Last update on Oct.17th,2004



BBC PROMS 2004




BBC PROMS にいたる道

7月22日 PROM 8 はじめてのPROMS

7月23日 PROM 9 ちゃんと解説を読みましょう!

7月24日 PROM10 デビューしました!

7月25日 PROM11 前衛と笑い

7月30日 PROM19 これは変だ!

7月31日 PROM20 聴衆の質

7月31日 PROM21 ガス欠の巻

8月 6日 PROM29 日本人と英国人と??人

8月 6日 PROM30 ご苦労様!

8月 7日 PROM31 老若男女で楽しむ音楽

8月12日 PROM37 限界効用逓減の法則?

8月13日 PROM38 誰にとって13日の金曜日?

8月14日 PROM39 さぁ、踊りましょう!

8月15日 PROM40 考えれば考えるほど...

8月23日 PROM50 ふるい夢、新しい夢

8月23日 PROM51 観客は少なくても

8月24日 PROM52 いつかどこかで!

8月25日 PROM53 みんなで楽しく!

8月26日 PROM55 人を楽しませるという事

8月27日 PROM56 たまにはこんな事もある

8月30日 PROM59 機会は捨ててはいけない

8月30日 PROM60 神様の授けて下さった物

9月 3日 PROM64 ハイティンクで「長唄?」を聴く

9月 3日 PROM65 ブーレーズを見た!

9月 4日 PROM66 最高の贅沢に欠けたもの

9月 5日 PROM67 立った!聴いた!感動した!

9月 6日 PROM68 北斎の表紙とフランス音楽

9月 9日 PROM72 葬礼や!そうれんや!

9月10日 PROM73 柳の下のどじょう

9月11日 PROM74 ザ・ラストナイト 2004









BBC PROMSにいたる道


2004年のBBC PROMSが始まった。 HomePage = http://www.bbc.co.uk/proms/ 英国滞在記の本編にも書いたが、この音楽祭を聞きに行く事は、滞在先を英国に選んだ大きな理由のひとつ なのである。パブで歌っているキッカケとなった「希望と栄光の国」という歌。この歌を英国人が好んで 歌う事を亡き義伯父が紹介してくれたビデオ、それがPROMSの映像だった。 「ひとつこの歌詞を覚えてやろう」 と、記憶力においてはまったく自信のないわたしが、なぜかこの歌詞を覚えた理由のひとつには、「いつか あそこで歌ってみたい」というおぼろげなイメージがあったからでもある。 そして、日本をたつ前に英国には6ヶ月しか滞在できない事を知って、英国大使館員の人に「それではプロ ムスを聞く事ができないんです。。。」とつぶやいたのも事実だ。もちろん、何の抵抗にもならなかったが。 結果的には、この歌詞を覚えていたことから水曜日にパブで歌うという楽しい習慣ができ、そしてビザの 延長もうまくいったため、PROMSのシーズンに英国にまだ滞在することができている。 本当にありがたく、神様に感謝する事以外なにもない。 さてエルガーの行進曲「威風堂々第一番」は、クラシック好きなひとでなくても良く知っている有名な曲だ。 サビの部分の美しさは、時の国王がエルガーに対し「君は歴史に残るメロディーを作ったようだね」という 賛辞を伝え、そして次の国王の戴冠式で「戴冠式頌歌」の主旋律として使われることになる。 「希望と栄光の国」は、「威風堂々第一番」のサビをそのまま使って歌われるので、「戴冠式頌歌」とは 若干ことなるが、英国人がとても大事にしているメロディーであることは間違いない。 わたしが、パブでこの歌を歌うとき、英国人の多くは、まるでキリスト教徒がワーシップソングを歌うとき のように、両手を大きく掲げて、ゆらしながらこの歌を聞き、そして歌う。 PROMSは英国において夏の期間に開かれる、世の多くの人に音楽を広める考えによって始まった音楽祭 の総称であるが、各地で開かれるPROMSの最終日には必ずこの「希望と栄光の国」が演奏され、聴衆が 歌うことになっているのである。 (わたしが住むトーベイ一帯でもどこかでやってると、パブのおばあちゃんに聞いた。) そしてその中でもっとも有名なのが、BBC PROMSだ。 ホームページによると、PROMSはクイーンズ・ホールのマネージャーだったロバート・ニューマンの発案 と、弱冠26歳の音楽家ヘンリー・ウッドの指揮によって1895年に始まった。 PROMとは、Promenade Concert (プロムナード コンサート)この場合、劇場のプロムナードつまり、 聴衆が歩く道で開かれるコンサートというわけである。 そして、1927年からBBCがこの「本家」PROMSの運営をするようになったとしている。 BBCは、毎夏BBC PROMSとしてロンドンのロイヤルアルバートホール(戦災によってクイーンズ・ ホールが失われた為、1941年のシーズンより使用されるようになった)を使い、クラシック音楽を 約2ヶ月にわたって毎日演奏する音楽祭を行う。世界各国から有名な楽団が訪れ、多数の名曲を奏でるので ある。そして、最終日にはBBC交響楽団による「威風堂々第一番」が演奏され、サビの部分では聴衆が歌う ことになっているのだ。サビの部分以外の行進曲で聴衆は、ひざを折り曲げる珍妙な踊りでリズムをとるという のも習慣になっている。 そして、このBBC PROMSの大きな特徴として、先ほど書いたPROMSの精神にのっとり、「安い 値段で良質の音楽」を提供するために、ロイヤルアルバートホールの観客席の最下部に当たる広い部分と、 天井に一番近い回廊部分を立見席として開放し、4ポンド程度の入場料で聞く事ができるようにしているので ある。だから、最終日に行進曲を聴いて踊っているのは、まさに「立っている」からできるわけだ。 これをPrommingというらしい。 PROMS自体、大変有名なクラシックの名曲から、新鋭作曲家の発表にいたるまで多くの曲を演奏する為、 大変人気がある。そしてもちろん、最終日つまり「ラストナイト」と呼ばれるプログラムは、チケットを 確保するのが大変難しいと聞いていた。 わたしにとっては、この「ラストナイト」こそ重要なので、なんとか確実に確保する方法が無いかと色々 検討したところ、「シーズンチケット」なるものを見つけたのである。 これは、基本的には先ほど書いた「立見席」で全期間通して聞く事ができるというもの。 しかし、素晴らしい特典がついている。 「一般の立見席の券で入場するひとより10分早く入場できる」という特典だ。 「シーズンチケット」の価格は160ポンドと高額であるけれど、日本で少々有名な楽団のコンサートを 聴いたら2回分しない額であるから、目的を達する上ではそんなに痛くない。 ラストナイト以外にも、自分の好きな作曲家、作品、オーケストラが一杯登場しているから、良いものが あればロンドンに行って聞けばよいわけである。(ロンドン行きの費用、滞在費なども馬鹿にはならないが、 お金というものには使ってよいタイミングというのは必ずあると信じている。) 早速ホームページよりシーズンチケットを手配した。写真を2枚送れということで、ビザに使った写真の 残りを送り、アイルランド旅行から帰ってみると待望の「醜い男の写真付きシーズンパス」が送られて来て いた。 実は、ホームページからオーダーをしたとき、「写真2枚の送り先は、オーダーフォームの何ページ目かに 書いてあります」なんて書いてあったのに出てこなかったので、心配になってすぐに、質問先とされている メールアドレスにメールを書いた。すると、送付先の返事が来たので、そこに写真を送ったという按配だ。 質問のメールには、 「何か間違っていることをしていたらすぐ教えてください。この文章の英語以外で」 などという冗談を一生懸命書いたのに、返事はただ「ここに送れ」だけだったのが少々残念だったのだが。 さて、今年のPROMSは7月16日から、9月11日まで開かれる。 一日も休みなく、BBC交響楽団を初めとする世界のオーケストラがクラシック音楽を奏で続けるのだ。 わたしが最初に選んだ演目は、「ラヴェルのピアノ協奏曲」と「ストラヴィンスキーの火の鳥」が入った 7月22日木曜夜のPROM8(ひとつのプログラムをPROMとしてくくり、1から74までの番号が ふられています)だった。 金曜は学校があるのだが、「PROMSを聞きに行きます」と先生にいってお休みにした。 ロンドンへは列車で3時間ちょっと、木曜学校が昼までに終わり、家に帰って準備をして、14時17分 発にのって、17時20分くらいにロンドンに着く。これは一番早い列車で「トーベイエクスプレス」と 言われているが、値段は同じである。 これからPROMSを通じて、どんな体験ができるものかとても楽しみである。 初めにお断りしておくが、わたしは音楽の専門家ではないので、簡単な音楽の用語すらおそらく理解でき ない。「サビ」とか「最後」とか、音楽を専門でやるひとなら目をむきそうな言葉を使って思いのたけを 伝えさせていただくことをお許しいただきたく思う。 音楽のことを書かないことのほうが多いかもしれない。


