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北アメリカ車旅97 −7月−



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7月1日(火)

 馬鹿な話しを2つばかり。 こういう風に書くと、めずらしく馬鹿な話しのようだが、御存じの通りいつも大馬鹿である。 一つめ。今日が6月31日だと思っていたこと。これは、昨日晩にスケジュールのチェックを していて気が付いた。ずーーっとこの旅行中、6月は31日あるものだと思い込んでいたのだ。 一瞬にしてスケジュールに1日の遅れが発生!また、ビクトリアが遠くなったような気がする。 そのために、ボストンによる予定をキャンセルして、北へとできるかぎり走り、明日の予定を こなしやすくすることにした。これは達成して、いまアメリカのほぼ北東の端に位置する町、 Bangorに泊まっている。ここからカナダ国境までは2時間程である。 さて2つめである。これは危うくしゃれにならない話しになりかけた。この旅行自身が終わり かけたのである。走行中に、エンジンのプラグが一つはずれて「ボカスカ」という音をたてた のだ。「あぁ、これで終わりかな」と思った。それが、なぜ馬鹿な話しかといえば、私自身が プラグが一つゆるんでいた事を知っていたからだ。それも2日前、あのオルタネータの騒動の 時に気が付いていたのである。思えば、あの親切なメカニックの人に頼めば良かったのだが、 何か気がひけて言えなかった。プラグレンチが車に無いので、パーツ屋などにも何度か入った が、無かったり、あってもトイレに行きたくて買えなかったり(こちらの店にはトイレの無い ところが多く、本当に困る)して、今日こそ買って締めなおそうと決めていた矢先だったのだ。 路側帯に車を止めてボンネットを開ける。みごとにゆるんでいたプラグが飛んでいる。幸いな ことに、プラグはまだケーブルの先についていたので、ここは応急に熱い思いをしながらエン ジンに突っ込んで、かるくしめておいてからエンジンをかけてみた。一発OK!旅行は終わら ずに済んだようである。すぐに、次の出口をでてガス屋を探す。直にみつかり、ガスを入れて もらってからプラグの件を頼むと、無愛想ながら直に締めなおしてくれた。助かった!またし ても守られていたのだ。今度からは、こういう事にもっと真剣に対応せねばなるまい。 トラブルの直前、ポーツマスを通りかかった。ここは日露戦争を終結した地である。時間が あれば寄りたかったけれど、なにせ1日フッとんだツケは大きい。ウイッテと小村寿太郎の やりとりを想像しつつ、その時起こった了見の狭い多くの日本人による騒乱と、先日のペルー 大使館騒動の時の報道の姿勢は、基本的に何も違わないのではないかなどと思いながら、 この町にかかる橋を渡った。 (昨日のロチェスター同様、同名の別の町かもしれませんが、御容赦を!)
さて、今晩はアメリカ最後の夜である。旅行の前、アメリカという国はただ恐いだけの国だ と思い込んでいた。しかし現実は、皆やはり人間であり、親切な人、無愛想な人、勝手な人、 良く働く人、シャイな人、あたりまえの事だが、ちゃんと人間が暮らしている。トラックの 運転手なんて日本人が運転してるのかと思うくらい、やる事のパターンが同じだ。 やはり、何でも体験してみなければわからない。もちろん、この国が恐い国だという認識は 捨ててはいないが、人間が住んでいる以上、ただ恐い国というだけでは無いようである。 今度は、もっと英語が出来るようになってから訪ねてみたい。そうすれば、もっと色々な 人とめぐり合え、色々な経験ができることだろう。もちろん、危ない目だけはゴメンだが。

7月2日(水)

