていたので、それを買い入園した。 50ドル。それからはもう別世界であった。
ここの詳細は、またにする。ただ今日は米のメシを食べたのでそのスナップを...
場所        メータ     時刻 サンドポイント  145626   7時30分 モンタナ州界   146871   9時28分 ただし、時差のためモンタナ州以降は1時間を ミズーラ     146967  11時00分 加えた時間が現地時間となる。この表では、 イエローストーン 147433  16時52分 次回以降のものに反映する。 キャンプサイト  147505  19時06分  (途中、給油、タイヤ交換、買い物で約130分無走行。)

6月13日(金)

 今日はイエローストーンを1周した。詳細はイエローストーン国立公園のスナップ集を見ていた だくとして、ここでは幾つか感想を書いておく。 朝からくもりではあるが、時折日差しが覗き、まずまずの天気といえる。イエローストーンは、 本によると四国の半分という広さをもっているとのこと。1日で見れるものだろうか?道は、8の字 型になっていて、全部一応簡単に見る事ができるようになっている。8の字とはいっても、ディジ タル表示板の8の字なので、まんなかの1本が余ってしまう。そこの路には見所が少ないということ で、今回は行かなかった。そして、結果的にタワーの滝など横道にそれる部分を含め1周250Km であった。この250Kmがほとんど絶景というのだから、その素晴らしさは想像いただけると 思う。ただ、バンフ−ジャスパー間の高原フリーウェイの時もそうだったが、あまり絶景が続くと 人間は贅沢なもので飽きてしまうのだ。最後の数キロは何も見た覚えが無い。ものすごい土砂降りに 見舞われたということもあるけれど。  この公園の見所へは、基本的に車で行くことができる。ただし、タワーの滝や一部の温泉を見る 為には徒歩も必要だ。特にタワーの滝は、上からみるぶんにはすぐだが、目の前に行こうとすれば かなり急な坂を降りて、帰りは登らねばならない。簡単な山歩きは好きなほうだが、これは疲れた。  今日は、やっぱり13日の金曜日だ!世界で多分一番有名な間欠泉である、Old Faithful Geyser で、15時29分に噴き上げるという情報をみてビデオとカメラを構えて待っていると、とつぜん 10分も早く噴き上がった。その2分ほど前、右3m程のところにいたおねえちゃんが、聞きなれた たまごっちの「遊び」モードの音を立てはじめたので、まず苦笑いをしたあとで、自分も「遊ば」せ はじめた。隣の子供が、「噴いた!」かなんか叫んだので、あわててビデオを構え撮影をした。 30秒ほど撮ってスチールカメラを構えて撮った。さて、そろそろ終わりそうだと再びビデオを 構えると... 撮影になっている。不吉な予感がはしる。きのうも、撮影ボタン操作を確認しな かったばかりに、美しい西部の町並みを採り損ねている。一応、泉の終焉を見届けて確認すると、 やはり... 一瞬、泉が写り(つまりカットしたつもりで、撮影になった)あとは、となりの 子供が泉を見ている姿が...  今、ウエスト・イエローストーンの町のモーテルに泊まっている。ご存じのように、こちらの モーテルはいわゆる連れ込みではなく、簡単に泊まれる車用のホテルだ。ここは、観光地の真ん中 なので、税込み約40ドルと高い。しかし、ここに泊まる事にしたのは、明日またあの間欠泉を 撮影しないことには気が済まないからでもある。さあ、今日はゆっくり寝るとしよう...

6月14日(土)

 今日の晩飯は、ご飯とツナ缶にタマネギとタマゴを炒めたものである。ご飯は、お茶づけにして さらえた。お茶漬け海苔は、友達のミキちゃんの為に英文ワープロを打ってあげたお礼にもらった ものを持ってきたのだ。これは洗い物の時実に重宝するから、どこかでまた手に入れておきたい。 さて、今日は大変実のある一日だった。 まず、昨日ミスった間欠泉の撮影に成功した。そのあと、昨日の段階では行くつもりのなかった 間欠泉群を巡り、これがすばらしかったのと、何匹かの可愛い動物たちにめぐり合えたのが楽し かった。その後、イエローストーンを後にし隣接するグランド・テイトン国立公園へ行った。ここ は、山と湖の絶景地である。何枚写真を撮った事だろうか。山というのは方向が変われば姿も変わ るので、写真を撮るにはやっかいな代物である。 いくら美しいといっても、一日遊んでいるので先を急ぐことにする。予定していた89号線が閉鎖 という看板をみかけて地図を見直していると、後ろから来たおばさんが「189号にのって ケンマーに行きなさい」と教えてくれた。しかし、この189号こそヒットであった。
189号はまさにアメリカだった。ずっと続く牧場のなかを走る。道は先まで見えているが、とん でもない遥かかなたである。そして、丘を越えれば次に見えるのは大平原だ。遠くに雷雨がふって いる。「運命みたいなもんやな」とか独り言を言いながら、雷雨に突入してゆく。と、これがなん と猛吹雪。道は2cmくらい積雪している。もしかすると、こまかいヒョウかも知れない。6月の 天変地異だ。それを抜ければ、またうそのような大平原...
今日は、実に楽しい一日を過ごさせてもらった。感謝感激である。 ところで、今キャンプサイトにいるが、ご注意を少し。蚊が目茶苦茶多い。虫除けスプレーは、 必需品であるからこちらへ来られる際はご用意を! 場所        メータ     時刻 West Yellowstone 147776   9時46分 Old fathful    147827  10時41分  Grand Teton NP 147903  14時08分  ジャクソン    148002  16時45分  ユタ州界     148327  20時56分 Garden City Camp 148371  21時25分 (無走行時間は... たくさんあります...)

6月15日(日)

 あなたは神を信じますか? 日本で背の高い外人が、これまたえらく車高の高い自転車でうろうろしているのを見掛ければ、 それはモルモン教の宣教師であるとみて良い。(ほんまかいな?)私の友人なぞは、高校時代に 電車に乗っているそれらしき人を見つけ、「モルモンや!」とみんなで噂しあったあげく、その ひとは本当にそうだったのかなんと近寄ってきて「Good Morning」と言ってきたの だが、友人はそれに「No!」と答え、さすがのモルモン?も怒って行ってしまったというひどい 経験を持っている。実はその噂しあっていたメンバーのひとりに私も混じっているのではあるが。
さて、今日はグレイトソルト・レイクからどんどん西に走り、できるだけサンフランシスコに近い ところまで行くという計画であった。そのグレイトソルト・レイクのそばにあるのが、モルモン教 の総本山、ソルトレイク・シティである。そこはケント・デリカットでお馴染みのユタ州にある。 この旅行は、スタートからずっと神の意志を感じつつ来ているから、ここでも何か起こるのかいな と思っていたらやっぱり来た。さすがは、ユタ州である。 グレイトソルト・レイクは、これまた本家キリスト教(モルモン教はキリスト教の亜派らしい)の 総本山、エルサレムのそばにある「死海」についで世界第2位に塩分の濃い湖である。周りには 塩の平原が広がり、スピードレースなどが行われてきた。「死海」といえば、体が浮いてしまう ので有名だ。ここもそうかと思い、浮かぶのを楽しみにしていたのである。ところが... まず、日本語のガイドブックによれば、着替えなどができる店がI−80号沿いにたくさんあると 言う事だったので、何も考えず予定のルートであるI−80フリーウェイにソルトレイク・シティ を横目にしながら乗った。ところが何も無い。湖は見えるが湖畔は遠い。近づいて来ても「展望 場所」などといって区切ってあるだけである。一瞬、それらしき看板を見掛けたが、よく読めな かった。ままよとばかりに、近くの出口をでる。湖の方にいけば、たくさん「出店」みたいなのが でとるやろうと、日本の光景を頭に浮かべつつ走るが、そんなものは無い。それどころか、湖が 遠くなってゆく。あわてて地図を見ると、それは湖と平行に走る田舎路であった。戻るより、先に いって次のインターを目指した方がよさそうだ。途中の村でガソリンを入れ、次のインターへと 向かう。また、大平原なので浮かれて見回しながら走っていると、対向車線にパトカーが走って 来ていた。みると「回して」いる... スピードは10kmオーバーくらい。止められるかな と思ったが、注意だけのつもりだったようで何事もなく行ってしまった。あとで「請求書」が来る かも知れない。
話しが横にそれた。さて、次のインターに着きふとEAST、つまりソルトレイク・シティに戻る 方の看板をみると「グレイトソルト・レイク」なんて書いてある。「そこらじゅうグレイトソルト やんけ」といぶかしく思いながら、それにしたがって行くことにした。つまり、道を戻りはじめた のだ。しばらく行くと、さっき良く読めなかった看板にでていた地名の出口が現れた。日本でも 良くある事だが、「どこそこ何キロ」なんて書いてある看板は、直前にくると突然なくなって、 困る事がある。アメリカでもそれは同じようだから第六感を働かせて、「つまり、ここと言うわけ やな」と降りた。しばらく進むと、あった。「グレイトソルト・レイク左」で、左にまがれば... 「Road Closed」なんじゃこりゃ。再び、戻る事にする。さて、そろそろ例のお告げが 頭を巡りはじめた。「神は、行くのをやめとけと言っとるに違いない!しかし、浮きたい!ここは 一つ逆らってみるとするか」そう決断し、また東へ進もうとしたが、今度は降りたところまで帰っ てきても西行きの入り口しかなく、しかも自動的にフリーウェイに入ってしまった。いよいよ、 お告げである。そこを浮きたい一心で、次の出口を降りてまた東行きに乗る。しばらく行くと、 こんどこそ案内板があった。それに従って行くと、なにやら脱衣場らしきものが見えてきた。 しかし、人影はまばらである。駐車場に入って脱衣場にいくと、閉まっている。となりに、トイレ があったのでそこで海パンをはき、ズボンも短いのに換えた。神のお告げが恐いので、車の戸締ま りを入念にし、靴をボロにはき換えいざ湖岸へ出発。水辺は約500mほど浜を歩いた所にある。 ここも、すばらしい景色だ。心配なのは神のお告げだけ。暴漢が襲ってくるのか、などとマジで 心配しつつ湖へと向かう。なにか匂ってきた。阪神間ではお馴染みの「公害のにおい」だ。そう いえば、後ろにはユタ名産の銅の精練場が見えている。ソルトレイク・シティの近くでは重工業 らしきものも見えた。まさかこの湖泳げないの??その、まさかであった。それどころか、水辺に 近づくことすらできなかった。くろい泥に足はずぶずぶと埋まり、そして滑る。周りには、ハエの ような小さな虫がゾッとするほど群れている。やっぱり「やめとけ!」と言われてたのだ。 (おまけに、その湖岸で「たまごっち」がヘビになった...わかりますか?この意味?)
 ま、強盗にもあわず、事故にもあわず、今日はなんと約1200kmを走破して、ここリノの モーテルにいるから、それだけでも感謝せねばなるまいがこの「お告げ」、いよいよ信頼性が 増してきた。モルモン教の総本山で神を感じたのも、偶然ではないのだろうか?  あなたは神を信じますか?? (あ、走行データを入れ忘れている!PCには入っているのでそのうちやりまっさ!)