7月22日 PROM 8


7.30pm - c9.50pm John Casken Symphony 'Broken Consort' (c35 mins) BBC commission: world premiere Ravel Piano Concerto in G major (22 mins) interval Stravinsky The Firebird (47 mins) Pierre-Laurent Aimard piano BBC Philharmonic Gianandrea Noseda conductor さて、ロイヤルアルバートホールへやってきた。 わたしの場合は、シーズンチケットでかつ「ARENA」と呼ばれるホールのようするに床の部分で聴く人用の 行列に参加しなければならない。ガイドブックに場所が書いてあったのだが、物事を初めてするときには 何事でも難しいものだ。 「ARENAシーズンチケット」とかかれた札の下にいって、赤い制服を着たわかい女性に、 「ありーなノしーずんちけっとワドコニナラブノ?」 と簡単な英語で訊いたが、おねえさんは「ちょっとまって」とかいって、なにやら問い合わせたりしてい るので、これは妙な質問をしたようにとられたかもしれないと、そそくさと自分で書いてあったことを 頼りに行列を探し始めた。なぜガイドブックを持っていないかといえば、例のごとくテロの影響らしく、 「ブリーフケースほどのものしか持ってはいっちゃ駄目。それ以外は預けてもらいます。」 というレターを郵便で受け取っていたので、預けるのがうっとおしいから小さな折り畳み傘がぎりぎり 入る小さなポーチ様のものしか持ってきていたかったのである。 当然ガイドブックなどは入らない。 シーズンチケット持ち主は、一般の行列の人より10分早く入場させてもらえるが、集合時間に遅れたら 一般と同じ扱いになるのである。入場時間は開演の45分前なので、余裕をみて1時間前に行列していた なら、この特権が使えるというわけだが、時はすでに6時を大きく廻り、7時30分の開演から考えれば 少々危ない時間になっていた。 「ココガギョウレツノサイゴアルカ?」 なんて、「エクスキューズミー」とも言わずに訊いて廻る。 今思えば「サンキュー」も言わなかったかもしれない。 そう、かなりあせっていた。 こう書くと、広い広い場所で何かを探すような話に聞えるかもしれない。 実際は上の右側の写真の右隅にぱらぱらといる人たちが、わたしの探していた「行列」である。 左側の壁にも実際には我々のそれよりかなり長い行列があり、それが「ARENA」の一般用行列だ。 拙い英語の結果、なんとかその行列の最後に並び、本などを読んでいると、係りの人が来てシーズンチケッ トの提示を求め、バーコードをスキャンしてくれる。この頃になると、行列も写真のようなばらばらから かなり整然としたものになっていた。 面白いのは、写真の頃のばらばらの行列のとき、みな適当に自分の荷物を置いてどこかへ行っている事で ある。外国では自分の荷物は肌身離さないのが常識なんていうが、この場所では通じないらしい。 さて、入場が始まった。 みんなあのレターを受け取っているはずなのに、中にはかなり大きなバッグを持ってきている人もいる。 かといって、クロークに預けに行くわけでもなく、その場で中身のチェックを受けて持ち込んでいる。 何のことは無いレターまでまいたわりには、かなりエエかげんなものなのである。 エエカゲンといえば、写真もそうだ。 「写真を撮ったり録音したりしてはいけません」 と、シーズンチケットの裏に書いてある。 ところが、ホールの中ではフラッシュがあちこちで光る。 となりに座ったアジア系の男があまりにパチパチとフラッシュを光らせるので、目の前にいる係りの人に 訊いて見ることにした。 「アノ...トッテモショウモナイシツモンガアルアル。シャシントッテモイイアル?」 係りの人曰く、 「音楽が始まったら駄目だけど、それ以外の時はいいわよ」 なんじゃそりゃ! と、いうわけで、このページのバックを含め、いくつかの館内の様子を撮る事ができたというわけである。 (写真は翌日のPROM 9のときのものです) 入場してアリーナに入る。 ステージに近いところに、行列の前のほうに並んでいた人々はほとんど陣取っている。 しかし、わたしはクラシック音楽を生で聴く上においては、あまり楽団に近すぎないほうがよいという考え を持っているので、わざと間を空けて地べたに座り込んだ。 こういうのも「10分前入場」の優先権があるからできる事である。 となりの男性は完全に寝そべって、青く光る天井を眺めていた。 しかし、開演の10分前ほどになると、「皆さん立ち上がって詰めてください」なんて係りの人が言うので みんな仕方なく立ち上がる。さて、これからが長丁場である。 初めの曲は良くわからない曲だった。 アコーディオンがなったり、電子バイオリンがなったり、綺麗な音ではあったが印象にはのこらない。 これもコンサートである。 続いてのラヴェルの「ピアノ協奏曲」は、自分の大好きな曲でもあり、また素晴らしい演奏だった。 トランペット奏者が始まる前に、難しいフレーズを一生懸命練習していたのが印象深い。 通常楽章ごとの拍手は起こらないのだが、1楽章が終わったとき、しずかに沸き立つような拍手が起こった。 これは無知からくるものではなく、拍手せざるにはおれない人々が起こしたものだと思った。 ストラヴィンスキーの「火の鳥」 この曲のフィナーレは、クラシック音楽数ある中で、もっとも壮大なものの一つだと思う。 気合を入れたくなるようなときにとても有効だ。 今回の指揮者ナセーダ氏は、このフィナーレを特に壮大なものにするためかと思うのだが、いままで聴いた なかでもっとも一音符を長く扱っていた。 その効果は素晴らしく、曲が終わると同時に割れんばかりの歓声と大拍手が会場を包んだのである。 ホテルへの帰りの道、火の鳥がまだ頭の中を飛び回っていた。 これは素晴らしい機会が今後も待っているという確信を持って、蒸し暑い夜のロンドンを歩いた。 (まずはここまでということで...次回は、ラストナイトを待たずに...です)


7月23日 PROM 9


7.30pm - c10.05pm De Grigny, orch. Benjamin Livre d'orgue ? R?cit de tierce en taille (world premiere) (5 mins) George Benjamin Palimpsest I and II (20 mins) interval Messiaen Des canyons aux ?toiles... (95 mins) Ueli Wiget piano Simon Breyer horn Rumi Ogawa xylorimba Rainer R?mer glockenspiel Ensemble Modern George Benjamin conductor 今日のプログラムは、土曜日の夜にストラビンスキーの「ペトルーシュカ」があるので、ロンドンに滞在し ていることから、「券もあることだし行ってみるか」などというノリだった。 解説をチラッとみれば、指揮者の人(ジョージ・ベンジャミン)がアレンジしたり作曲したと、メシアンと いう現代では巨人といわれている人の音楽で、しかし残念ながら聞いたことも無かったからである。 ただ、クラシック音楽の中でも「彩り」のある曲が好きなわたしは、現代のクラシック音楽も極端な前衛を 除いて、基本的に聴くのは全然抵抗が無いし、たまに自分の好みの音楽に出会う事もあるから、楽しみで なかったわけでも決して無かった。 Prommingの行列(英国ではおなじみの言葉「キュー(行列)」ですね)も、金曜の夜だからか曲が そんな按配だからか、昨日に比べて圧倒的に短い。会場に入っても、ステージから遠い席には空席が目立つ。 PROMSとてこんな状況もあるわけだ。 初めの2曲は、鉄琴や木琴が非常に活躍する音楽であり、きらびやかで心地よかったが、現代音楽らしく メロディーが大事にされていないので、長い時間を聞くのはつらい。 こちとら立ちっぱなしなのだから、我慢できる範囲が非常に狭くなっているのだ。 残念ながら、CDが欲しいとは思わなかった。 さて、メシアンの曲になった。 これは素晴らしかった! と、レポートには書こうと曲の途中までは考えていた。途中までは... やはりある世界のある時代を築いた人の作品というのは、たとえ難しい類のクラシック音楽といえ、指揮者 の方には失礼であるが、前の2曲と比べれば段違いに素晴らしかった。 それはメシアンの生きた時代が、わたしの好きなストラヴィンスキーやラヴェルの時代により近いという理由 だけなのかもしれない。 風の音や、波の音が、それぞれ回転式の音を作る機械や、砂利を使って再現しているあたりは、現代らしい? 試みにあふれる作品であり、それらの音も素人が聞いても決して「おかしい」とか「きをてらっている」など という感じにはならず、自然に音楽に取り込まれているように思えた。 ピアノやホルンのソロパートが登場し、それぞれ単品としても充分聞ける音楽だと思った。 しかし、ただ...たいへんなことになったのである。 わたしは自然にできた列の前から10列以内のところに立って聞いていた。 曲が始まってだいぶたったころ、曲は演奏されているというのに、失礼にも二人ほどの人が一番前の列に割り 込んできた。最近このホームページでよく話題にする「礼儀を忘れたイギリス」がまた起こったのかなと、 イライラしていると... なんとそれは救護班だった。 音を立てないように努力しているようだが、どうしても袋を開けたりする音が聞えてくる。 どうするのか見ていると、最後にいすを運び込んで、「簡易席」を作って座らせたようだ。 あとで見たら年配の女性だった。 注意深くこの記録を見ておられた方や、この音楽を知っておられる方はお気づきになったかもしれない。 そう、この曲はとても長いのである。 Messiaen Des canyons aux ?toiles... (95 mins) 周りのひとが、ひとりふたりと座っていくさまは、その曲に対する評価そのものとだったのだろうか? 1時間を過ぎたころ、わたしも根負けして、わたしのところから良く見える、ピアノ奏者の譜面の残りページ の量ばかりを気にし始めた。 メシアンさん!いくらユタ州の峡谷に感動した(らしい)からといって、言いたいことが多すぎまっせ! 芸術家である以上、「言いたいことは言う。聴衆のことなんて気にしない!」のだろうが、なんとか もうちょっと縮めて欲しかった。そうすれば、もっともっと多くの人に支持されたのではないか? と、まあ、勝手なことに思い巡らせながら、ある反省をした。 そう、どんな曲が何分くらいあるかくらい、聴く前にちゃんと調べとけ!という事だ。 知ってたら、最後までちゃんとペース配分して気分よく聴けたかもしれない。 疲れたが、良い薬になった。 そうはいえ、このコンサートを聴いて、もっとメシアンの音楽を聴いてみたくなったのは事実。 ますます、今後時間の許す限りロンドンに来てPROMSを楽しもうという気持ちが深まったのである。