 コンピュータとは全くたいした物である。 いま、ニューファンドランドというカナダ最東に位置 する島への、フェリーの駐車場でこれを書いている。 出発時刻は夜中の2時。今、11時をまわったところ であるから、まだしばらく時間があるので、この日記 を書いているというわけだ。まさか、その島から ページをUPしようとは思っていないけれど、時間が あまればこうして記録を車の中で作成できるというのは、 全く便利な時代になったものである。 今日は、とうとうアメリカを離れ、今や我が第2の国とも言いたいカナダに戻ってきた。 距離表示もkmであるし、ガソリンもリットル計量だから、日本と同じに戻った。おもしろい もので、アメリカを離れてしばらくの間、逆にこの慣れているはずの表示にとまどう。 カナダに入って一番良い事は、やはり言葉がわかりやすい事。それから、犯罪の心配が格段に 減る事だろう。安心したためか日中から疲れてしまい、休みながらの旅となった。
さて、あすニューファンドランドでは、大きな目的が待っている。 トランス・カナダ・ハイウエィという全長5000マイル(約8000km)道の、片側の 起点を訪ねるということである。もう片側の起点が、我が町ビクトリアにあり、すでにこの ページでもご紹介した。ついに、反対側の端に立つ事になるわけだ!今から楽しみである。 もう一つ、難儀な話し。やっぱりカナダはガソリンが高い。我が偉大なるコンピュータには、 全給油と走行距離のデータが入っている。今までは、大体100kmあたり300円をきる くらいのコストであった。カナダ1回目の給油データを入れてみて驚いた。450円を 上回っている。日本から比べればまだまだ安いが、この旅はまだ3分の1残っているから、 覚悟していたとは言えショックは大きい。次の給油予定地は島の上。きっともっと高いこと であろう。 金の話しは忘れたいものだ。

7月3日(木)

 今日は、過去最高の苦行となった。 まず、ニューファンドランド島の規模を間違えていた事。1日あれば、行って帰ってこられる と思い込んでいたら、なんと北海道クラスの島だったので、道路にあと何キロと出る度に、 失望していたというわけである。これは、まったくのミス。地図の縮尺の読み間違えという事。 さて、間違えを発見し、それから急ぎはじめたまさにその時、目の前にポリスの赤と青の回転 灯が光った。「124kmは34kmのオーバーね。出しすぎだね...」 あぁ、アメリカに続いて悪者になってしまった。しかし、警官いわく。「キミは7月25日に カナダを出るんだったら、この請求は8月にならないと行かないから、払わなくて済むよ。 ラッキーだね。昨日もメキシコ人とベトナム人を捕まえたけど、彼らもラッキーしてるよ。 ところで...」彼は、やおらに妙な台紙を取り出した。その上には、バッチがたくさんつい ている。「これ、5ドルなんだけど... いや、決して要求してるわけじゃないよ!」 はいはい買いますとも!罰金よりゃましやわな。「トコロデ、ホントナラ、イクラハラワナ キャイケナイアルカ?」「うーん、だいたい45ドルだね。」45ドルが5ドルなのだから 安いものだ。別に買わなくて良いというが、買わないとまずいような雰囲気は当然である。
ニューファンドランド島は、カナダの東の端にある。いかにも最果ての地という感じで、霧が 立ちこめたり晴れたりする。霧になると運転にも神経を使うから、よけいに疲れた。 結局、トランスカナダ・ハイウェイのもう一方の端、セント・ジョンズへはフェリー埠頭から 約900kmだった。これを約12時間かけて走破し、とうとうもう片方の「マイル0」の 看板を目にしたのである。あいにく、周りの人がだれもおらず通らず、シャッターを押して もらえなかったから、自分は写真に入る事ができなかった。
「マイル0」を見つけるのにも苦労した。ガソリン・スタンドで気の良いおじさんに聞いたら、 言ってる事はほとんど冗談。こちらがとても困ったようにすると、すこしずつ「正解」が出て くる。たまに、いわゆる差別的な雰囲気を味わうことはあるが、このおじさんはただの冗談 好きという感じだ。ただ、セント・ジョンズに入って来たのが日没直前だったので、こちら としては冗談より早く場所が知りたいのだ。相手も、カメラの話しになって気付いたと見え、 ちゃんと教えてくれた。さて、近くまではやってこれたが、その先が良くわからない。今度は、 町の人に聞く事にする。これが全然通じない。一番親切だったおじさんに、「まいるぜろノ カンバンハドコアル?」と聞いても、「なんだって?君は中華料理屋を探してるのかい?」 なんて、言われる。ついにそのおじさん、「書いてみてくれないか?わしは、このへんの事 は大抵知っているから。」「mile0」「なんだ、マイル0な。これなら、そこ曲がって ...」英語は本当に難しい。  さあ、これから帰りの旅だ! その夕方のうちに、セント・ジョンズを離れる。もしかすると、朝のフェリーに間に合うかも 知れないと、飛び出したのだ。しかし、ものの300kmほどで挫折。本当に疲れきって、 やっと見つけた営業中の「inn」と呼ばれる、モーテルよりちょっと格の高い宿泊所に滑り 込んだ。いやぁ。今日は本当に疲れた。明日、どうなることやら。