6月16日(月)

 今日がこの旅行で最悪の日となることを望みたい。 朝、このページをアップデートして、出発しようとしたらエンジンがかからない。オルタネータ は換えたばかりだし、ライトもつくしバッテリー系ではないなとは思いつつも、ちょうどこの モーテルのマスターが車でやってきたので、ジャンプ接続を頼んだ。こういう時の為にケーブル は用意してある。しかし、つないでみてもやはりダメ。こりゃマズイことになった。 BCAAという日本のJAFみたいな物に加入した話しは以前にも書いたが、それを早速使う事に なった。1−800つまり日本の0120の電話番号に電話する。いつものように一苦労だ。 なんせ言っていることはかなりわかるのだが、話すほうはできないのである。オペレータがでる。 「どうしました?」「えんじんガカカラナイアル。ウゴカナイネ、ボクノクルマ」「牽引が必要 ですか?」「タブンネ」「どこにいますか?」「りのノもーてる」「電話番号と住所を言って」 その次がわからなかった。「abcdefg...」「エーート...」「私の言っている事を 理解してますか?」「ゴメン、ワカラナイアル」「うーーん...じゃ、いいです。今日は混ん でいるから1時間くらいかかるかもしれません。」「アリガト」「さよなら」てな具合で、一応 助けが来る事になった。一時間といったが、にいちゃんはすぐ来た。「ワタチじゃんぷすたーと タメシテミタアルケド、ダメネ」とは言ってみたが、彼はも一度試してみた。やっぱり駄目。 「フューエルポンプのヒューズかもな。」ときたが、なんせセルモーターがうんともスンとも 言わないのに、そんなん関係あるんかいな?彼は、そのヒューズもチェックして、それから 「牽引車を呼ぶよ。30分くらいでくるから待ってな!」と言い残して、帰っていった。 それから、昨日の夜間走行で虫が嫌というほど付いたフロントガラスとフロントグリル、ヘッド ライトなどを掃除していると、牽引車がやってきた。彼らはまた、ジャンプスタートを試そうと する。あかん言うてるやろが!!それから、いろいろいじったあげく「よし、引っ張ろう!」 持っていく先は、すぐ近くに見えるガソリンスタンド横の修理ガレージ。混んでいるように見え たが、すぐ作業に入ってくれた。しかし、なかなか原因がわからない。車を上げているので、 私もシャーシ周りをチェックしたが、思ったより痛んでいる。エギゾースト系はかなりサビて いるし、ラジエータ付近からほんの少し漏れが感じられる。不凍液の入れ物を良くチェックしな がら走らないといけないようだ。  さて、若いニーチャンでは難しかったようで、ちょっとマンガちっくなオッチャンが助っ人に やってきた。彼はすぐ原因を見つけた。「セルモーターのケーブルが根本からきれてるね。壊れ てるから交換だね。」「ジカンハ、ドノクライカカルアルカ?」「10日だね」「10ニチ!」 彼はそう言ってから、部品屋に電話をしはじめたようだ。「部品があったから、今日中になおる よ。でも工賃込みで405ドルかかるけど良い?」「ヤッテチョーダイ!」 あらま、もう修理予算として考えていた500ドルが飛んでいってしまった。わずか5日にして。  この修理工場の隣りには、リノらしくカジノがある。今日中に直ると聞いて、ふと行ってみる ことにした。あまり金を使わないように、25セントのスロットマシンをやる。ここで一発 田端義男のように当てれば、修理代なんてふっとぶじゃないかと、気分はもうバタヤンである。 ま、結果は書きたくもないが、いつものようにスッた。それも、気が付いてみれば80ドル。 キャンプしながら貧乏旅行(実際もう日本の口座にはほとんど無い)してるというのに、何事 だろうか?キャンプ場ならほぼ1週間泊まれる額である。カジノちゅうのは、こんなもんや さかいしょうがありまへんわな。  修理工場に帰ってみると、修理は完了していた。金を払い、世界でも有数の澄んだ湖「レイク・ タホ」に向かう。もちろんキャンプで経費を節約するためだが、今日は特にその気持ちが強い。 本当は今日、前の会社の先輩とサンフランシスコで会う予定だった。ご自宅に電話し、奥さんに 事情の報告、明日訪問することに変えてもらった。日本語で話すと安心する。 レイク・タホへの途中、セブンイレブンを見掛けたので今日の晩飯を簡単に仕入れることにした。 ご飯もあるし、タマネギもある。ただ、今朝の騒動でクーラーボックスをメンテしていないので、 きっと卵なんかは駄目になっているだろうから、買う事にした。それらを買って氷をクーラーに つめ、さあ出発!と、またエンジンがかからない。さあ、困った。ここは、山のなかである。 電話があるので、先の修理工場に電話する。「サッキノダイスケデチュケド、マタオンナジコト ガオキタアル」「誰か行けると思うから、ちょっと待ってね」ほっとする。しかし、この待って が曲者であった。ただ、別のたぶんトレーラーかなんかの部署に電話を転送しただけだった。 「今日はもう閉めたから、明日の朝でんわしてね」「ハイ、ワカッタアル...」なんか言おう にも、言葉が出てこない。しかたがないので、AAAに電話して来てもらう事にした。リノまで は約80Km、160kmまで牽引OKの会員になっていて良かったと思う。今朝と同じ様な やりとりではあったが、今度の人はまるで私の言葉を理解してくれない。もう、こうなったら アルファベットを言いまくってやれとばかりに言っているうち、「30分程でつくからね」と 言ってもらえた。また、ほっとする。牽引の車が来るまで、サンフランシスコの先輩と電話。 明日の事などを話しておく。電話が終わってまもなく、AAAの牽引車がやってきた。事情を 説明する。キーを回して...プスプス...ブルル!!かかった!なぜかセルモーターが まわったのである。AAAのおっちゃんに「アンタノぱわーデナオッタアルヨ」といったら、 大笑いしながら、「新品にはこういう事があるから、また直した所へ行ってみてもらうべきだ よ」と言ってくれた。エンジンを切るとどうなるかわからないから、そのままでAAAの人に 別れをつげ、リノに戻る。修理工場はすでに閉まっていた。そこで、今日朝親切にしてくれた モーテルで泊まる事にする。明日は、ここのモーテル代くらい取り返さないと気が済まない。 どうなる事かお楽しみである。    ところで、今まで2泊モーテルで過ごしてきたが、チップを置くのを忘れていた。モーテル と言えども、ちゃんと掃除してあるし、やはり置かねばなるまい。この故障も、メイドさんの タタリかもしれん... そんな事はないか!!