7月24日 PROM10


(Prom 10: Blue Peter Prom) 11.00am - c1.00pm Hope Blue Peter theme (3 mins) Strauss Also sprach Zarathustra (excerpt) (3.5 mins) Tchaikovsky Nutcracker, Op.71 - Divertissement, Tea (Chinese Dance) (1 min) Tchaikovsky Nutcracker, Op.71 - Divertissement, Trepak (Russian Dance) (1.5 mins) Beatles arr. Peter Willmott Medley (5 mins) Stravinsky The Firebird (5 mins) Lion Dance * (8 mins) Adams Short Ride in a Fast Machine (5 mins) interval Taiko drumming piece + (8 mins) Ravel Bolero (7 mins) Arr. Neaum orch. Willmott Sakura (4 mins) Williams Harry Potter (Hedwig's Theme) (5 mins) Elgar Pomp and Circumstance March No. 1 (5 mins) Hope Blue Peter theme Liz Barker presenter Simon Thomas presenter Kagemusha Taiko drummers + Choy Lee Fut Kung Fu School * City of Birmingham Youth Chorus BBC Philharmonic Gianandrea Noseda conductor Jason Lai conductor 今日のPROMSは、朝と夕の2回ある。 朝のPROMのプログラムを見ると、影武者太鼓がどうとか書いてあるので、ありゃまこれはパフォーマンスの 日やなと解釈し、昨日同様「どうせロンドンにいるから」のノリで行って見ることにした。 ただ滞在したホテルには目覚ましの設備がなく、今考えればモーニングコールなどを頼めば良かったとは思うが、 「起きれなかったら観光でもしよう」 という考えで、何もせず眠りにつくことにした。 11時開演のPROMを並ぶためには、10時にはホールに行っていなければならないわけである。 幸いにも8時前には目覚め、宿泊代に含まれているパンとシリアルとジュースだけの朝食を食べてから出発した。 時間があるので、ロイヤルアルバートホールの前にあるケンジントン庭園で時間を過ごす。ケンジントン宮殿の 前にある池には、多くの白鳥を初めとする水鳥が優雅に泳いでいる。 行列するときのために持ってきた英語の参考書(日本語)を読んでは、朝の美しい庭園を眺めるというなんとも 贅沢なひと時を過ごしていると、10時が近づいてきたので、行列をしに「いつもの」場所へ向かった。 もう行列も3度目であるから、なれたものである。 おまけに今日は、昨日手に入れた「PROMS」と大書されたTシャツまで着ているから、もはや常連の気分だ。 ところが、なんと「いつもの」場所に行列がない! すわ!時間を間違えたか! と、おもってうろうろすると、今日はすでに入場する1番門の前に小さな行列ができていた。 つまり、初日に係りのお姉さんに行列の場所を聞いて「わかってもらえなかった」場所である。 どういう按配でそちらに行ったのかわからないが、最後の人に確かめてから行列にならぶ。 会場に入ると、なにやら雰囲気が変である。 太鼓を鳴らすらしいステージが、我々の「立つ」べきステージの真ん中を占領しているからではない。 子供の数がとても多いのである。 「プログラムをよく読みましょう」というのが昨日の感想だったのだが、太鼓パフォーマンスに来たつもりが、 またしても何か違うものに来てしまったようだ。 ただ、この文の初めにつけた曲目リストが、ガイドブックに載っていたら、もう少しはわかっていたと思う。 曲目は何ものっていなかったのである。(どんな感じかの説明はついてましたが...) このプログラムは、「Blue Peter PROM」と呼ばれる、子供向けのPROMだった。 難解な音楽ではなく、親しみやすいクラシックや、ハリーポッターのテーマといった映画音楽などをやる催しの様 であり、男女の司会者が聴衆に語りかけながらプログラムを展開する。 英国人による美しい「さくら」の合唱もあったし、意外なことに影武者太鼓はなんと英国人のみの太鼓チーム。 中国の獅子踊りみたいなのもあったが、中身?はやはり西洋人である。 さて、少々恥ずかしいことに、わたしは子供向けという趣向にずっと気づかず、 「楽しんでる〜〜!」 なんていうのに、 「いぇ〜〜ぃ!」 なんて叫んでいた。 英国に来て以来、20代にしか見られないので、それでも良い...というわけでもあるまい。 本題にもどろう。 このプログラムは掛け値なしに素晴らしかった! 太鼓の演奏が終わり、先も書いたとおりプログラムを知らないので、次に何が演奏されるか知らずにいた。 司会者の女性が指揮者と何か話しをしている。オーケストラの席には、ほんの数人の演奏者しか座っていない。 なにやら「団員が怠け者で、遅れてくる」らしいのだが、指揮者は「なんとかやってみましょう!」なんて言ってる。 司会者が脇の椅子にすわると、曲が始まった。小太鼓の音だけがホールに小さく響く。 そう。ラヴェルの「ボレロ」である。 ご存知の方も多いと思うが、この曲は同じメロディーを色々な楽器が少しずつ演奏、あるいは演奏に加わっていき、 最後は大合奏となって終わる有名な管弦楽曲だ。 初めから座っていたフルートに加え、会場のあちこちから「持ち場」のパートを演奏するために楽団員がやってくる。 中にはビール片手に来るもの、地図をみながら来る人、間に合わずに演奏しながら出てきたファゴットなどいろいろだ。 ずっと叩いている小太鼓には、額の汗拭きと、ジュースを口元にもっていくサービスがついた。 ほとんどの楽団員が座り、全員がそろって演奏を始めたように見える。ボレロはずっと単一調の曲なのだが、最後だけ 転調が入る。この転調を聞くと、残念ながら曲は終わるということがわかる。 なんと!転調を聞いた後に、ホールの一番奥の方から、まるで「電車ごっこ」をするようにシーツのようなものにくる まった一団が、一生懸命どたどた走ってきた。そういえば、最後に盛大にドラや大太鼓のパートがある! 彼らは、ほんとうにタッチの差で間に合って、バチを手に取り、ドラや太鼓を打ち鳴らした。 わたしはその手際に感激し、あと曲は数秒残っていたが、大拍手を始めてしまった。なんて素晴らしい趣向だろう! 曲が終わり、大きな拍手のなか、わたしは思わず「サンキュー!」と叫んでいた。 これでこそ 「音 楽」 だ。 クラシック音楽といえば、自分をえらいと見せたいからか、コ難しく解説したがる手合いがいる。 しかし、ロックだろうがポップスだろうが、人が楽しむことができてこそ音楽だと思う。 プロの演奏で、こんなに音を楽しむことができたことに感謝した。 また、こうも思った。 プログラムの演目をみて、「食わず嫌い」をしていたら?あるいは、もともと子供向けとしっていて馬鹿にしたりして いたら?この大感激はなかったのである。 「知らなかったこと」に、こんな感謝したこともなかなか無い体験だった。 そしてこのボレロを聴き終わった瞬間、わたしはこのPROMSを時間が許す限り、少々お金はかかるだろうが、聴き にくることに決めた。 「基本的に金曜と土曜の晩は、道のりに約4時間かけてもこの場に立っていよう」と。 さて、楽しい時間はあっという間に過ぎ、司会者の二人が、「最後の曲です。」なんていい始めた。 「プロムスの中で、何度も何度も演奏された曲で、みんなが一番聞きたがる曲です。」 まさか?と思ったが、彼らが言った曲目は、 Elgar Pomp and Circumstance March No. 1 (Land of Hope and Groly) つまり、「威風堂々第一番(希望と栄光の国)」だった! 「みなさんもわたしが指揮をするので、オーケストラに合わせて歌いましょう!」と、ボレロを指揮していた東洋系の 指揮者であるライ氏が言う。オーケストラ自体を指揮するのは、「火の鳥」を指揮していたナセーダ氏である。 おなじみの曲が始まり、サビを迎える。 一度目に演奏されるメロディーは、オーケストラの演奏を聴くのがならわしで、ライ氏もなにもしない。 繰り返されたメロディーに載せてライ氏が小さく合図すると、ホールの中に歌声が広がる。 Land of Hope and Glory, 希望と栄光のわが祖国よ、 Mother of the Free, 自由の母よ、 How shall we extol thee, who are born of thee? われらは祖国をどんなに誉め称えましょうか、わが祖国に生まれしわれらですが。 Wider still and wider shall thy bounds be set; さらに一層広大にさらに広大にわが領域はきっと拡大されていくのだ。 God, who made thee mighty, make thee mightier yet; 神よ、あなたはわが祖国を強大にされたが、わが祖国をさらに一層強大にされますように。 God, who made thee mighty, make thee mightier yet. 神よ、あなたはわが祖国を強大にされたが、わが祖国をさらに一層強大にされますように。                                                                    (訳:坂井孝彦氏) (http://www.xyj.jp/shonan/24daikan/94.html より引用させていただきました。) もちろん、この歌詞の意味を知らなかったわけではない。 わたしは、この曲をパブで歌うとき、「who are born of thee」の部分を、手を周りの人にむけ、かざしながら歌う。 この日も大きく手を広げ、残念ながらこの歌を自分のものとして歌えないということを示しながら歌った。 曲は一端行進曲に戻り、最後にまたこの偉大なメロディーへと戻ってくるのだが、ここでは高いキーに転調する。 カラオケやパムが伴奏してるわけではないので、「ここは下げて頂戴」というわけには行かない。 「まぁいいや!ラストナイトで歌うのに丁度良い練習やわ!」 と、かなりきついキーではあるが、ひとまず裏声を使うわずオクターブ下げることもせず、そのまま歌う。 幸い、キーそのものはなんとか歌いきれた。 しかし、なんせ広いところで歌うので、声の出し方に際限がない。 息継ぎのポイントがいつもにもまして難しいことがわかった。 曲は終わり、みなで拍手する。 そしてここでも、ラストナイトの練習だ。 「みなさん!もう一回歌いたいですかぁ!」 オーケストラは、最後の部分を演奏し、今度は心なしか前のより合唱のボリュームがあがったように思った。 観客席にいた子供が、たくさん我々の立っている「ARENA」におりてくる。 みんなで歌い終わると、天井から風船が一杯降ってきた。 なるほどみんなそれを知っていたのでやってきたのかと、拍手をしながら風船の奪い合いをみていた。 わたしにとっては、勝手に「ロイヤルアルバートホール」デビューを果たしたことに、大満足しながら、そして、 風船の山をみて「もしかして場違いな奴が大声で歌ってたのかな?」などとも思いながら、会場を後にした。 外はまだ昼過ぎだ。一仕事?してお腹もすいたし、ハンバーガーでも食べに行くとしよう。