7月4日(金)

 まあ、それにしても色々な事がある。 今日の朝起きて、車を見たら右の後輪がパンクしている。これも情けない事に「実は」と いうやつがあって、昨日書いた冗談好きのガス屋のおじさんのところで、既に見つけていた のである。その場では、エアーを借りてふくらましておき様子をみるつもりだった。何せ、 時間が無いとあせっていたものだから、そういう間違いをやらかすわけだ。考えてみれば、 いくら時間が無くても山のなかでバーストでもした日には、もっと時間と金が飛んでいく ものを...やはり、私はかなりのおろかものである。 さて、ここはひとつ「パンク修理剤」なるものを試してみることにした。缶を差し込めば エアーと修理剤が入るというあれである。こういう機会はめったにないので、半ば期待を もってタイヤのバルブに修理剤を差し込んでみた。ところが、大安売りの物を買ったつけ か、ちょろちょろとしか空気が出ない。ただいたずらに、修理剤がまわりにこぼれて、手を ごすだけだ。またしてもピンチである。 しかし、ここは「守られている旅」の本領で、そのINNの両側2軒先はガススタンドな のだった。スペアをつけるのもうっとおしいので、そろそろと車を動かしそううちの一軒 へと持ってゆく。もし、ガレージや修理設備がなくてもエアーくらいはあるだろうから、 膨らまして、設備のあるところまでは運べるという算段だ。到着してみると、ガレージ付き で、それどころか先客がいてパンクの修理をしてもらっていた。その車の持ち主と目が会い 「同じような被害者だ」とばかりにニャッとしあう。 パンク修理というものは、いつ見ても不思議なものだ。ちょっとタイヤを膨らまして原因 を探す。これは、私が見つけた。釘のようなものがささっている。ガス屋のにいちゃんが 抜いてみると、釘の先ほんの1cmほどのものだった。「釘の先だね」なんて言っている。 なんでこんなものが、道におちているものかまったく不思議だ。そうして、釘を抜いた穴 になにやらゴムのようなネバネバの物を、これまた妙な棒状の器具を使って差し込んで、 今度は空気をちゃんと入れて、「はい、5ドル75です。」この間、ほんの5分くらいで ある。まったく、こういう修理法を考え出した人は偉いものだ。風船に釘をさせば破裂 することは誰でも知っている。タイヤも一種のゴム風船なのに、こうして瞬時に直せて しまうのだから恐れ入る。逆に言えば、こうして直せるくらいの状態でパンク修理をして もらえるように、パンクしたときは無理してはしらず、できるだけ早くタイヤをはずす事 が肝心だということだ。 さて、パンク修理も終わり、一路西へ。夜8時発のフェリーに乗って、メインランドへと 帰る。このフェリーを逃すと、次は翌日の夕方4時になるので、遅れるわけにはいかない。 そろそろオイルがきれているからか、雑音の多い車をはげましつつフェリーターミナルに 滑り込んだ。時に4時30分。これなら予約無しでも余裕で乗れる。島から出るときは、 荷物のチェックがある。トランクを開けて、農産物を違法に持ち出していないかを調べる。 「OK!次」と言われて、エンジンをかけ...かからない!今回は、セルモーターは 回るが、始動しない。まるで、プラグがかぶったみたいな状態である。アクセルを踏まず しばらく回してみるがダメ。係員にうながされるが「アレレ、カカラナイアル」なんどと 言うしかない。「ガソリンはあるの?」なんて聞いてくる。そりゃありますわいな。と、 かかった!何かわからないが、またまたトラブルを抱えたようだ。ただ、オイルがもう ダメなのでそれが原因である事を祈る。そのあと、フェリーの待ち合い所からの始動は 一発でいったので、またまたエンジンが熱いときにおこるトラブルなのかもしれない。 後半戦に来て、不安材料がまたひとつ増えた。
このフェリーターミナルがあるアックス・バスケス港は、まったく北国の寒港といった所 である。ニューファンドランドに車で来るには、ここが玄関口となるわけだから、多くの 人は「ああ、最果ての国にやってきたのだな」と、思うに違いない。来たときも、帰る 時の今日も霧が立ちこめ、ものすごい寒風がふきあれている。詩の心得がある人ならば、 エレジーがたくさん作れそうな場所だ。 霧が雨に変わる中、ニューファンドランドを後にした。