6月17日(火)

 今日は激動の一日であった。 まず朝、どうもセルモータが走行中にエンジンの熱で加熱されると、問題が出て動かないのでは という目星を立てて、修理工場に持っていく前、20分ほどリノのハイウエィを走る。朝の始動 は一発でOKだったから、この推察は間違いないところだろう。そして修理屋へ。 状況を説明すると、マンガのオッチャンが自ら修理に当たってくれた。修理屋でセルモータは、 見事回らなかったのである。ドイツ車の部品は、我が町ビクトリアでは腐るほど走っているので 簡単に手に入るようだったが、ここではそうは行かぬらしく、何軒もあたって換えのセルモータ を探してくれているようだ。修理の間、また隣のカジノに行くことにした。昨日80ドルすって いるので、今日は70ドルくらいは憂さ晴らしに良いだろうと勝手に決めてスロットマシンを 動かし始めた。今日は本当にさっぱりである。あっという間に60ドルほどスッた。もうそろそ ろ止めないとマズイと思いはじめたその時、自分のマシンのブザーが高らかに鳴ったのである。 みると、ラッキー賞をあらわす柄が2つと、あとひとつが7で止まっている。これは、1800 倍の当たりであり、その時25セントを2枚賭けていたから、計900ドル!!の大当たりで あった。係員がやってきて状況を確認し、今度は支配人か店長らしき人と現れ、みんなの目の 前で現生を数えて900ドルを手にした。大ラッキー!これで修理代がでる!!  さて、ここはアメリカである。みんながあんな当たりと現金を目にしたのだから、何をされる かわからない。900ドルを受け取ると、早速カジノを出て、何食わぬ顔で車に戻り、後部座席 のドアを開けて、普段から雑用品をいれているボックスに、雑多なものとして入れておいた。 やがて車はリフトアップされたので、しばらく触れる人は誰もいない。  時間はまだまだあるので、カジノに戻る。さすがに900ドルを全部スルことは無いと思うが、 こういう物は恐いからなんせ小額をせこくやる事にした。しかし、今朝に輪をかけて当たらない。 あっという間に100ドルほどスッてしまった。また、ガレージに戻ってみたが、やっと部品が 届いたから今日には出発できるよという返事をもらったのみ。昼飯でも食うとするか。 こういう高額当選の時は、豪華なランチをと思いそうなものだが、食べたのはバーガーキング。 それも少し張り込んでダブルチーズみたいなのにした程度。我ながらせこい。しかし、この当た りは、旅行の援助金であると確信しているので、食う方には使いたく無いのだ。どうせ、味には こだわりが無いことでもあるし。  昼飯から帰ってまたスロットをはじめると、これまた全然当たらないので、こりゃアカンわ! と、店の反対側を探検にいくと...なんと、掛け金5セントの物があるではないか!時間を つぶすにはもってこいのスロットである。もう少し早く見つけていれば、今日の150ドルの 負けは70ドルくらいで済んでいたのにと悔やまれる。
 車は直った。マンガのオッチャンの雄姿を撮影し、一応テストに10km程走って帰ってきて オッチャンの目の前でテスト。「ぶるん!」一発でOK。良かった良かった!! オッチャンに別れを告げ、カジノの土産もの屋で記念品を買い、サンフランシスコ目指して走り はじめた。快調である。今日は前の会社の先輩の家に泊めていただくことになっているので、 レイク・タホはパスである。丁度、そのレイク・タホに行くための出口手前くらいだった。 突然バッテリー警告灯が点灯した。「あ、あのオッサン、オルタネータ繋ぎ忘れたな!」他の 事態も考えられるので、またしてもレイク・タホ行きの出口を降り、再びリノ目指して帰る。 バッテリーは、マンガのオッチャンが充電していてくれたので、修理工場まで持つと思うが、 念のためステレオ、不要な照明などを消し走行する。 ガレージに帰ると、既にオッチャンは帰っており、顔見知りのメカニックの人が「明日来てく れよ!その車に何時間割いてると思ってるんだ!」みたいな事を言われたが、そういう訳には いかない。こちらにも予定がある。彼は残業をして、車の整備中だったので、自分がチェック してみる事にした。ボンネットを開けて...オルタネー...なんじゃこりゃ!外れとるやん け!! オルタネータは見事に外れていた。上部を支えるボルトが飛んでいる。こんな馬鹿な現象が、 自然発生するわけはなく、誰かが絞め忘れたに違いない。幸いベルトは切れずに残っていた から、ボルトさえあれば直る。彼に頼む事にした。彼はブーブー言いながらも、ちゃんとボルト を見つけてくれて締めてくれたが、なんと工賃を請求してきた。部品込みで20ドルちょっと だという。金を払うところで、いろいろ言ったがマネージャでなければ決済できぬので、明日 来いの一点張り。ま、カジノで勝った事だし、部品が悪かったのも彼らのせいではないわけで、 私はただの疫病神みたいなものやから、ここは折れて払う事にした。
 今度は快調にサンフランシスコを目指している。ちょっと、ガソリンを足しておこうかと、 とあるインターを降りたとき、典型的ラテン系の太ったおばちゃんが「パンクしたので、修理 のできるガソリンスタンドまで連れていってくれない?」と大声で言ってきた。自分がその 状況になったことを考えると、やはりウンと言ってしまう。おばちゃんは、旦那をゆびさし 「あの愚か者が...」とかなんとかまくしたてている。それどころか、ほっぺたに3度ほど パンチを御見舞いしていた。旦那さんかわいそうである。我が車はいろいろな荷物で一杯であ るから、2人乗せるのはキツイ。おまけにタイヤまで持っている。「ダンナサン、ノルノ?」 と聞いたらおばちゃんは「そうよ、このゴミもよ!」と言った。何がそんなに愚か者なのか わからないが、だんなさんはいたって静か。まさに「敷物」状態である。車の中でも喧嘩して いるので、「ケンカ、ヤメテ!」とか言ってから、カーペンターズのテープをかけておく事に した。音楽がなると、おばちゃんも静かになった。やはりラゴン系...じゃなかった、ラテ ン系である。この2人は30km程先のガス屋で降ろし、また西へと向かう。  先輩には本当に悪い事をしている。はじめは5時に待ち合わせのはずが、これはどう見ても 10時である。あせりはミスを生む。まずはI−580という間違った路に入ってしまい、 こりゃあかんとすぐ降りて引き換えそうにも入り口が閉鎖されていて無いという事態。それも 犯罪で有名なオークランドである。心臓が縮む。なんとか入り口を見つけてサンフランシスコ に突入。ベイブリッジからの夜景は、過去見た中で最高の夜景だと思う。ぼーっとしていたら、 また間違えた。101の南線へ行くところを北線の案内に従って降りてしまったのだ。そこが また危なそうな所...ヒヤヒヤしながら、本当の道を見つけ、10時30分をまわってから 先輩と落ち合う事が出来た。 あぁ、きょうは本当に長い一日だった。 (この日記も長かった...)

6月18日(水)

 昨日は、すったもんだのすえ前の会社の先輩宅に滑り込み、別嬪さんの奥さんの手料理と やはり自家製のケーキなどをごちそうになった。夜も更けているというのに、旨いものを出し ていただくとペロリと食べてしまう。余談ではあるが、私の前の会社の人の奥さんという人 には別嬪さんが多い。あの会社にいれば、私にも別嬪さんが来たかなと思うと、辞めた事を ちょっと後悔するのである... そんなん来るわけないがな! さて、この家には王様がいる。健太くんだ。 1才半ということだが、ご覧のように実に かわいい。朝起きてきて、私を発見し、 この写真をとった頃はまだ不思議そうな顔を していたが、そのうち熊かなにかであると 判断したのか、機嫌良く遊んでもらえた。 先輩の家を出るとき、お茶漬海苔をはじめ いろいろな物をいただいた。失礼な事に、 こちらは身ひとつだったので、今度ビクト リアに帰ったら、健太くんの為に1曲作る事に させてもらう。2ー3分のクラシック音楽を 考えている。 子供はすぐに大きくなる。こんど会うときは どんなふうだろう。とても楽しみである。 ご家族に別れを告げ、サンフランシスコのダウンタウンに向かう。目的はずばりケーブル カー。先輩に教えてもらったとおり探すと、見つける事ができた。それにしても、良く こんな坂道ばかりの所に大きな町を作ったもんだ。Hillと呼ばれている所など、私が 車を運転していて経験したもっとも急角度の坂だった。こんなところで、マニュアルの車 持っている人がいるとすれば、よほど忍耐強いひとだと思う。また、話しがそれた。 まあ、私としてはオノボリサン気分で、ケーブルカーが見られてうれしかったと言うくらい の事しか書きようもないが。 そのあとは、ゴールデンゲートブリッジだ。これも良いビューポイントを教えてもらった ので、絶景に接する事ができた。やはり、世界的に有名なものは期待を外さないものだ。 (これらのスナップは、サンフランシスコのスナップ集でお楽しみを!) その後、ヨセミテ国立公園に向かう。その途中で、風力発電所に出会う。日本にも風の 強い所はあるのだから、こういう物をやればよいと思うのだが。
ヨセミテ国立公園に着いたのはもう6時半を過ぎていた。ここで大きなミスをやらかす。 先に風景を見にいったのだ。なんせ、ガイドブックによると、この国立公園のなかにはキャンプ 場が一杯あるから安心していたのだ。素晴らしい景色を見て感激して、さて泊まるところを 探しはじめたがこれが全然無い!ほかのキャンプサイトをと思い行ってみるが、クローズばかり。 これには困った。時間が10時を回った頃、完全にあきらめて、たくさんの見逃した絶景に 後ろ髪をひかれつつヨセミテを後にした。それから110km程走ってモーテルのある町 Bishopにたどり着いたら、もう2時をまわっていた。まだ人がいるモーテルを見つけて チェックインし、一日のデータを記録した後、眠りについた。明日は、デスバレーから グランドキャニオンに向かう。

6月19日(木)