7月24日 PROM11


7.30pm - c9.35pm Bernstein Chichester Psalms (19 mins) Ives Symphony No. 4 (33 mins) (Clive Williamson - piano) interval Stravinsky Petrushka (1947 version) (34 mins) (Leon McCawley - piano) David Stark treble City of Birmingham Symphony Chorus City of Birmingham Symphony Orchestra Sakari Oramo conductor 朝の大感激も覚めやらぬまま、夕方の普通の「大人のPROM」に出かける。 楽しみはストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」であるが、アイブスの交響曲にも少々興味があった。 現代の作曲家であるから、またしても「興味深い」曲を聴かせてもらえると思ったのだ。 今回の行列は、前日に比べて人気があるようで、沢山の人が並びに来ていた。 会場に入っても、空席はそんなに目立たない。 土曜だからか、メシアンよりストラヴィンスキーのほうが人気があるからかはわからない。 個人的には3日目ともなると、拍手のし過ぎかたたきどころが悪かったか、手のひらが痛んでいる。 それでも現れた楽団、指揮者に一生懸命拍手をしていると、曲が始まる。 レナード・バーンスタインといえば、指揮者そして「ウエストサイド物語」の作曲家として有名だった。 わたしがクラシック音楽を聴き始めた頃は現役バリバリの指揮者だったが、もう亡くなって14年もたつのか と、資料をみて驚いている。 今日の曲目は宗教曲であり、混声合唱と少年の独唱が入るごく美しい音楽だった。 人間の声というのは、たしかに楽器としても素晴らしいものだと改めて思う。 アイブスの交響曲第4番が始まる前、指揮者のオラモ氏が登場したので拍手をしていると、突然何か言い始めた。 「小さな悪いニュースがあります。オルガンが故障しまして、オルガンのパートはシンセサイザーで演奏します」 なんと、まぁ。今朝の子供向けでは、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭、 つまり「2001年宇宙の旅」で有名なファンファーレを荘厳に鳴らしていた、英国最大級のオルガンが故障した らしい。 ことし3年にわたる修理を経て復活したことが話題のひとつだったのだから、これは大変なことだ。 早くなおさないと、この後オルガンのプログラムを楽しみにしている人が心配するだろう。 さて、この曲はなんともいえないものだった。 2つ目の楽章。それはおもちゃ箱をひっくり返したような音楽だった。 良くぞまあこんなにごちゃごちゃな音楽を作れたもんだというほど、ジャガジャガと響いた。 終わったとき、我々聴衆は顔を見合わせ、わたしも含めた数人は「クック...」と思わず笑っていたのである。 買ったプログラムを後で眺めてみると、作曲者自身のコメントとして、「これは人生というコメディーだ」なんて 事が書かれていたので、わたしたちが笑ったのは作曲者の意図をちゃんと理解できたのかもしらんと納得した。 最後「ペトルーシュカ」は、知っている曲だから安心して聴けた。 そして期待通り大変楽しませてもらったので、痛む手を押して皆と拍手をしていると、なんとアンコールを演奏し てくれた。後で録画していたBBCの映像を確認したら、ストラヴィンスキーの小品とのことだった。 終わってみると、一番楽しんで聴いたのは「おもちゃ箱をひっくり返した」アイブスの音楽だった。 こういった機会でもないかぎり、聴く事はまず無かったと思う。 さて来週は、ちょっと時代がさかのぼってリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」、チャイコフスキーの交響曲 第6番「悲愴」が聴ける予定だ。指揮者はマリス・ヤンソンス。 思えばもう20年も前になるのだが、エフゲニ・ムラヴィンスキーという大指揮者が大阪に来ることになり、母親に 銭を借りてチケットを手に入れたが、なんと取りやめになって、かわりに来たのが若手のヤンソンス氏だった。 今回、どんな演奏を聴かせていただけるものか、今からとても楽しみである。