7月5日(土)

 今日は凄いものを見た。 フェリーがノース・シドニーの港に帰って来たのが夜中の2時前。フェリーの中で良く 寝ていたので、そのまま走ることにする。目的地は、「赤毛のアン」で御馴染みの プリンス・エドワード島である。私は赤毛のアンを読んでいないので、これといって行く 用もないのだが、やっぱり有名な場所だから覗いておこうといういつもの発想だ。 島へは今年、橋が開通したようなのでそれも見ておきたかったのである。 島へ行く途中で、地図を見ていると「Tatamagoche」という変わった名前の 村を見つけたので、よって見る事にした。なんと発音するのかはわからないが、タマゴ ッチみたいな名前であることは確かである。通りかかった時間が、まだ朝の5時だった からか誰も往来を歩いておらず、発音を聞く事はできなかった。
タ、タマゴッチ!を後にして、プリンス・エドワード島への橋へとさしかかる。これが 凄いのである。後で計ったところ、全長約13km。スナップをご覧いただけばおわかり のように、反対側を見る事が出来ない。ずーーっと、橋である。まあ良くこんなものを 作るものだ。 ただ、フロリダの有名な橋と同様、これも外から 眺めるもので、走ってみると見えるのはコンクリート の壁だけである。つり橋を渡るようなはなやかさは 無い。ただ、延々と続く橋を渡る。そうして陸地が 見えてくると、そこがプリンスエドワード島である。 ちなみに、そこまで料金所は無かった。まさかこの橋、 無料なのか?ところが、良く見ると、帰りの車線には 料金所がある。帰りにまとめていただこうという寸法 らしい。  プリンス・エドワード島は、女性に人気があるらしいだけあって、ルパンと呼ばれる 花が一面に咲いているとても美しい島である。車が相当問題を抱えはじめているので、 オイルと後輪のブレーキシューを交換するする作業を車屋に頼み、私は散歩をすることに した。この島は赤土で出来ていて、道路も赤みがかかっている。ただ、その赤土を隠す かのようにあたりは一面の草原だ。どの家の庭も芝生か草原になっていて、いったいどこ までが誰の土地なのかわからない。道から少し入った草原に寝転んで、昼寝をすることに した。昨晩はフェリーでうたた寝をしただけだから、これは気持ちが良かった。たまに、 虫が顔の上を歩くが、どだい大きな顔であるからそれもしかたがなかろう。良く見ると ちいさなバッタみたいな物だったりする。あっという間に1時間ほどがすぎた。 昼過ぎに車屋を出て、プリンス・エドワード 国立公園に行く。入園料3ドル。ここが アメリカならばパスを持っているのに、 カナダではもちろん通用しない。 この公園の3ドルはちょいと高い。中は、 海岸と幾つかの美しい沼の構成である。ただ、 あくまでそれはこの島の延長であり、公園内 に忽然と姿をあらわすものでもない。草原で 寝るにしても、この島にいればどこでも できそうであるし、何かもの足りなさを感じた。 さあ、プリンス・エドワード島を出よう。その前に、雄大な橋「コンフェデレーション・ ブリッジ」の雄姿をカメラにおさめるため、ちょいと寄り道する。橋を見るために寄った ところであるが、やはりこの島、緑とルパンが美しい。こういう所で人生を過ごすと、 どういう考え方になるものだろうか。もちろん、冬は過酷なのだろうけれど、きっと心 やさしく暮らせるに違いない。  さて、問題の橋の通行料金である。 橋のゲートにやって来た。料金表が出ていない。係りのおじさんに聞こうとすると、その 下に電光表示された。「35ドル!」目の錯覚ではない。約3000円である。おじさん 曰く、「フェリーに乗るよりゃ安いよ!」まあ、13キロのこの橋が無料とは思っていな かったが、さすがに20ドルまではいかないと思っていたからショックだった。往復料金 だと言う事を考えれば、たしかに納得もできる。瀬戸大橋だと往復で1万円以上かかる から、ま、良いとするか。もし、日本から直接ここへきていたら、「何と安い橋だ!」と、 思ったに違いないから。 料金といえば、今日泊まっている町フレデリクトンのモーテルも高い。大体70ドル前後 だ。それなら日本のホテルにだって泊まれる。今いるモーテルは電話もエアコンも付いて なくて、寝るだけのところで税込み44ドルだ。と、いうわけで今日もこの原稿をUP できない。この旅行中で一番大きなブランクになってしまった。  ブレーキを換えたのは、前から気になっていた「シャンシャン」という音が気になって いたからである。かなり効きも悪くなってきたからでもある。メカニックのにいちゃんは 前輪のジョイント部にも問題を見つけて報告してきたので、それも換えてもらうことに する。昨日エンジンがかからなかった事を考えプラグも換えて、全部で250ドルほど かかった。 ガレージを出て、やはりエンジンは感動的に軽くなっているものの、シャンシャン音は 消えていない。これは別の所から出ている。それに、以前からあったドライブレンジで 停止している時のガリガリ音が復活している。オイルを換えると、いろいろ本当の問題が 出てくるから頭が痛い。やはり、オートマチックミッションがもう駄目なのだろうか? 今日、いま原稿を書いているモーテルまで600kmほど走ったが、当然ながら何も改善 されずむしろひどくなったようだ。予算はとっくにオーバーしているし、この先どうした ものか頭が痛い。まだ、1万キロ弱は残っている。 訂正!? 6月30日の日記の中で、ロチェスターについての記述がありましたが、わたしの通った ロチェスターはニューヨーク州のそれであり、思い入れの深いロチェスターはミネソタ州 であると、サンフランシスコの先輩より指摘がありました。日記の内容には変更を加えま せんが、ここに事実として御報告させていただきます。 (アメリカ人も、たまに間違えるのだと、フォローも入れていただきました) それにしても、リアルタイムの時代ですね。ありがとうございました。