 私の数ある弱点のなかで、一番大きな弱点、それは暑さに弱いことである。 今日旅したデスバレー(死の谷)は、世界でも有数の暑いところとして知られている。つまり、 わたしなんぞの行くところでは無いのである。だが、旅というのはそうしたもので、途中に 変わったものがあれば寄りたくなる。そういった興味本意で訪ねてみた。 一言、暑かった!こんな所には居たくない。ま、いろいろ絶景があったので許して?は やるが... 本当に逃げるように立ち去った。あとで、ガイドブックを見るとなかなか 面白そうなところもあったようだが、今考えて見てもゴメンである。 デスバレー国定公園を後にして、またカジノの州ネバダそれもラスベガスを通るルートで アリゾナへと向かう。もう一儲けといきたいところだが、また故障でもしない限り寄る つもりはない。
ところで上の光景は、昨晩泊まったビショップの町とその近辺である。なかなかきれいな所 だった。アメリカは都会のイメージが強いが、ふと立ち寄る田舎はどこも大抵美しい。 この、アリゾナへ向かう途中にみた夕焼けの山と月もそうだ。何しろきれいな景色が随所に 現れる。かとおもえば、なんか映画でみたことのあるような景色もあちこちだ。
こんな風景の中を走りに走って、グランドキャニオンの玄関口、フラッグスタッフに到着 した。モーテルにチェックインする。これが安い。税込み26.95ドル。ここ数日、 キャンプをしていない。モーテルの便利さに取り付かれてしまったようだ。ちょっと、金は かかるがなんせ安心である。セットアップ・ダウンの手間も無い。この編集も送信もできる。 この先しばらくは南部を行くこともあり、モーテル暮らしが基本になるだろう。キャンプは 設備と治安の良いカナダに帰ってからたっぷり楽しもうと思う。

6月20日(金)

 ホヨンジキ、キヨッソという言葉がある。 正確な発音や表記がよくわからないが、韓国の人が大自然の神秘に触れた時に発する言葉で ある。たとえば、カナダはモレーン湖なんかはまさに「ホヨンジキ、キョッソ」である。 今日、まさにこの言葉がぴったりな場所に2箇所も行ってきた。 一つ目はおなじみのグランドキャニオンである。これは、ほんとうに凄い!あんなごっつい ものだとは思っていなかった。いろいろな写真で見慣れた風景であるから、感動も薄いかと いえばそうじゃない。ここで書くような話しではないが阪神大震災の時、私は千葉に住んで いた。朝のワイドショーで地震を知り、会社のご好意もあって即日実家のある芦屋へと向か うことができた。翌日ひる頃現地入りしたが、それまで携帯用も含めテレビでいやという程 見ていた現地の様子と実際の惨状とのギャップに驚いたものである。たとえは悪いが、ここ グランドキャニオンもそれと全く同じものを感じる事ができる。 あまりに大きいので、またいつもの病気「飽き」が来る事はしょうがないが、どのポイント からでも良いから、初めてこの大峡谷を見れば誰でも身震いを感じると思う。私の前でビデ オを撮っていたフランス人らしい男性は、同じ方向にカメラを向けたまま3分くらいじっと 動かなかった。彼の居た場所が、一番よい場所だったので、私も含め数人が彼の撮りおわる のを待っていて、おたがい顔を見合わせて苦笑した程である。とにかく、凄い所だ。  さて、グランドキャニオンを後にして、次はモニュメント・バレーへと向かう。そこは、 あのジョン・フォード監督ジョン・ウェイン主演の「駅馬車」の有名なシーンがとられた 場所である。モニュメント・バレーへの道々もなんとも西部劇風で良い。思わず歌集を取り 出して、「遥かなる山の呼び声(シェーン)」「大いなる西部」などの名曲を大声で歌い ながら走った。グランドキャニオンから260km程の所に、モニュメント・バレーはある。 丁度お日さまが西に沈みつつある7時過ぎ、モニュメント・バレーに到着した。あたりは、 いちめん「駅馬車」風の景色。あれがあの映画にでた山かいな?などとつぶやきながら走っ てきたが、結局最後にたどりついた売店などもあるポイントから見える山々がそれであった。 夕日を浴びてとても美しい。またしても「ホヨンジキ」とつぶやこうとしたその時、前に居た 白人夫婦に「ハーィ」と挨拶したら、「コンバンワ」などと日本語が返ってきた。旦那さん が、日本語の挨拶言葉を知っているらしい。それから先は英語で「今日は満月で、ちょうど あの山の麓から月が出てくるんだ。もう10分もすれば出てくるよ」と教えてくれた。 この景色に月は良く似合うだろう。早速車から三脚を持ってきて、そういう写真を撮るような 体制を作り待った。月はゆっくりと顔をだした。はじめは薄く光り、そして少しずつ黄色い 輝きを増していった。これまた「ホヨンジキ」を感じずにはおれなかった。 明日は出来るだけ遠くまで走ろうと思う。できればランディー・バースで有名なオクラホマ まで行ってやるつもりである。がんばらねば! それにしても、今日泊まっているユタ州ブルッフのモーテルは高い。税込み47ドル91セン トもした。それでいてバスタブもない。キレイなことだけが取り柄。周りは観光地らしいから、 しょうがないかとあきらめて、さて伝票の整理も終わったし寝る事にしよう。

6月21日(土)

 いうまでも無い事だが、今アメリカを旅している。 今日からただ走り通しといったスケジュールになったから、この日記のネタも減ると思いきや、そんな ことは無くどんどんいろいろな話しがでてくる。 まず、交通規則のお話し。北海道ほど愚かでは無いにしろ、 こちらも速度制限はある。私が旅しているなかでは、今日 走ったあたりがうっとおしかった。アリゾナ州は道も良い のに55マイル(約90km)のところが多い。当然の ようにみんな守ってはいない。この車が高性能化している 今、この速度制限というものにもう少し注目をしてみたら どうだろうか?ただ制限をするということは、人間にフラ ストレーションを与える。事故にはこのフラストレーショ ンが一番悪いと思うのだがいかがなものか。 一つ、アメリカの良いところは、追い越し禁止のところが 極めて妥当である事。これなら、皆守ろうとするしフラス トレーションも溜まらない。ところが、日本の道を思い 出すと、黄色いペンキが余っているのかと思うほど追い 越し禁止が多い。それで、町中で追い越し可なんてことも ある。 これでは、事故をしてくださいと言っているようなものだ。 なんでも、画一にやりたがるのはわかるが、追い越し禁止についてはもっと細かく指定して欲しい。 「市内全面駐車禁止」という大馬鹿な規制もしかりである。 次に反省のお話し。昨日の晩にたどり着いたモーテルの駐車場で、トランクを開けてみると何か匂う。 クーラーボックスの中の肉が駄目になってたのだ。かといって今すぐ捨てられる所も無く、袋に包んで やはり駄目になった卵と一緒に近くの木陰に置いておいた。さて翌朝、袋を持って行こうとすると、 なんと肉がきれいさっぱり無くなっている!「そうや、ここはアメリカはユタ州や!」今更のように 思い出した。なにが食っていったものか、あれだけ匂っていたらなんでも来るだろう。モーテルと言う ことで何も考えずに置いたが、これでクーガーなんかが来ていて人が死んだりした日には、なんと あやまれば良かった事か。それだけではなく、これで餌付けでもしてしまったら...ゾッとしつつ、 まだ卵がはいっていた袋をもって車に乗り込んだ。何事もなければ良いが... 続いては観光名所のお話し。 今日走った道の途中に、アメリカでたった一つ州の 境界が4つクロスしている点という所があった。 こんなところはアメリカ人しか興味ないやろなと 思いつつ、こういう所に行く日本人も少ないだろう と行ってみる事にした。アリゾナ、ニューメキシコ、 コロラド、ユタの各州が交差しているその場所は、 なんと入場料1ドル50セントをとられる。 インディアンらしき人々が土産物や揚げパンを売っ ていたりする。ここでTシャツを買った。 帰るまでに何枚Tシャツを買う事だろうか? それはさておき、ともかく、ちょっとアメリカ人に なった気がした。 最後に地平線のお話し。アメリカをかれこれ7千Km程旅 してきたが、あまり地平線というものにはお目にかからな かった。関東平野くらいのものなら何度も目にしたが。 しかし、テキサスは違う。 ここは本物の地平線がずっと続く。もし、地平線を見に アメリカに来るなら、テキサスの北部、I−40号沿いに は少なくとも前面270度くらい地平線というところが ある。後ろ90度は見てないけれど壮観である。 これぞ大陸!という所だ。 結局、今日は一生懸命走ったが1000km止まり。オクラホマは明日になった。バースのふるさとは どんなところかと、今から楽しみである。

6月22日(日)

 朝起きたら時間が1時間くるっていた。 おとといの朝、アリゾナがサマータイムを使っていないのを知らず(たぶんです。それしか考えられ ない)、寝坊して11時チェックアウトに間に合わないとフロントに言って、12時にチェックアウト しようとしたら、「まだ11時ですから超過はいりません」と言われて唖然としたものである。 ところが今日は9時に出ようとしたら、フロントの時計は10時。私の腕時計はなぜか8時。もう、 メチャクチャである。今日は昨日の遅れを挽回するために思い切り走る予定だったので、これは痛い。 しかし、いつものように寄り道をすることになった。 オクラホマといえば映画が浮かぶ人も多いだろうが、私にとってみればやはり「ランディー・バース」 である。オクラホマに入って彼の偉大な活躍と、解雇した村山の馬鹿さ、最近のさんまのスポーツ番組 での活躍などを思いいかべつつ走っていたその時、ふと思い付いた。「あいつの生まれはどこやった かいな...」記憶の糸をたどり、ロートン校出身ではなかったかと思い出し、地図の索引をみる。 「L...Lawton!」いきなりあった!さて、場所は...なんと、今走っているところから 南にくだれば行けるではないか!おまけに別に回り道でもない。すぐに良い出口を見つけて、南下する ことにした。 ロートンは割と大きな町である。昔風の建物が立ち並び、美しいところだ。しかし、町をほんの5km もは離れれば、もう大草原である。さっそく「Lawton」と名前の入ったTシャツを買い、その 売り子の女の子に「らんでぃ・ばーすッテ、シッテルアルカ?ニホンデユウメイナ、べーすぼーる・ ぷれいやー」と聞いたけど、知らないという。まあ彼が活躍したのは、もう10年も前の事。女の子は まだ20才くらいに見えたから、しらんでもシャーナイ。野球用品かなんか扱ってるところは無いかと 探したが無く、他の人には聞かなかった。もしかしたら、記憶違いで全然関係の無い町かもしれない。 ところで、そのTシャツを買った店に「たまごっち」が並べてあった。バースの田舎でたまごっち! 恐るべき時代である。
さて、それから北西部でお馴染みだった大雷雨に久々にあい、西部にわかれを告げた事をしる。この 雷雨はしつこかった。時間が無いのに、減速して注意しながら走行する。雨を抜けると、ダラスの町が 見えてきた。ケネディー暗殺の町であるから寄ってもみたかったが、なんせ今日はヒューストンまで 走ることにしているので寄る事はできない。夜道をひたすら南下すると、どえらく暑くなってきた。 周りも賑やかになってくる。南国の町、ヒューストンが近づいて来たのだ。とうとう明日は、大西洋の 一部とも言えるメキシコ湾を見る事になる。