7月30日 PROM19


7.30pm - c9.30pm Dvorak Symphony No. 8 in G major (38 mins) interval Richard Strauss Ein Heldenleben (44 mins) Bavarian Radio Symphony Orchestra Mariss Jansons conductor 毎週ロンドンに来ると決めたものの、毎週となるとやはり少々疲れる。 今後、週末に疲れを一杯作って学校に通いながら疲れをとり、また音楽を聴きに来るといった按配になりそうだ。 少なくとも今週はそんな感じだった。 今週末予約したホテルは、ロイヤルアルバートホールの近くなので、パディントンの駅からケンジントン庭園を 突破し、ホールを横目に見ながらホテルへと歩いた。 ホテルの受付で、スペイン人と見られる男が、なにやらややこしそうな質問をずっとしていて、チェックインが できない。金曜の午後、ぎりぎりのスケジュールで来ているわけであるから、下手をすれば行列に間に合わなく なってしまう。しかしながら、そのホテルはロンドン滞在何回目かにして初の素晴らしい設備がロビーに設置さ れていたので、さほどイライラせずに待つ事ができた。 それは、「クーラー」である。 このページには書いていないようだ。 ロンドンは、わたしの住んでいるペイントンにくらべて、格段に「蒸し暑い」のである。 ロイヤルアルバートホールの中も、大抵少々暑さを感じるので、いつも扇子を持ち歩いていて大変重宝している。 日本人らしくといいたいところだが、ホールのいたるところで扇子をひらひらさせている西洋人を見かけるので、 扇子ももう日本特有なんていえないのかもしれない。 さて、かなりの距離をリュック背負って歩いてきたので、このクーラーはありがたかった。 やっと男の話が終わって、チェックインを済ませホールに向かう。 歩いて10分ほどで到着したが、なんと行列がない! これはやばいのである。前回行列が無かったときは、明らかに時間が早くまた、その日だけ行列の場所が違って いたわけだが、今回はぎりぎりなので行列がないというのは、もしかすると入れないことを意味するのだ。 入場のゲート前まで行ってみると、ありがたいことに行列がまだあった。駆け足で最後尾に並ぶより早く、行列 が動き、入場が始まる。タッチの差、おそらく2分くらいの差で、行列の最後尾に入り込む事ができた。 ホールに入ると、行列の最後尾だったわけであるから、もうすでに多くの人が「よい場所」を占領している。 しかし、この場合、前にも書いたとおり「よい場所」というのは個人個人で考え方が違うので、「オーケストラ から少々離れた中央部分」という「わたしの良い場所」はまだ空いていた。ただし、この日はなぜか立ち見の 「広場(アリーナと呼ばれている)」の真ん中に舞台のようなものが撤収されないままに放置されていた為、 中央部分といっても、左右どちらかに寄らなければならない。 そういう時は、「大きな人が居ないほう」に行く。もちろん、巨人がいると、前が見えないからである。 小柄な女性が何人か見える舞台の右側を選択することにした。 ところが、わたしの前に座った女性には連れがいたようで、あとからこれが腹が立つほど背の高い奴がきた。 厳密に言えばこれは明らかなルール違反である。おそらく彼女がシーズンチケットを持っているので場所取りを したのだろう。この日は、他にも女連れのラテン系と見える男が、開演直前に人並みを押し分けて、前のほうに 行き、放置されている舞台の前部の部分に場所をとった。 酷い事をする奴も居るもんだと思ったが、特に文句を言われている様子もないようだ。 曲が始まった。 ドボルザークの交響曲といえば、「新世界より」がもっとも有名だが、今日は8番の交響曲を楽しむ。 しかし、大男が前にいるのと、どうも金管とパーカッションの音の調律がずれているように思えて、演奏をあま り楽しむ事ができなかった。しかもこの男、非常に汗臭い。まったくかなわん奴である。 休憩に入り、自分のポジションに小さなバッグと鳥打帽を置いて、プログラムとアイスクリーム(食べ物持込禁 なのになぜか売っていた)を買って来て戻ってみると、先の大男が、自分の場所には荷物を置いて、わたしの持物 をまたぐようにして座っている。 「エクスキューズミー」といってバッグを指差したら、なんとそれを投げてよこした。 PROMSを聞きにくるような奴にも酷い奴がいるものだ。 自分の大好きな曲である「英雄の生涯」が始まっても、しばらく腹が立って曲に入っていけない。 と、なんとオーケストラの上の電灯が、指揮者の部分の一部を残して消えてしまったのである。 オーケストラは一瞬揺らいだものの、薄明かりの中を見事に演奏し続けた。数分後に灯りは復活し、わたしも大男 のしょうもない行動などは忘れて、やっと曲に入っていく事ができたのである。 わたしがずれていると思った金管と打楽器は、やはりまだおかしいように思えた。 特にトロンボーンとホルンの一部が酷いように感じる。 あまり良い演奏ではないと思いつつ、しかし曲そのものの魅力は楽しむ事ができたといったところだろうか。 予想に反して、曲の後には大拍手が起こる。思うに先の大男も含めて、このバーバリア(ドイツの南部)から来た オーケストラを「応援」しにきたのではないだろうか?明らかに異常な反応だったように思ったのである。 普段と違うところは、他にもあった。アンコールを促す拍手のほかに、地面を靴で踏みつける念の入れようだ。 ここまでやることは楽団員が指揮者をたたえるとき以外、あまり見かけない。 わたしは自分の想像力から、この男をドイツの田舎から来た奴と決め、また靴の音もドイツ人が扇動しているとし、 音楽そのものの評価がちゃんとなされていないと憤慨していた。 ところが、靴の音が効いたか、なんと指揮者ヤンソンス氏はこのあと2曲ものアンコールを演奏した。 そして、このアンコールの曲は、トロンボーンやホルンのパートが無かったものか(なんというプロを冒涜する表現 でしょうか??)とても心地よく聴くことができたのである。 あしたも、同じ楽団が演奏する。 ちょっと気が重くなった夜だった。