7月6日(日)

 フランスに行ってきた。 おまえ、とうとう錯乱したか?と、言われそうだ。カナダの事をちょっと知っている人なら、 「また、もったいぶった事を言いやがる」と、すぐわかる事だろう。そう、ケベック州を通っ たのである。有名な地名としては、モントリオールがあるところだ。ここは、フランス語の 州なのである。「カナダに留学してます」というとたまに、フランス語は要りますか?と 聞く人がいる。私の住むビクトリアのあるブリティッシュ・コロンビア州などは、フランス語 の看板すらほとんど無い。たまに、政府の施設に書いてあるのを見掛ける程度である。つまり、 フランス語などほとんど関係の無い世界なのだ。ところが、ここケベック州は、みなフランス 語を喋っているのである。同じカナダにもかかわらずだ。 最初のショックは、道にかかる看板である。もう、なんの事やらわからない。さあ、そのあた りから「フランスに居る」事を実感しはじめる。つまり、たとえば道を聞く事もままならない 世界なのだ。しかし、ガソリンもいれにゃならないし、腹も減ってきた。ここはひとつガス屋 に立ち寄るとしよう。  「*<+&&%!!(フランス語)」 そのガソリンスタンドはフル・サービスしかなかったので、店員のおにいさんがやってくる。 何か言ったようだが、まあ、「ボンジュール」かなんか言ったのだろう。彼が何か言う直前 まで、「ここでは日本語で通してやろう。それが、フラ語圏の人への礼儀ではないか!」 などと考えていたのであるが、思わず「れぎゅらーヲ、マンタン...」と、ボソボソ英語 らしきもので言ってしまう。彼は、英語圏の人より簡単に理解し、そそくさとガソリンを 入れはじめた。そして、終わるとまた何やら言う。これは「これこれの額になります」と、 言っているに相違ないからだまってVISAを渡す。カードとは便利なものだ。伝票にサイ ンしたら、彼が初めてわかる言葉を言った。「メルシー!」これに対して私は、オウム返しに 「めるしー」と言って別れた。わわわ!フランス語を喋ってしまった!困ったものだ。  他に、サービスエリアの売店でも買い物をしたが、こちらは無言で商品を手渡し、レジに 表示された金額を見てお札を渡しお釣をもらった程度だった。人間なんとでもなる。 ところが、道を聞くとなるとこれはもう絶望的である。もともと、あまり道を聞くのは得意 ではない上に、英語の発音も出来ないし第二外国語はドイツ語という男に「ノートルダム 大聖堂はどこでっか?」と聞けるわけもない。事実、モントリオールではその大聖堂を探して うろうろした。さて、その「ノートルダム大聖堂」だが、これは素晴らしい。
内部は公開されているので、誰でも見る事ができる。一歩踏み込めば、モントリオールの ちょっと猥雑で陽気な雰囲気と全く違い、荘厳かつ優美な世界を味わう事ができる。中でも 圧巻は、やはり正面の装飾?であろう。背後からの光が色ガラスをとおして深い青色になる 中を、キリストをはじめ金色に輝く像が浮かび上がっている。思わず息を飲む美しさだ。 しばし、中世の雰囲気に浸りながら体を休めさせてもらった。 「ノートルダム大聖堂」で、骨休めをせねばならなかった理由のひとつに、「メープル街道 サーキット」がある。カナダといえば「ビル・ジルヌーブ・サーキット」であるが、ケベック の人々の運転は、「いつも心にビルヌーブ」なのではないだろうか?とにかく飛ばすのである。 ケベック・シティから、トロントにかけての道を「メープル街道」と呼ぶらしい。