6月23日(月)

ほんの少しずつ海へ近づいて来た。あの灼熱の西部から。 とうとうメキシコ湾へやってきた。本当に長かったけれど、しかしまだ旅は3分の1である。
それを裏付けるかのように、今日はいろいろな所を巡ってきた。まず、ヒューストンといえばNASA。 これがなかなかわからない。宇宙センターを見つけて入ろうとすれば立入禁止。ちゃんと調べた上で 旅をしないからこういう事になる。ま、これもまた楽しだ。結局、見つけられたのはあのチャレンジャー の事故を偲んで造られたメモリアルパークだけ。
ここはとても地球は良いところですと語りかけてくるような良さがある。ちかくのおばさんらしき人が 子供を連れて来ていた。アメリカというところは、本当に妙な魅力がある国だ。町からちょっと離れた だけで、静けさの中、自然を楽しむ事ができる。ところが裏側は銃世界。考えさせられる。 ヒューストンを離れれば、続いてルイジアナ、ミシシッピ、アラバマと「おおスザンナ」の逆を車で 走る。トム・ソーヤーを読んで以来、ミシシッピ川を見る事もひとつの夢だった。 路が良くないルイジアナを走ってゆくと、いきなりずっと続く橋にでる。看板には、なんとか川とか なんとか湖などと書いてあるが、地図をみるとそれらはミシシッピの支流の河口付近の姿だとわかる。 とにかく延々と湿地帯のように湖や川の上を走ったあと、鉄橋が現れる。ミシシッピ川だ。
思ったより広い川ではなかった。もちろん流域総加算距離では世界一の長さといわれるだけあり、 先に書いた湿地帯の広さは凄いものがあるが、本川は淀川よりたいしたことはない。それに、橋の 上が渋滞していたので、いつものように原因を探していたら、ここは首都高速の箱崎なみに愚かな 構造になっていて渋滞しない方がおかしいのだった。いつも首都高速を走るたび、これを作った奴は 出会いしだい指をさして大笑いしてやるといきまいている私だが、こういうのを見ると何人笑えば 済むのかわからなくなる。 話しがそれた。結局、今日はアラバマまでたどり着いた。途中、すさまじい雷が夜の空をてらし 続けていた。その見事さは、今までみたどんな花火より凄かった。ふと標識をみると、フランクリン なんとかと書いてあった。まるで、時間が遠くさかのぼったような気がした。

6月24日(火)

 運、不運というのはバイオリズムのような物なのか? 大体、昨日泊まったモーテルが凄かった。外からの鍵がかからない。中からは、鎖ともうひとつの 鍵でなんとかなったけれど、それにしても凄いモーテルだった。掛け布団がシーツに薄いベッド カバーだけというのも凄い。電球も3つあるうち1つしかつかなかった。まあ、土砂降りの中、 なんとか見つかったモーテルなので文句も言えないといえばそうであるけれど、凄かった。 朝、チップを50セントだけおいて、その部屋の様子をビデオ撮影してから出かけた。 さて、いつものように、車からの光景を撮影しようとしたら、ビデオカメラがウンともスンとも 動かない。さっきはちゃんと動いていたのにである。最悪な事に、ファインダーに白い画面が現れ る。これはつまり、完全に壊れたということだろう。ちなみにテープもロード出来なくなった。 さあ、困った!このページの「売り」は映像にあると自負している。今後それが載せられないのだ。 これは、もうしかたが無い。こういう旅行を何度もできるわけでは無いので、500ドルくらいの 予算で買う事にする。場所は、観光地ではなく普通の町にしよう。そのためには、もうフロリダに 入っているから、早めに買わないといけない。フロリダ南部は、どこもかしこも観光地である。 さて、そうこうするうちに、今度はエンジンが重くなった。丁度、ビクトリアから1万キロだ。 オイルを足し足しごまかして来たが、もう限界だろう。町を見つけたので道を降りることにする。 いろいろな修理屋が見えるなか、ひとつを選んで入った。タイヤローテション込み19.9ドルと 書いてあるけれど、中で見ると39.9ドルの分はかなり綿密にエンジン周りをトリートメント してくれるみたいなのでそれを選ぶ。メカのにいちゃんが何か言っているが、これが良くわから ない。ところが今にして思えば、書いてくれなど言えたものを、なぜかこの日は適当にごまかして 「先ヤッテチョウダイ!」と、言ってしまった。何か悪い所でも見つけたのではなかったか? そうしているうち、見たところオイル交換と何種類かの洗浄剤を入れただけで、39.9ドルは 終わってしまった。何か釈然としないものが残るが、今日は文句つける元気がない。体力的には 何ともないのだが、そういう日もあるものだ。なんせ、ビデオが...そして、この町にはビデオ カメラを扱っていそうな店は見つからなかった。  フロリダを南下していると、他の州よりかなり多くの看板広告がいたるところに出ている。その 広告の中に大規模モールのものを見つけたので、行ってみる事にした。なんせ、パンツを切らして いるのに、今日洗濯ができなかったのでピンチなのである。それとビデオも見ておきたい。 到着したモールは、かなり大きな物だった。パンツを先に探すべきなのに、好き物の弱点か、 ビデオカメラを探しに行ってしまう。何軒かで見つけたが、いずれも高い。日本で買う事を考えた らアホらしくてとても買えない。今まで使ってきたのが、ハイエイトのカメラだったので、互換も 考えハイエイトを探したが、みな1000ドル以上と手が届かない。こうなりゃ、安物で間にあわ せるしかないと、いつもやる手である「店頭品探し」をはじめた。税込み524ドルで、ソニーの 物が処分品として出ている。これは、シャープのビューカムのように、画像を見ながら撮影できる ものなので、それを手にいれる事にした。こう書くと簡単だが、実に2時間もウロウロしていたの だ。カードで支払いを済ませたのは全館閉店直前。パンツは...買えなかった。 もう、9時をまわってしまった。これ以上南下することは難しいから、ここに泊まる事にする。 モーテルを見つけて、まず聞いたこと。「こいんらんどりーハ、アルカ?」「あるよ!」本日、 初めてといって良いくらいのラッキーであった。その「6」というモーテルは、各地にあるので 今後利用してあげようと思う。  さて、つかない話しをしていても面白くないので、ちょっとよい話しを。今日の走行中に、 「スワニー川」を渡った。フォスターの名曲「故郷の人々」のあの川である。「スワニー川」を 示す看板に、なんと楽譜がついていた。うまいアイデアではないか。こういう一寸した工夫には、 大きなあこがれを感じる。画一文化の日本にも、こういう自由さがあればもっとよい国になるのに と思った。様は、ドライバーが一瞬でも気がなごむような工夫こそ、事故軽減への近道なのだと 思うわけである。国道19号線には「いねむり防止装置」というケッサクな仕掛けがある。馬鹿 ばかしいから詳細は書かないが、ああいう物を取り付けるくらいだったら、もっと人間の脳味噌に 反応するものを考えるほうが良いのではないか?思わずニヤッとするものや、本能を刺激... したら、今度はわき見運転になるわなぁ。ともかく、ちょっとした工夫。これは日本の路にも 望みたい。

6月25日(水)

「ここより先3マイル、パンサーが渡ります。注意!」
こんな看板が出ている所を走ってきた。近くには「エアボートでワニを見よう!」みたいな広告 看板もでている。フロリダ最南部とはそういう所だ。来た目的はただ一つ。長い橋を渡る事。 タバコのコマーシャルや、その他映画なんかでも見掛けたような気がする、海の中を走る長い橋が ここフロリダ最南部にあると聞いてやってきたのである。なんと、出だしから最後にたどりつく町 キーウエストまで100kmもあるという壮大な話しなのだ。それが全部橋だとは信じてはいない けれど、あの映像をみるかぎりかなり長いようだ。アメリカ人はとんでもない事をやるものだ。
さて、橋にやってきた。これははっきり言っていまいちである。ほとんどが陸地。たくさんのキー と呼ばれる島を、橋が繋いでいる。中には、コマーシャルに登場したらしい長い橋もあったが、 あれはやはり空から見てこそ華のようだ。コンクリートの上を走ってるだけ... ただし、この橋から私は初めて大西洋をみたのである。 今まで、日本でもカナダでも、海の向こうにはアメリカがあった。ところが、大西洋の向こうには 「アフリカ」があるのだ!アフリカ...なんと遠い響きだことか! そうしてたくさんの橋を渡りきると、キーウエストという町につく。 ここは、アメリカ・メインランドの最南端である。 (島ではあるが、まあそういう事にしときましょ) もっと、さびれた所を想像していたが、とんでも ない。たくさんの観光客が、群れあふれ楽しんで いる。 ちょうど夕日が落ちる時間、もちろん夕日好きの 私はそれも狙ってきたのであるが、みんな海辺に 集まって酒を呑みながら日没を待つ。 私も、ちょっとだけのつもりで、ピナコラーダを 注文した。これがすきっ腹にこたえて、ただでさえ 震えている手が、ぶるぶると震えて撮影に困った。 結局、3分の1ほど飲んで、やめた。帰りも運転 するのだから当然である。
と、いうわけでこの夕日である。お金持ちたちはヨットを持ち出し、めいめい楽しむ。 こちらは、その影を肴に写真をとるわけだ。やはり、海に沈む夕日は良い。何か、敬虔 なものを感じる。そして、あらためて、ここはこの旅でビクトリアから最も遠い所なの だと知る。 さて、明日は北へと走る。どこまで行けるものか、できるだけ行きたいものである。