7月31日 PROM20


7.00pm - c9.00pm Shostakovich Violin Concerto No. 1 in A minor (38 mins) interval Tchaikovsky Symphony No. 6 in B minor, 'Path?tique' (45 mins) Gidon Kremer violin Bavarian Radio Symphony Orchestra Mariss Jansons conductor いつものように1時間前に行列に並ぼうとしたら、ものすごく長い行列ができていた。 超有名な曲がプログラムに入っているからだろうか? しかし今までの経験から、シーズンパスの行列の場合は少々長くても余裕で良いポジションを確保できる事がわかっ ているので、何も不安は感じない。 さて、今日はこの後もうひとつジャズのPROMが予定されている。 どんな風に処理をするのかと思っていたら、事前に「この後の分も聴きますか?」と係りの人が廻ってきて、「ハイ」 と答えると、番号のついた黄色い整理券をくれた。これさえもっていれば、シーズンパスの人はおそらく簡単に入る ことができるのだと思う。ただ、少々不安なので一緒に黄色い紙をもらった人と、ホールの中でも近くにいることに して、行動を共にすることにした。 ホールに入ると、今日は大盛況である。 いつもはゆっくり入ってくるはずの座席の人々も、今日は早くから腰掛けている人が多い。 わたしは、何人かの黄色い紙をもらった人が見える場所に腰をかけて開場を待つ。 と、そこに昨日の「女連れで酷い割り込みをした男」が、今日は一人でわたしの隣に割り込んできた。 オイオイ今日はどこに行くつもりや?と思った瞬間、その男の後方にいた女性が、「わたしの前に立つな」と言った。 すると男はもっと前の方に出て行く。どうなる事やらとおもっていたら、今日は割り込んだ場所の人となにやらやり あっているようだ。男はチケットを持っていることを示し、どうしてそこに来たら駄目なのか?みたいな事を聞いて いるように見える。しかし、それが認められるとしたら、会場の秩序はまったく保てなくなってしまうだろう。 つまり、あとから来ても、無茶をすれば良いところで見れることになってしまうのだから。 やがて、係員が呼ばれた。この辺はゴルフのルール確認に良く似ていて、とても興味深い。 どういう裁定が下るものか興味津々みていたら、男はかなりいろいろ主張していたようだが後方へと下がっていった。 「なるほど、さすが英国、守らせるところは守らせよるわい!」 少々痛快だった。 さて、初めの曲はショスターコビッチのバイオリン協奏曲である。 ギドン・クレメルという巨匠がバイオリンだ。 さすが巨匠だけあって、登場するだけで雰囲気が違ってくる。 となりに立っていた少々言葉の多い男性が、「雰囲気が凄い!」とつぶやいたのには心から同意した。 しかも、演奏はもっと凄かった。 その超絶な技巧と、迫力、音の美しさに圧倒され、曲が終わってしまうのが惜しくてしかたがなかった。 大拍手の中、昨日の「うそやろ?」みたいなのではない床を叩く靴にわたしも参加して、一生懸命床を蹴る。 オーケストラの演奏にも、今日は不満がまったくない。やっぱり、昨日はおかしかったと思う。 そして巨匠は、なんとアンコールを演奏してくれたのである。 これもピチカート(弦をはじく奏法)が沢山盛り込まれた、見るからに手の込んだ小品であり、その一曲を聴くだけ でも価値がある演奏だったのではないだろうか。 20分の休憩を経て、今度はオーケストラと指揮者ヤンソンス氏だけが登場し、チャイコフスキーの最後の仕事であ る交響曲第6番「悲愴」が始まった。 第一楽章の主題は、これまた神がチャイコフスキーを通じて人類に与えてくださったメロディーだと思う。 目を閉じて、音を楽しむ。 さて、この第一楽章には非常に小さい音から、大音響に変わる部分がある。 知らないで聞いていると、かならずビックリして飛び上がることになるから、おもしろそうなので目を開ける。 「じゃん!」 と大音響が響くと、何人かの人の背が一瞬伸びたように見えた。やっぱりビックリしている。 ニヤリとしながら、また目を閉じて音を楽しむ。 第一楽章の最後、先に書いた神さまの贈り物のメロディーが、小さく小さく演奏されて終わるのであるが、その部分は 大変繊細なのでできれば妙な音を立てて欲しくない部分だ。 音がどんどん小さくなっていく。素晴らしい演奏だった...と、思ったとき妙な「カサっ」という音がなんと楽団の 方から響いた。思わず目を開けて見ると、これは確信がもてないのだが、その音の主はBBCのカメラマンだったよう に思う。カメラマンは段取りのメモをめくりながら撮影している。それをめくった音だったとおもうのである。 なぜならば、思わず音のしたほうを見たわたしの目に飛び込んできたのが、メモに触る彼の姿だったからだ。 それが本当かどうかは別にして、あの音が小さくなる瞬間くらいはなんとか音を立てることを我慢できないものかと、 またしても憤慨してしまった。 それにしても、今夜のバーバーリア・ラジオ交響楽団の演奏は素晴らしい。 第二楽章は大満足で終わり、この曲の楽しい部分である第三楽章を迎えた。 「悲愴」という俗称について、その名前の効果を際立たせるもの、それは第三楽章の活気とそれに続く第四楽章の暗さ の対比だろうと思う。しかし、その第三楽章があまりに華々しく終わるので、それを知らない人は、思わず拍手をはじ めてしまい、対比を楽しもうとしている人にははなはだ迷惑ということになりがちなのである。 PROMSのほかの演目でも、楽章ごとに拍手が起こるのを経験していたから、この曲の場合は間違いないだろうと 思っていたが、先も書いたとおりの「対比」を楽しみたいので、できるだけやめて欲しいものだと思っていた。 ところが、である。 素晴らしい演奏で第三楽章が終わった時、大拍手が起こったのは仕方がないとして、「ブラボー!」と叫ぶ人が多く いたのである。もちろん、拍手はなかなか鳴り止まず、まるで曲が終わったかのようになってしまった。 通常こういった場合、「シーーっ」という声?が響き渡り、拍手を抑える。わたしも一生懸命「シーっ」をやったが、 まるで効果が無かった。 「クラシック音楽を小難しく語るな!」とか「音を楽しむのが音楽」とわたしはいつも主張している。 だから聴衆はこの素晴らしい演奏をたのしんだのだから、それでよいではないかというのも一理ある。 しかし、この「ブラボー」はいけないと思う。 「Good Job!」とでも叫んでいたなら、許せたかもしれない。「ブラボー!」は、やはり少々クラシック 音楽を聴くひとの言葉ではないか?それなら、あそこで叫ばれると興ざめをすることくらいわからないものだろうか? そして第四楽章。この悲愴なメロディーを思う存分楽しんで、最後にベースのピチカートが重々しく響きながら、音が 無くなっていく。第一楽章と同じような状況だが、曲の締めであるからなにより重要な部分。さすがに皆音ひとつたて ずに聞き入っている。 あと、2秒もすれば音が聞えなくなると思った瞬間。 「ゴホ!」 咳をした人がいた。そして、オーケストラからの音がなくなった。 指揮者はまだ手を下ろしいていない。ヤンソンス氏の中ではまだ音が鳴っているのだ。 ところが、「パチ」「パチパチ」と拍手が始まってしまう。 その後ヤンソンス氏はしょうがないように手を下ろし、演奏が終わった。 今日の聴衆はひどかった。 こんな質の低い聴衆の中で演奏させられた楽団と指揮者はかわいそうだ。 そして、休憩前と共に素晴らしい演奏だっただけに、なんとも残念な思いをしながら、しかし昨日とはまったく違う 大拍手をして彼らの演奏をたたえた。 アンコールの演奏は無かった。 わたしが指揮者だったとしても、やらなかったと思う。 指揮者が緊張を解く前の拍手はしょうがないかもしれない。これはクラシックを聴く上での知識が必要な部分だ。 しかし、あの咳。 どうしてあのくらいの我慢ができないものか?? それでも、良い演奏だったから満足してないといえば大嘘になる。 楽団とヤンソンス氏に感謝である。 ジャズのPROMがこのあとすぐにあるのだが、黄色い紙を持った人もみな一度ホールを出て行く。 いろんな意味で疲れがひどい。


7月31日 PROM21


10.00pm - c11.45pm 'Out here to swing!' Lincoln Center Jazz Orchestra Wynton Marsalis trumpet/director 番号つきの黄色い紙を持った人は、また別の行列に並ぶ。 ちゃんと番号どおりならぶのかと思ったが、どうもそうでもないように思ったので、中でお知り合いになったロン ドン在住の日本人のご夫婦とお話しをして過ごす。 予想通り、係りの人が黄色い紙の番号は確認せずに、シーズンチケットのバーコードだけを読み取っていった。 会場に入って座ろうとすると、「今日は一杯人が来るので座らないでください」といきなり係りの人に言われる。 見渡すとたしかに、満員かと思えるほどの大盛況だ。 ジャズの演奏が始まり30分ほど聞いたが、もう完全に疲れてしまい、へたり込む。 ゲストの歌手が2人ほど登場したようだ。座ったまま拍手をする。 それでも最後の30分ほどは、とりあえず立って、音をよりよく楽しんだ。 やはり立っている人の林のなかで、座って聞く音はイマイチだった。 と、いうわけで、このPROMについては、あまり書くことがない。 来週は、ドボルザークのチェロ協奏曲が楽しみだ。 あと武満徹の音楽もある。 ただ、会場時間が早いので、列車が遅れないよう祈っていなければならない。 少々不安である。