フリーウェイ の番号は20である。この道の速度表示は次の通り。「最高速度100km最低速度60km」 ところが、この片側2から3車線のみちの、走行車線の平均速度は優に120kmを越えている。 なにせ、皆遅いのがいると当然のように追い越し車線に飛び出てくるが、そいつを抜いて走行 車線に帰ってきても、加速をつけたままの速度で走り続けることが出来るのである。さっき、 「遅いのがいると」と、書いたが、遅いと言ってもその人達は100kmで走っている人だから だ。 もちろん警察も多く出動して、どんどん捕まえている。しかし、あれだけの量の車がみなあの 調子であるならば、取り締まれという方が無理だと思う。普段、速度制限撤廃論者ではあるが、 それはあくまで人間に理性があるということが前提。ここでは、適用できそうにない。 とは言っても、もちろん一緒になって走ってはいたが!!

7月7日(月)

 カナダの首都を訪ねた。 小学校4年生のとき担任の春名先生は、生徒に教室の後ろの壁半分ほどにもなる世界地図を作ら せて、社会の授業のとき、その地図を差しながら「ここは何という国や?」とか「この国の首都 は?」などと問題を出しながら、皆に教えてくださった。オタワという地名もその時覚えたと 思う。カナダという有名な国の首都にしては、かっこうの悪い名前なので覚えやすかったのだ。 オタワ は、美しい町である。川沿いに建つ国会議事堂を中心とする建築物は、大きなこの国の 政府として充分の威厳と、華やかさを持っている。残念な事に、ちょうど中央の建築物の殆どが 修復中であった。再び囲いが取り払われた時、さらに一層の威厳をもった姿を現すことだろう。
オタワを後にし、西へと向かう。 今回の旅行では、いくらなんでも総ての町を訪ねるわけにはいかないから、たくさんの心残りを 作りながら走っている。トロントもその中の一つだ。この周辺のハイウエィを走っていると、 これでもかと言うほど「トロントこちら」の表示がある。それだけカナダにおいて重要な町なの だろう。また、今度訪ねる事ができると信じて走りつづける。今日からは、ひたすら走るという 日々だ。泊まるところは日没の所ということになる。日程がおしているのと、かなり疲れても いるのでキャンプというわけにもいかず、毎日贅沢なモーテル暮らしとなるだろう。 そこで、モーテルの話しを書く。フレデリクトンでも書いたが、カナダはモーテルの事情が今一 である。明らかにアメリカの方が進んでいるし、料金も安い。たとえば電話。アメリカでは、 十数日泊まった中で、部屋に電話の無いモーテルはわずかに1軒だった。別に高い所に泊まった 訳ではなく、正確にはまだ計算していないが、料金も35ドルくらいが平均だったと思う。 カナダでは、電話のある無しを気にしないと泊まれない。それに、その外の設備もあまり良く 無く、たとえば今日いるモーテルは湯がとても汚い。 まったく、カナダに入ってからのほうが、ガソリンは高いし宿泊も高いというわけで苦しい思い をしている。「アメリカだったらなぁ」なんて考える日がくるとは、実際予想外であった。
さて、今日はヒューロン湖とスペリオル湖の境目あたりの町に泊まっている。五大湖も、先程 書いた小4の授業で覚えた。スペリオル湖は、たしか世界最大の淡水湖だった...かな? しかし、国立公園にあるような湖と違い、これらはほとんど海だ。ちょっと止まって写真をと いった風景には事欠く。ずっと、走りつづけてここまでやってきた。 明日もこんな調子だろう。