6月26日(木)

 予定と言うものは変えて良いものなのだろうか? 今日は、できるだけ北に走る事にしていた。だからこそ、「フロリダ・ターンパイク」という 箱根にあるのと同じ様な名前で、しかも山が無いから走り屋には不向きな道を選んだのである。 この道をしばらく行くと、めずらしや、料金所があった。前オクラホマで一度1ドルをとられた ことがある。今度は75セントだった。箱根はなんぼやったかいななどと独り言を言いつつ、また しばらく走る。と、また料金所だ。これではまるで、長野のビーナスラインみたいだ。ただ、 ビーナスラインと違う所は、銭の単位が数桁違う事である。ペソとドルくらいの違いは...無い だろうが。ただ、ビーナスラインの名誉の為に言っておくが、ビーナスラインは目茶苦茶高い道で あるけれど、なにしろきれいな道だ。季節に行けばニッコウキスゲが美しい。ここフロリダ・ター ンパイクはただのバイパス道路であり、全然面白くも無い道である。 さて、なんで日本の道の話しをせなあかんのか?元に戻る。結局、フロリダ・ターンパイクでは ビーナスラインよろしく4度も75セントを取られた。それに、せめて見るくらいはしておこうと 思っていたマイアミ・ビーチをもバイパスしてしまったのである。これは予定外だった。  マイアミをパスしてしまったので、近くの海岸に行って写真を撮る事にした。選んだ先は、 ウエストパーム・ビーチである。
ご覧のとおりのまさに「フロリダ」「楽園」である。海岸沿いの15分25セントのパーキング・ メータに50セントを入れて車を止め、海に出かけた。
大西洋をバックに写真機を置いて、リモコンでシャッターを...と、おじさんが目の前を通る。 おっさんなぁ、わざわざこんな所に来て目の前通らんでもええやないの?一枚写真を無駄にした。 さて、楽園を後にすると、もう後は走るだけである。予定では、今日はジョージア州サバンナか オーガスタまで行きたい。と、目にした看板それは「ケネディー宇宙センターこの出口」だった。 大体なんでも機械ものが好きだ。宇宙そのものにも興味はある。ヒューストンでもスペース・ センターを探しまわったのだ。ところが、まったく迂闊な事に「ケープ・カナベラル」はフロリダ にあったのである。いわば、忘れ物が目の前に現れたわけだ。 これで、予定を変えずにおれようか? 持ち前の優柔不断で、すぐには決断できず、次の出口にも「ケネディー宇宙センター」の案内が 出ていたので、進路を東へと変更した。
「ケネディー宇宙センター」のゲートを通ると、昨日行った「長い橋」より数段きれいな橋を渡る。 その橋からは、有名なスペースシャトルの格納庫を遠くに見る事が出来る。しばらく行くと、 ロケットが並んで見えてくる。これがビジター用の展示施設である。しかし、宇宙センターのバス が違う方向に向かうのを見て、いたずら心でついていった。あきらかにバスは、あの発射台のほう へと向かっている。すると、またゲートが現れた。これは立ち入り禁止である。 「スミマセン!ミチニマヨッタアル!」と看守に言うと、「さあ、ここでUターンして戻って!」 と、指示され泣く泣く引き返した。後で知った事だが、あのバスは有料で施設の中まで見学させて くれるという物だった。さすがにそこまで「予定」を変更出来ず、乗る事はあきらめた。
この宇宙センターの最大の売りは、あのバスかもしれない。しかし、無料で見れる...おっと、 これは書いておかねば。宇宙センターは無料でいろいろな展示物を見学できるのだ。日本で、なん でも有料に慣れているからこれは助かる。あの規模だと2000円は堅いところだろう。 さて、無料でみれるもので一番の目玉。これは、スペースシャトルそのものだと思う。ポンと置い てあって、中が見学できる。その隣りにはちいさな建物があり、なかでシャトルの構造や耐熱性に ついての説明と簡単な実験を見せている。これはなかなか面白かった。 この名残りおしい施設を、わずか1時間と20分で後にして、また予定通り北上をはじめる。もう オーガスタに行くのは無理だ。サバンナに行けば良いと考える。と... 今度は、「ディトナビーチこちら」の掲示である。ディトナといえば所ジョージ!でもないが、 これは興味がある。またもや、一つ出口をやりすごして、その次をおりる。しかし、そこはただの 海岸に至るみちであり、「ディトナサーキット」は、違う出口なのだった。また、フリーウェイに 戻りしばらく行けば、今度こそ「ディトナ・サーキットこちら」と出てきた。迷う事無くおりる。 遅かりし由良の介。デイトナUSAは閉まっていた。 ここでは、サーキット見学などもできるようであり、 鈴鹿みたいにゴーカートなんかもあるかも知れない。 興味は津々であるが、閉まっていてはどうにもなら ない。丁度雷が近づいてきた事もあり、そそくさと このサーキットを後にした。 さて、結局今日はジョージア州に行けなかった。これは、今後の予定に大きく響きそうだ。 明日こそは北へとどんどん走り、できるだけワシントンに近づくゾと心に決める。 しかし、どんな誘惑が潜んでいるものやら。そちらの楽しみの方が大きいという本音にも気付く。 一人旅の楽しみとはそういう物だ。日本へ帰るチケットは、7月25日ビクトリア発。まだまだ、 余裕は一杯ある...かな??

6月27日(金)

 遥かなるオーガスタ。 御存じマスターズの故郷である。昨日、予定が大幅にくるったので、今日はちょっと早起きして、 ジョージア州オーガスタ経由で、バージニア州リッチモンドまで走る。そうすれば、ワシントン まではほんの2時間の距離である。約1200km程はあるだろうか?
ジョージア州といえばアトランタが有名だ。よい町だとも聞いたし行ってみたくもあったが、 かなり大回りになり、とてもリッチモンドまでは行けそうも無い。それならば、ゴルフ好きの友達 の為に、ひとつマスターズのティーでも(せこい話しやね。ボールでもとか、シャツでもとか言わ ないところが)買って帰るかと思った由である。 ところが、このオーガスタ、古い町並みが続く田舎町。案内も少なければ、買い物をする店も全然 見当たらない。ちょっと走れば、黒人さんがなんにんか座って道を見ているような所に入り込み、 そそくさと通り過ぎるといった按配。実は30分程も町をうろうろしたが、ゴルフ用品や御土産屋 どころか、普通のショッピングセンターにすら出会わなかった。大きな建物に人が一杯いたから 行ってみると、そこは病院。そのとなりも病院。なんなんやこの町は!
うろうろするのにうんざりして、御土産を買う事も出来ぬままオーガスタを後にした。この町で 印象に残ったのは、さびれた田舎町ということと、1ガロン(3.8リットル弱)90セントという 格安のガソリンだけだった。(普段は大体1ガロン1.1から1.4ドル程度です。高いところ では1ガロン1.8というのも見かけました。ここはその半分という訳です) この項を読んで、一瞬でも喜んだ人々。申し訳け無いが、オーガスタ土産はありません。 しかし、きょうは予定を達成した。いま、リッチモンドの場末のモーテルでこれを書いている。 走行距離約1170km、1日に走った距離ではこの旅行でも長い方に入る。
アメリカもここまでくると、もう都会だ。バージニア州はフォトレーダーと呼ばれるいわゆる オービスが配置されていて、しかもフリーウエイの最高時速が55マイル(約88キロ)の所が 多い。これでは走れないと思うが、地元の車はもう狂気のような運転をしている。そういえば、 ジョージアを抜けてサウスカロライナあたりから、人々の車の運転が荒くなってきた。 個人的に、こういう都会は好きじゃない。見るものを見たら、さっさと北へ抜けて、また田舎を 旅しようと思う。
もうひとつ。このモーテルは今まで泊まった中で一番あぶない。さっきから、外で若い奴等が 大騒ぎをしている。朝起きてみれば車が無いなんてことは無いだろうか心配だ。地図を車に忘れ たのだが、今から取りにはいけない。目の前に置いてあるけれど、やめたほうが良いだろう。 本当にアメリカというところは... 変なところである。

6月28日(土)