8月6日 PROM29


7.00pm - c9.10pm Takemitsu Twill by Twilight (11 mins) Dvorak Cello Concerto in B minor (41 mins) interval Ravel Sh?h?razade . trois po?mes (17 mins) Respighi The Pines of Rome (23 mins) Katarina Karneus mezzo-soprano Truls M?rk cello BBC National Orchestra of Wales Tadaaki Otaka conductor 今日はタフな日なのである。 なにしろパディントンについてからホテルにチェックインして、ロイヤルアルバートホールの行列に並ぶ までわずか40分しかない。滞在するホテルは、先週泊まったのと同じホテルなので、場所はわかっている。 ところが地下鉄のめぐり合わせが悪くまず駅で8分以上ロスする。イライラしながら最寄の駅にたどりつき、 リックサックを背負ったまま必死で走るも、とちゅうで歩き始める。長距離走には自信があったのに、いつ のころからかこのていたらくだ。なんとかホテルに駆け込むと、丁度チェックインを終えた人が目に付いた ので、ラッキーとばかりに息を切らしてチェックインしようとすれば、 「申し訳ありませんが、お待ちの方があそこで座っておられます」 と、指差される。 「プロムスに並ぶのでなんとかして!」 と、めちゃくちゃな英語(カタカナにもならない)で騒いだが、待っていたフランス系の言葉を話す中年の カップルは 「わたしは並んでいた」 と答えたので、受付の女性は、「もうしわけありませんが、お待ちください」と椅子を指差した。 しょうがない。武満徹の音楽は聴けないかもしれないと思いつつ、チェックインを待つ。 ところが、この男女の予約が確認できないらしく、先の受付の女性は置くに引っ込んだり電話をかけたりし ている。 「これやからフランスは嫌いである」 と、かってにフランス人と決め付けて心の中で悪態をつきまくっていると、最後にとうとう 「予約が確認できませんので、業者と連絡をとっております。お待ちください」 と受付の女性が彼らに言って、わたしの番になった。 普段から良い人物になろうと努力はしているものの、こういうときには人品骨相が顔を出す。 「What a unfortunate day it is! (なんちゅうつかんひや今日は!)」 と、思わずつぶやきながら受付をした。 急いで部屋に行ってみると、先週とは違いベースメントつまり、道路より低いところにある元来は使用人 部屋であり、先週はやはりついていた朝食が「ついておりません」という表示がついている。 このほかにテレビが壊れていたり、電話線がきていなかったり、散々な部屋だったのだが、おそらくあの 受付の女性が気を利かせて先に受付をしてくれたのに、礼も言わず変な事をつぶやいたので、そんな部屋を あてがったものだろうと考える。(後で確認すると朝食は前回サービスだったようだ。) さて、時計を見るとまだ行列に並べる可能性がある。 それから約500mほどロンドンの街路樹の下をひた走った。今度はリュックを持っていないから、少々 走りやすかったが、それでもすぐに足が前に出なくなる。 途中歩きを少々入れながらそれでも走って、シーズンパス用の入り口にやってくると、まだ受付をしていた。 息せき切ってとはこのことで、バーコードつきチケットを示して読み取ってもらおうとするが、元々震えて いる手が、この時は風に吹かれる枝のごとくであったらしく、係りの人が葉っぱ?を捕まえようとしても、 なかなかうまくいかなくて困った。英国人らしく?「もう、受付終了だからかも?」なんて言う悪い冗談を 冗談ともとれずにチケットをかざしていると、やっと「ピッ!」という音がして受付終了した。 今日も前回同様夜の部があるので、先週の例にならって「夜ノ黄色イ券チョウダイ!」というと、「そうね」 といいながら、がさごそと出してくれ、わたしよりも後から来た人にも「夜も聞きます?」なんて聞いてい る。常連気分を味わいながら会場に行こうとすると、なぜか思いっきり道を間違えて、「そっちじゃないわ よ!」と、階段を指差された。何を考えていることやら! とりあえず席を確保するより、一杯の水が飲みたい。走った後の咳き込みのような気分になっていた。 わたしたちが「立つ」アリーナ席の入り口には、アリーナラウンジといったバーがあり、飲み物を提供して いる。高いのは覚悟のうえで1.8ポンドのソフトドリンクを頼む。ビールのほうが良かったが、この状態 で飲んだら、美味すぎて寝てしまいそうだったのでやめた。 氷の入ったプラスチックのコップに、500ccペットボトルからコーラを注いで飲む。いやはや、世の中 にこんなうまいものがあるものか!と思ったのは、値段が通常の倍以上だったからではあるまい。 会場に無事入り込むと、我々「10分前入場組」が通常確保できるエリアはまだ問題なく空いていた。 大騒ぎだったが、とりあえず予定通りのプログラムを、予定通りの場所で聞けることになった。 今日はアリーナの真ん中に噴水が水音を立てている。おそらく涼を取る意味が大きいのだと思う。 さて、今日の指揮者は尾高忠明氏だ。尾高賞で知られる音楽家尾高尚忠氏を父に持つサラブレッドである。 東京フィルの常任指揮者を長く勤められ、映画音楽3万人リクエストというNHKが放送した番組で指揮を されていたのが尾高氏だった。たしか1980年前後であったので、1947年生まれの氏がまだ30台 前半のころである。わたしは、この番組をカセットテープに録音し、何度も何度も聞いた。今、パブでたま に歌うチャップリンのライムライト「エターナリー」や「慕情」「会議は踊る」はこのとき知ったもので あるし、そしてなんといっても志村喬が出演し自らの黒澤映画での体験を語った「生きる」「七人の侍」を 紹介したコーナーは、少々オーバーであるが、その後の人生をも変えたといってよい。黒澤映画に興味を 持った瞬間であり、「生きる」を見ようと思ったきっかけでもあった。 尾高忠明という名前は、番組の司会をされていた黒柳徹子さんの指揮者を紹介する声と共に、お馴染みだっ た。いまや BBC National Orchestra of Wales の桂冠指揮者という世界的な人物である。 黒髪の童顔だったはずの彼が、白い髪の風格あふれる姿で現れたとき、マリス・ヤンソンス氏のときと同じ 「自分も年齢を重ねてるなぁ」という少々の寂しさとあせりのようなものを再び感じた。 さて、尾高忠明の指揮で武満徹の音楽を、英国の楽団の演奏でロンドンにて聴く。 これもなかなか乙なものである。 Twill by Twilight この曲は初めて聴く。というか、「ノヴェンバー・ステップス」という武満徹の有名な一作が、どうしても 自分の中で受け入れられなかったのと、彼が音楽を担当した黒澤映画「どですかでん」についても、何か 釈然としない印象が強かったので、名声は聞いていても、あまり興味がわかない作曲家だったのである。 BBC National Orchestra of Wales は、とてもきらびやかな音つくりで、この曲を演奏したと思う。とてもとてもよかった! 是非CDを手に入れたいと思う。今まで聞いた現代音楽系の音楽の中では、贔屓目ではなく最高の演奏だっ たように思う。 しかし、あまり拍手はこなかった。 次の曲がものすごく有名なドヴォルザークのチェロ協奏曲であり、まったく毛色の違った音楽なので、よく わからない人が多かったのかもしれないと思う。偉そうな表現かもしれないが。 また、この尾高忠明氏というのが、大変「日本人らしい?」人で、曲が終わって拍手をもらっていても、 すぐに引っ込んでしまい、また出てきても指揮台に上がってこず、オーケストラの中にまぎれているから、 拍手もしにくいのかとおもった。 さて、ここで事件が起こった。 「英雄の生涯」の時に書いた大男とおぼしき奴が、曲の始まる直前に目の前に割り込んできたのである。 前にもいた彼女に呼ばれたように見えた。さすがに何か言ってやろうかと思った時、わたしの隣にいた男性 がわたしに「酷い事をするね」と声をかけた。「うん」とでもうなずいたら、曲が始まってしまった。 このチェロ協奏曲は、チェロ協奏曲としておそらくもっとも有名なものだともう。 壮大かつ美しく、チェロという楽器の持つ暖かさがとても感じられる名曲中の名曲だ。 男の背に阻まれて少々うっとおしくはあったが、Truls M?rk 氏のチェロと尾高氏指揮の楽団は、絶妙の コンビネーションで素晴らしい演奏を我々に届けてくれたのである。 曲が終わって、隣の男性が拍手をしながらわたしに耳打ちをした。 「ちゃんと聴けたかい?」 わたしは、今日のツキのなさも感じつつ、ちょっと言ってやろうと思って、 「大丈夫でしたが、彼が英国人でないことを望みます。なぜなら、わたしは英国に英語と文化を勉強しに きているからで、もし彼が英国人なら、わたしは大変失望するでしょう」 などという意味のことを、拍手しながら言った。(もちろんこれもカタカナで表現したいような英語です) すると、彼を呼んだ彼女が気がついて、彼に何事か囁いている。前回も実は気がついていたが、英語で話し をしていない。彼が後ろを向いたとき、隣の男性が彼に話しかけ「そこにいきなり割り込むのは、あまり 良いマナーではないね」といった按配?の言葉をかけたら、彼はわたしに「アイムソーリー」と言った。 わたしは、「問題ないよ」と、日本人らしく?しかし目も見ずにつぶやいた。 彼らは、気まずそうに後ろへ下がっていったが、この後わたしはまたしても後悔する。 「問題ないといったときに、「この曲は君らにあげたから、次のラヴェルはわたしにちょうだい」とでも 言えば、お互い気まずくなくてすんだのにな。」と。 どうも、後からうまいアイデアが浮かんでくるので困ったものだ。言っておけばかっこよかったと思うが。 さて、隣の男性と話が弾んだ。彼の息子さんが、この楽団でバイオリンを弾いているとのことで、彼はその 「サポーター」であると言う。典型的英国紳士といった感じの、物腰のとても柔らかな方で、しばらく音楽 の話題やPROMSの話題お話しをしたのである。 突然、彼のとなりにおられた、ご自身もフルートを演奏されるという彼の奥さんがわたしにいった。 「彼は英国人じゃないわよ。おそらくバーバリア人よ!」 ドイツ人ですらバーバリアといえば田舎者という感じでみているのを学校で知っていたが、前回のバッグを 投げつけてよこした男が彼と同一人物だったとすれば、この奥さんの読みは非常に信憑性がある。 もちろん、前回彼?にであったのが、バーバリアのオーケストラの演奏だったからである。他に他意はない。 (後記:是非、英国滞在記3「バーバリアンって」をごらんいただきたく思います。     もしかしたら私、とんでもない間違いをしていたのかも...) わたしが後悔したというときに考えたという表現、つまり「次はラヴェルだから」というのは本意だった。 休憩が終わり、大男が目の前から消えてなくなったあと、メゾソプラノの Katarina Karneus さんが登場 して、ラヴェルの美しい「シェーラザード」を楽団とともに歌った。 ラヴェルの音楽はどうしてこうもきらびやかなのだろうか? 夢のような時間があっという間に過ぎて、会場は拍手でつつまれた。 歌手の女性は何度も前に出てくるのに、尾高氏はオーケストラの中で止まって拍手をしている。 こんな妙な指揮者ははじめてだ。 隣の男性が言う。「わたしは尾高忠明が大好きなんだよ。彼はとても控えめで好感がもてるんだ。」 息子さんが所属する楽団の桂冠指揮者であるからには、彼も尾高忠明指揮の演奏を何度も聴いているにちが いない。音楽の世界で日本人がどうだこうだというのは、あまり面白くない話かもしれないが、やはり日本人 のひとりとして、その国民性ともいえる行動に好感を持ってもらえている外国の人がいることが、なにやら とても嬉しかった。 オーケストラの編成が変わって、尾高氏が登場し、聴衆にほんの一礼だけしたかとおもうと、くるっと反転し て曲が始まった。レスピーギの「ローマの松」。これまた有名な一曲である。 武満徹とラヴェルの演奏で、このオーケストラの響きにとても好感を持っていたわたしは、この曲もとても 楽しみにしていた。これもとてもきらびやかな曲だからである。 そして、期待通りの時間が過ぎ、雄大なフィナーレを向かえ、今日一番の歓声と拍手が会場を揺るがせた。 尾高氏はアンコールの拍手の中、両手を合わせて頭の所に持っていってそれを傾け「お休みの時間です」とい うおどけた動作をしてからさがっていった。 最後まで「Modest(謙虚)」、しかも演奏は繊細さときらびやかさを兼ね備えた素晴らしいものだった。 隣の男性に「ありがとう」といって握手をしてから会場を後にする。 この日はこの後にも演奏会がある。