7月8日(火)

 今日は、わがゴルフについて書く。 今日終了時点で、2万3千キロを走破した。書くのは簡単であるが、これはとんでもない数字 である。2年半乗ったポルシェ928では6万キロを共にした。それでも良く走ったと思って いたが、このまま行くとこの旅行では2万8千キロを走ることになる。つまり、一月半弱で 1年分近くを走る事になるわけだ。 このゴルフ、なかなかの気分屋である。私は、コンピュータを含め総ての機械は生きていると いう持論だ。だから、変な話しであるが、よく機械に話し掛ける。「対話式コンピュータ」の 意味を間違っているのではと言われたこともある程だ。 カナダに入って以来、なぜか彼女(ゴルフ)は不機嫌であった。オイル交換をけちっていた せいだろうか。それとも、この土地と相性が悪いのか。エンジンがかからないといった、恐い トラブルもあった。 しかし、ここの所好調だ。左の前輪のベアリングかCV関係が悪く、ガタが来てはいるが、 走行に問題は感じない。前に書いた「シャンシャン」という音は、どうもオートマチック・ ミッション付近から出ているようだけれど、チェンジなどスムーズそのものだ。 今度は、早めにオイル交換をしてあげ、その時にでもCVの関係をチェックしてもらおうと 思っている。考えてみれば、ちょっとこのゴルフには色々と無理をさせておきながら、愛情が 足らなかったように思える。せめて、最終段階くらいは良い思いをさせたい物だ。
さて、今日はスペリオル湖畔をずっと走った。昨日も書いたとおり、あまり目新しい景色は ない。ただ、一生懸命走ったという一日だった。 後記:いま原稿を書いているエドモントンまでの過程で、やはり前輪がかなりきている事が 判明したのと、石があたってフロントグラスに1cm台の傷ができてしまった。満身創痍状態 と言える。 後記2:ちょうどサーバーのトラブルでアップデートが延びたので書いておくが、今日修理に 出したところ、ちょいと難しいトラブルのようだ。しかし、走行には支障がないのでこのまま 走ることにする。ディーラーに修理を依頼しろと言われた。売り主には正直に報告しよう。

7月9日(水)