 FINEという言葉を御存じですか? こう書くと、何を想像されるだろうか。ただ、今日はそういう日だったのである。  昨日の晩、周りが騒がしいので念の為、電気を付けっぱなしにして寝た。朝、起きてすぐ、 車を確認する。何事も無いようだ。良かった。そそくさと出発の準備をして、車に詰め込み暖気 運転を開始した時、異常に気がついた。ガリガリと変な音がエンジンから聞こえてくる。何じゃ あれは?と、早速ボンネットを開ける。どうもあの人騒がせなオルタネータから聞こえてくる。 じっと観察すると、なんとオルタネータを下側で固定している長いボルトがゆるんで、ベルトと あたったりしながらガチャガチャ鳴っているのだ。すぐエンジンを止め、ボルトの所に手を突っ 込んで締めなおそうとした。しかし、そうしても締らない。おかしいと思い、引き抜いて調べて みることにした。なんと、ボルトのネジの部分がダメになってしまっている。こりゃだめだと、 モーテルのおじさんに修理屋の所在を訪ねるてみる。おじさんは直に「この道を右に行ってすぐ のところにあるよ」と教えてくれた。なんという運のよさ。前、スターターとオルタネータが トラブッたのも都会の中。今回も都会、それも修理屋の隣り近所とは、運が良いとしか言い様が ない。まったく、今回の旅は守られていると感じる。 さて、とりあえずオルタネータは上部のネジでかなりきつく固定されているのと、付けていては ベルトを痛めてしまうので、ボルトを抜いたままエンジンをかけ、恐る恐るその修理屋に持って いった。ところが、「この手のネジは置いてないよ」と言われる。おまけに、そこは評判が良い のか朝9時からもう車で一杯だった。さあ、どうしよう... しかたが無いので、また恐る恐るエンジンをかけ、修理屋を探すためにまず電話を探すことにし た。電話というより電話帳である。今までの経験では、電話帳のある電話機は、ショッピング・ センターなんかには置いてある。よく周りをみると、目の前にそれらしき建物がある。そこまで 車を持って行こうと走らせていたら、なんと、さっきの修理屋のとなりも修理屋なのだった。 すぐそこに持ち込み、ボルトのある無しを聞いた。今度受け付けてくれたおばさんは、とても 親切な人で、「うちには、無いけどフォルクスワーゲンの専門店ならあると思うわ。あなた、 どこらか来たの?」「びくとりあ、かなだアル」「まぁ、遠い所から大変ね。それじゃ、一寸 待ってね。探してあげるから」と、その時たまたまお金の支払いをしていた年配の女性が、 「フォルクスワーゲンの出来る修理屋なら知ってるわよ」「それどこ?」「この道を...」 「なる程、電話帳に載ってるかしら...あった!そのボルトがあるか、確認してあげるわね。 何年のなんて車?86年のゴルフね。」それから、彼女は電話をかけ、今日は土曜日なので12 時までしかやってないが、その部品は店にあることを聞き出してくれた。まったく、人とはあり がたいものである。丁重にお礼を言って、おばさんが書いてくれた道順どおり車をそろそろと 進める。なんせ、オルタネータをつりさげている上のビスが落ちたら、今度は完全に故障となる。 本当に慎重に、停止時にはニュートラルにする事も忘れず進む。この修理屋がなかなか遠かった。 先に教えてくれた年配の女性は「5から8マイルはあるわよ。」と言っていたが、実際は20マ イル近くもあった。 修理工場につくと、すぐ部品を出してくれた。しかし、我が自慢のちゃちな工具では、とても 締め切れない。そこで店の人にお願いしたら、「今日は仕事するのにとてもよい日だ。」とか 言いながら、すぐやってくれた。それも、ドイツ車専門店らしく、なれた手さばきで、ベルトの 調節もやってくれたのである。先に書いておくが、その調節の後、車からは異音が消えた。私が ミッション系に疑いをかけていた異音は、エンジンに高負荷がかかったときオルタネータのボル トから発せられていた音だったようである。さすがプロの仕事は違う。 しばらく今回の旅行の話しをした後、「イクラアルカ?」と聞いたら、「ナッシング!」と来た。 今までのメカニックの仕事の中で、多分もっとも良い仕事がタダ!これには恐れ入り、名刺を もらい「コンドテガミカクアル」と言ったら。「いいねぇ!(Sounds Good!)」 ついでに、ポルシェのTシャツを見つけたので、それも買ってその店を後にした。 さてさて、これで今日の日記の冒頭の文句が説明されたとは、誰も思ってはいまい。たしかに、 FINEな日には間違いないが、それではあまりに面白くないではないか。  リッチモンドを後にし約2時間半程走ると、そこはワシントン だった。ちょうど何かの祭りを やっているようで、市内はおお賑わい。車を止めるのに一苦労であった。やっと、スミソニアン などから歩いて20分ほどのところに車を止めた。パーキングメータには2時間分2ドルを入れ、 中心部へと向かう。楽しみは、なんといってもスミソニアン である。  スミソニアンは、いくつかの博物館に分かれている。なんせ2時間しかないので、航空宇宙を 中心に見物することにする。ちなみにこの博物館はいずれも無料である。 はじめに入ったのは、自然に関する博物館だった。館に入ると、いきなりホールに大きな象が 展示されている。その大きさに圧倒されつつ海の展示に移ると、そこにはブルーホエールの模型 が吊るされて?いる。これは見応えがある。そしてダイオウイカ。なんか、おおきなものが多い のは、アメリカらしいと言うべきか?さて、その隣りは鳥の展示である。そこでは、以前から みたいと思っていた鳥たちがいた。絶滅鳥である。 特に、ここでしかみられない「リョコウバト」 の最後の一羽「マーサ」には、人の愚かさを 感じずにはおれない。「リョコウバト」は、 その昔、アメリカでは極めてポピュラーな鳥 だった。多すぎる程だったという。それを 根絶やしにできるパワーにはあきれすら感じ る。ヒースヘンのように、ひとつの所に集め て保護していた時、そこが火災に会い死に 絶えたというかわいそうなケースもあるが、 絶滅にいたるその原因のほとんどが人間の 愚かさである。 「マーサ」は何事かを語っているようにも 見えた。 次は、やはり航空宇宙博物館だ。ここに来る事も、今回の旅行の大きな目的の一つである。 スピリット・オヴ・セントルイスがいる。フライヤー1号がいる。エノラ・ゲイがいる。飛行機 が大好きな私は、しばし時間を忘れた。飛行機の歴史、黄金時代、宇宙時代といろいろな展示が あるが、やはり一番長く見ていたのは太平洋戦争の展示だろう。ドーントレス艦上爆撃機を横目 に見ながら展示室に入ると、やはり私も日本人である。若干の緊張のようなものを感じながら、 ミッドウエィの様子などを見ていった。少し不満を覚えるとするならば、世界初の航空母艦であ る「鳳翔」など、日本による航空発展史にも焦点を当てて欲しいものだと思った。日本の展示で 大きく割かれているのは、ゼロ戦だけのようだ。そのわりには、ゼロ戦が置いてある部屋の入口 には、日本海軍の戦闘を描いた多分日本人が書いた絵が何枚かかけてあった。そんなのどうでも 良いから、たとえばアメリカ軍が「ばか爆弾」と呼んでいたと呼ばれる人間ミサイル「桜花」な ども展示し、その真剣さと悲惨さも示して欲しいとも思った。 さあ、博物館を出た。時間は1時間40分ほど経っている。もう、すぐに戻らねば駐車時間が オーバーする。しかし、周りをみるとほとんどが違法駐車。なぜなら、パーキングメーター自体 が壊されているので、お金をいれる事ができないのである。私がとめたところは、たまたま壊れ ていなかったというだけだ。まだ、ホワイトハウスにも行ってないから。ちょっと「遅刻」には なるが、ホワイトハウスを見てから行くことにした。  ホワイトハウスは、鉄格子の向こうにたたずんでいた。 たしかに美しい建物である。 周りにはたくさんの「おのぼりさん」がめいめい写真を 撮っている。なかに、一枚とってくれというカップルが いて、シャッターを押してあげる。このカップルとは、 リンカーン記念堂でも出会い、またシャッターを押す事 になった。それは一度車にもどった後、かなり時間を あけての「再会」だったので、ちょっとおどろいた。 と、いう具合にワシントンを見物して車に戻ってみると...さて、もうお気付きの方も多いだ ろうが、ピンク色の紙がワイパーに挟んである。駐車時間超過(それもなんと15分後に来てい たようだ)で罰金を払ってください。支払い方は...文句のある人は... なんとまあ、確かに1時間程遅刻したが、あんなに多くの違法駐車はどうしとるんや!それに、 ワシは2ドルも払うてるんやぞ!怒りは込み上げたが、人のことを言ってもしょうがない。土曜 なので警察には払いにいけないから、書いてあるとおり15日いないに郵送する事にした。罰金 は15ドルである。ナイヤガラあたりからでも送るとするか... そのようにして、この長い一日は過ぎていった。スミソニアンでも本日2枚目のTシャツを買い、 今日の伝票をしめてみると、なんと188ドルも使っていた!!今日泊まっているモーテルは、 フィラデルフィアに近い事もあり約60ドルもすのだけれど、それを差し引いても多いではない か?このままでは破産である。ちょっと、締めなければいけないようだ。 で、FINEの件だが、これは英語で「罰金」の意味もあるのだ。まさに、FINEな日にふさ わしいFINEだったと言えよう。 そして、これで今日の長い日記もFINE(フィーネ)である。

6月29日(日)