 自分としては、驚くべき記録を作った。 一日で、1550キロを走破した。昨日の記述と同様書くのは簡単だが、これもとんでもない 数字といえる。それも、1日だけの記録ではなくて、それまでに約2万3千キロを連続で走っ ているのだから、自己満足もしたくなるというものだ。これまで走った連続での最高距離は、 北海道の帯広から小樽積丹を経て函館からフェリーにのり、青森から松戸の家まで走ったという これまたメチャなものがあるが、その時はフェリーで3時間ほど寝ているので、正確には2日 となる。今日は、朝9時から夜11時40分まででの走行距離だ。ただし、ちょっとからくり があって、時差が1時間入っているので1時間ほど余計にもらったことになっている。 これだけ走っても、今日は疲れなかった。今泊まっているモーテルには、キッチンが付いて いたので、サンフランシスコの先輩からもらったラーメンを作って食べたところだ。これが なかなかいけた。またまた感謝である。 さて、なぜ疲れなかったかといえば、これは道々がとても楽しかったからである。 別に隣に美人を乗せて走ったという訳ではない。今日の場合は景色が良き道連れだったのだ。 まず、マニトバ州からの道。これは、とても広くて気持ちよく走れた。これまでの、オンタリ オ州の道は狭く、アップダウンが多い上に工事中の嵐。一生懸命走ったつもりでも、データを 見てがっくりという事が多かった。
マニトバでは、道幅、路肩共広いので気をつかわずに済む。また、ただそれだけならあの爆走 地帯ケベックもそれに近いのだが、こちらは景色が凄い。私が走った道は、「イエローハット・ ルート」と呼ばれる16号線である。この道は、マニトバ・サスカチワン・アルバータの中央 部を横切っている。同じような道に1号線があり、こちらが幹線らしいので、この16号線は 日本でいえば「中山道」という訳だ。中山道(中央高速)の売りはアルプスだろうが、この 16号線の売りは「菜の花」である。
「一面の菜の花、一面の菜の花...」なんて詩を見掛けた事があるけれど、その作者はこの 景色を見た事があるだろうか。この一帯の航空写真をとれば、きっと甲子園のアルプスからラ イトスタンドにかけてを撮ったのと同じ様になるだろう。もう、一面まっ黄っ黄なのである。 タイガースファンの常か、黄色をみれば燃えてしまうタチなので、心よくドライブ出来たと 言ってよい。(ほんまかいな...) 次は、移り行く雲である。これが実に美しかった。
大きなキノコ雲のようなサスカチワンの雲のあとは、 アルバータの夕暮れを彩る、まさに絵に書いたような 空の作品。 こんな展覧会が、ちょっと空を見上げればみられるだ から、道で疲れるなんて暇はないのだ。次から次へと 興味のある絵を見せてくれる。 この旅行で、よく雲の写真をとった。アメリカ大陸の 雲はとても面白い。そして、ただ走っていると、その 雲をさまざまな方向から見る事になる。雲というのは 見る方向で全然ちがう表情を持っている事に気付く。 それにしても、なぜああいう風に、いろいろな形に なるのだろうか? などと、独り言を言いながら走っていけば、目的地はあっという間という訳である。

7月10日(木)

 世界最大?を、また見る事ができた。 こういう物の最大を計ることは出来ないだろうから、いろいろな意見もあると思うが、今日 訪れたウエスト・エドモントン・モールは、それはものすごい商用施設であった。 何かのドキュメンタリーで見た事がある。このモールは、たしか工場の廃屋を改造したもの だと記憶している。大きいとは聞いていたが、これほどとは...
いきなりサンタマリア号がでんと座っている。その隣では、イルカのショウだ。それらが あるプールには、なんと潜水艦が走っていて、水族館などのアトラクションを水の中から 見る事ができる。それだけではない。波のでる大きなプールがあるかと思えば、カナダら しくホッケーもできるアリーナもある。
これで終わりかと思えば、まだあった。なんと、遊園地が建物のなかにすっぽりと収まって いるのである。なかでもジェットコースターの迫力は、凄いの一言だ。私は、この手のものが 苦手なので乗らなかったが、見ているだけで恐くなったのはこれが初めてだ。回るはねじれ るは逆さまになるわ...おまけに逆さま方向に連結されている車両まである。あれに乗って いる人は、よほど欲求不満がたまっているのに違いない。
もちろんこのモールには、たくさんの店が軒を連ねている。中の一つであるカナディアン・ タイヤという、以前にも紹介したいわゆる日本の「オートバックス」で、車の前輪の点検と オイル交換をしていたので、ゆっくりこのモールを楽しめたわけだ。しかし、そのツケは 大きく、今日はわずか150kmしか走っていないし、たくさん買い物をしてまた金を 使ってしまった。 ま、たまにはこんな日がないと、旅行も味気ないではないか。もう残り僅かだ。 楽しむとしよう。 TOPへ戻る
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