 私は大都会が嫌いである。 なんせ人ごみというものが嫌いだ。だから、たとえば初詣に行くとするなら、できるだけ人里 離れた山寺などに行きたいほうなのだ。日本なら東京や大阪にはあまり興味が無い。と、すれば 今日訪ねた町、ニューヨークなどは行きたくない町のひとつなのである。 ニューヨークには、以前御世話になった方が住んでおられる。前にこの旅行の計画をお話しした 時、「遊びにおいで」と言われていたので訪ねる事にしたわけである。そうでなければ、きっと 「自由の女神」とマンハッタンの遠景くらいで退散していたに違いない。
今日ニューヨークは日曜日で、パレードの真っ最中。5番街を挟んだ大渋滞に巻き込まれた。 でも、そのおかげといってはなんだが、ニューヨークを歩く人々や車に乗った人々を観察できて なかなか面白かった。この町は、大都会ではあるが、もしかすると好きになるかもしれないものが ある。それは活気である。 そう思って見るからかもしれないが、道行く人々が何かを求めてポジティブに進んでいるような 気がした。なにか生き生きとしてくるものがある。みんな来たがるわけだ。 ようやく約束の場所に到着すると、その人は奥さん同伴でいらっしゃった。と...またまた美人 である。サンフランシスコといい此処といい、海外勤務をする人の奥さんは美人なのである。実を 言うと、ニューヨークを出てしばらく道を走りながら考え込んでしまった。「わしゃ、こんな事 しとってエエのやろか...はよ、嫁さんもらわな...」と。もちろん美人に越した事はないが この際真剣に考えないとアカンなと思った。しかし、これこそ相手のある話し。いくら気合を入れ ても縁がなけりゃどうしょうもないし、また実際金も無い。しばらくは、まっとうな社会人をやっ てそれからということであろうか??これも、いつもの神様まかせとしておこうと結論した。  全く、話しが個人的になったので、元に戻す。 ご夫婦にエンパイアステートビルに案内していただいた。今日中にニューヨークを離れる事にして いたので、「どこが見たい?」と幾つかの候補を挙げられたなかでは、やはりエンパイアステート ビルだったのである。ビルまで楽に歩いて行ける距離に住んでおられるので、パレードを見ながら 歩く。なにやら虹の旗を持っている。虹のシンボルの話しは、サンフランシスコの先輩からも聞い ていたので、不吉な予感がしていたが、やはり「これはゲイのパレードだよ」と教えてくださった。 なんとも、何の因果で小汚い男を好きになるものやらさっぱりわからんが、たくさんの変な男ども が練り歩いていた。    エンパイアステートビルから眺める景色は、やはりなかなかの物である。あれが国連、あれが ブロードウェイ...と、見た事のあるような風景が目の前に広がっている。自由の女神はほんの 小さな点である。マンハッタンに入る前、自由の女神を背後から見る位置にある公園から彼女を 見た。彼女を前から見るためには、観光船などでしかきれいに見えないのではないか?ブルックリ ンからマンハッタンに入ったが、やはり彼女は点だった。しかし、自由の女神を右にウオール街あ たりを見れば、まさに世界の経済の多くの部分がここで動かされているのだと、何か恐ろしいよう な気分が沸き上がってくる。あぁ、来てよかったと御夫婦に感謝した。
 そしてセントラルパークに連れていってもらった。 ここもなかなかの場所だ。都会の真ん中だけれども、リスの姿を見掛けるし、皆ほんとうにのんびり と時間を過ごしている。こののんびりと、先にみたあの快活さが世界の人が来たがる町を演出して いるのではないだろうか?大都市にしてはめずらしく、またゆっくり来てみたくなった。 さて、その後カーネギーホールで涼んでから、御二人とお別れして、一路西へ。明日は、ナイアガラ の滝である。今日の記述は、まったくの旅行記。それもニューヨークだから誰でも知っている話し。 それではこのページの意味がないので、次回はナイアガラの話しと共に、ここニューヨーク州の道路 事情について書く事にしたい。まぁ...日本みたいな所である。

6月30日(月)

 交通事情について書く事にする。  いつも日本では、「まったく日本の道路事情は最悪で、道を作れば有料、その上で在来線は まったく使い物にならないようにして有料道路を使わせようとしているに相違ない。」などと 息巻いている。アメリカの西海岸では、まったくその感を強くし、日本の問題を憂いたもので ある。 ところが、ここアメリカの東海岸はどうだろう。道行けば有料なのである。確かに、日本と 比べれば屁みたいな料金である。料金は場所によって違うが、たとえばニュージャージ・ター ンパイクの料金、南の端からニューヨークの手前約84kmで2.65ドルだ。日本なら、 いくらになるか考えるだけで腹立たしい。首都高速の新木場で迷って千葉方面に乗ったら最後、 橋を渡るだけで800円とられるのであるから、その違いがわかるというものである。 しかし、東海岸以外ならほとんどタダなのだ。別に道がこれといって良いわけではなく、逆に これまた首都高速で御馴染みの工事が多くて走りにくい場合がある。簡単におりてまた戻る訳 にはいかないから、日本と同じようにサービスエリアなるものがあるけれど、これもたいして 便利ではない。気軽に降りて、自分の好みの店やガソリンスタンドで買い物をするほうが、 何倍も良い。また、一般高速ではあれだけたくさん出ているモーテルの広告が激減するのも 困り物だ。きっと、これも例の「気軽さ」がなくなることからそうなるのだろうが、こちらは 看板を頼りに行動しているのだ。出口を通り過ぎながら、モーテルの影をみつけて悔しい思い をすることも多々あった。まったく、日本に帰ったような気分がする所である。 それだけではない。有料道路を避ければ良いではないかと思われるだろうが、これも日本と 同じでとんでもないことになる。ちょっと、ナイヤガラの行き掛けに試してみたが、いままで 西の方で走った裏道と違い、なにしろややこしくて時間がかかる。いくら高くても10ドル ちょっとで済むから、有料を通るかということになる訳だ。しかし、現地人の行動をみている と、少しでもわかりやすい裏道があるとそっちへ行くようである。突然、有料道路が空いたら そんなものがある事を疑ってみるのもおもしろい。 ともかく、はじめから有料なのかどうかは知らないが、ちょっと儲かったらやめるべきだ。 自動車の国アメリカの印象を悪くする事この上無いと思う。だいたい、ニューヨーク州なんて ニューヨークやナイアガラの滝でどれだけ儲かっていることやら。それだからか知らないが、 人もみな高飛車にみえる。モーテルの数も少ないようで、みな高級指向だ。それに輪をかけて 税金が高いとくる。まったく、この功利主義にはあきれた。出し物?以外は、まったく面白く ない州である。アメリカで一番住みたくない州、それはニューヨーク州だ。 さて、怒りは置いておいて、ニューヨーク州の人気出し物の一つである、ナイヤガラの滝の レポートを書いておこう。ニューヨークからなら、車で8時間程の距離だが、先も書いた通り 有料の区間が多いのでお気を付けて。私は、できるだけ地道を走り、約750kmの距離を 一泊はさんで行った。もちろん、ニューヨークを出たのが夕方だったからではあるが。 ニューヨークで、先に御登場いただいた御夫婦に「ナイヤガラでは、船と滝の裏側だけは見て おくように」と、言われていた。その場では、「時間が無いので、船はどうも...」と、 言っていたのだが、到着してみると興味津々、乗る事にした。
いつもながらに思うことだが、人の言う事には素直に従うべきだ。全く、時間うんぬんより こういった体験が出来る事のほうがすばらしい。周りにはいろいろな国の人が、いろいろな 言葉でその凄さを語り合っている。 滝の裏側と真横を見るツアーにしてもそうだ。タイかビルマからでもやってきたのか、仏教の おぼうさんらしい人々が、すっぽりと特製のビニールカッパをかぶり、記念写真を撮りあって いる。グランドキャニオンでもそうだった。偉大なものや、凄い事に触れると人間はみな感動 するのである。人間は、やはりみな同じなのだ。
上の映像の左側に見える橋がアメリカとカナダの掛け橋である。そしてこの映像はカナダ側 から撮っている。もちろん簡単な通関があり、約20日ぶりにカナダに帰って来たわけだ。 たった橋を隔てただけだというのに、やはり私はカナダの方が好きなようだ。とても安心して 行動できる。もちろん、アメリカ人に多いぼそぼそ英語から開放されるからでもあるようだ けれど。なにせ恥ずかしい話し、アメリカの通関で、係員が言っている一言めがわからない。 「ええいどうにでもなれ!」とパスポートを出して、「ワタチニホンジン!」と言ったら、 無言で出口のドアを指差し通してくれた。あとでゆっくり考えてみると、彼はこう言っていた ようである。「Where are you going?」あほかいな。こういうあたり前 の事を言われるのが一番困るのだ。アメリカに行くのにきまっとるやないか!しかし、それ 以前に、この中学1年で習う英語もわからんというのが凄い。どうやって1年過ごして来た ものやら不思議に思う。このフレーズを口ずさみ、ひとり大笑いしながらナイアガラを後に した。途中、ロチェスターという町を通る。個人的に、この町の名前には思い入れがある。 いま、こうしてとても贅沢な旅行ができるのも、この町が産んだすばらしいコンピュータの 相手をしていたからなのだ。時は流れ、私にはすでにそのコンピュータの相手はできない だろう。しかし、こうしてその工場がある町(もしかすると、同じ名前の違う町かもしれ ない。この名前はアメリカに多いので)を目の前にすると、なにか感動のようなものが沸き あがってくる。工場を見る事ができたなら、建物に向かってお礼の一言でも言いたかった。 そして、これからもよい機械として生きつづけて欲しいと思う。 さて、明日は北へと向かう。 TOPへ戻る
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