8月6日 PROM30


10.00pm - c11.20pm Anon (13th century) Vetus abit littera (3 mins) Machaut Messe de Nostre Dame (25 mins) Sir Harrison Birtwistle Theseus Game* (37 mins) Hilliard Ensemble London Sinfonietta* Martyn Brabbins conductor* Pierre-Andr? Valade conductor* 次の演奏会までまた黄色い札を持って待つ事になる。 前回同様適当に並んでいると、また係りの人が来てバーコードを読んでいく。 今回は手の震えもかなり収まっていたと見えて、一発で読んでくれた。 さて、また行列していると音楽好きが集まっているわけであるから、議論の華が咲いたりしている。 ちょっと注意して聞いていると、彼らどうも携帯電話の音について話をしているみたいだった。 実は先の演奏会のなかで、携帯電話の着信音と思われる音が一瞬鳴ったのである。 彼らはどうもその話をしているらしいが、話題は着信音に「電話の古いベルがダウンロードして使えるのが すばらしい音だ」なんてことも話しているから、真剣な議論なんてわけではないようだ。 話が拍手の話になったので、わたしも参加してみることにする。 「チャイコフスキーの悲愴の3楽章でブラボーといった人がいたのは問題だと思う」 といった事をいったつもりが、「ぶらぼーってなんだ?」と聞き返されて困った。 つづりを知っているわけでもないので、それでわかってもらえないと困る。 一緒に議論していた別の男性が、「ブラボーだよ」と助け舟を出してくれたので、質問した彼もわかったよ うだった。 そこで思う。 「なんどか会場で「ぶらぼ〜」と叫んだが、あれはみんなどう聞いていたもんかね??」 これからは、「Good Job!」とでも叫ぶとするか...言葉はなんでも難しいもんだ! 議論の途中で入場となり、好き好きな場所に散った。 連荘でむかえる夜のPROMは、前回同様足が棒で迎える事になる。 前の2曲はともに5人の男声合唱であり、中世の音楽だった。 目をつぶって静かに聴いた。 5人のうちの二人は「もののけ姫」の歌手の方のような男の高い声であり、なにやらとても面妖?な世界で あった。(カウンターテナーというのでしょうか?あれはファルセット(裏声)なんですよね??) 疲れて座り込んだら曲が終わり、拍手となった。 もう座ったままで、拍手である。申し訳ないが、またしてもガス欠だ。 ところが、次はこんどは楽器を持った楽団が入場してきたので、ちょっと疲れを押して立ち上がってみる。 Sir Harrison Birtwistle Theseus Game* (37 mins) この曲は面白かった。 なんと指揮者が二人いて、違う音楽を同時にやってひとつの「曲」としているらしいのだ。 わたしは最後まで、どのパートがどうわかれているのかわからないままに聴いていた。 そして、まるでジャズのように、オーボエやバイオリンといった楽器を持った奏者が、いままで合奏して いたポジションから前の位置に移動して、ソロの部分を演奏してゆく。 トロンボーンやトランペットは、ソロの場合前に来て、目立ちすぎる??場合後ろに下がるといった念の いれよう。マリンバやヴィブラホンといった木琴鉄琴系の人は3人いて、いくつかの楽器を分担して担当し ているようだった。彼らは楽譜をもって楽器間を移動していた。 わたしには音楽というより、なにかのパフォーマンスのようにしか思えなかったが、37分ものこの音楽、 わりと楽しむ事ができた。最後まで立って聴いていたのだから、間違いないと思う。 でもはっきりといえる事は、やはり「普通」の音楽の方が好きだということである。 いやはや、今日は本当に疲れる一日だった。 明日は、若手の演奏でスメタナとマーラー。 実はあまり期待していないので、逆にリラックスして聞けると思う。


8月7日 PROM31


7.00pm - c9.00pm Smetana Ma vlast ? Vysehrad; From Bohemia's Woods and Fields; Vltava (36 mins) interval Mahler Symphony No. 1 in D major, 'Titan' (50 mins) National Youth Orchestra of Great Britain Sir Roger Norrington conductor ロイヤルアルバートホールでの開演5分前くらいに、「携帯電話の電源をきるように!」というアナウンスが ある。そのときに、静かな水音を立てて涼をつくってくれている噴水も止まる。 しかし、この夜は噴水がなぜか止まらなかった。 わたしは、噴水の近くにいたので、ちいさな池に浮いている恐竜の人形の頭を叩いたりして遊んでいたら、 なんと指揮者が舞台に入ってきた。拍手も終わり静まり返ると、噴水の音が「ちょろちょろ。チョロチョロ。」 あんな小さな音なのに、めちゃくちゃ目立つのがなんとも面白い。 もちろん指揮者は演奏を始めず、噴水が止まるのを待つ。 誰かが「噴水!(ファウンテン!)」と叫び、沈黙?を破ると、やっと噴水が止まった。 この日のプログラムはBBC2でテレビ放送されていたので、恐竜の頭を叩いているわたしの姿が英国中に 放送されているかもしれない。動物?虐待で訴えられると困ることになる。 さて、演奏のほうは若手といってもなかなかの物だった。 はつらつとした演奏で、大変楽しませてもらったし、このサー・ノーリントンという指揮者も、ダイナミックに かつたまに聴衆の方を振り向いて、おどけた動きをしたりして楽しませてくれた。 スメタナの「我が祖国」は「モルダウ」という有名な部分以外、あまりちゃんと聴いた事がなかったけれど、 この日の演奏をきけば、全体を通しても良い曲だったんだなと思った。 それは場の雰囲気がそうさせたものか、彼らの演奏が素晴らしかったのか、難しいところだが。 今夜は隣に座ったおばあちゃんが面白かった。 ペイントンから来ているという話をすれば、「あなたより遠くから来ている人もいたわよ。スペインから毎年。 今年は姿が見えないけど、死んだかどうかわたしは知らない。」などという調子である。 「8年前に旦那が死んだけど、その旦那の友達がペイントンで英語教師をしていたわ。名前は...なんだっ たかねぇ。」「わたしもコーンウォールのペンザンスというところに住んでたことがある。カモメ??カモメ 一杯いるわねぇ。新聞で読んだけど、ワインの絞りかすをカモメが食べて酔っ払ってたらしいわよ。」 「ま、あなたも一番遠いところから来ている人の一人には違いないわね」 「このオーケストラの主席ビオラ奏者は、小さい時から才能がでて、わたしのお気に入りなんだけど、その子の 両親は音楽の道に行く事が反対でね。お金稼げないものねぇ。」 いろいろ聞いていると、あっというまに20分の休憩時間が過ぎてしまった。 次はマーラーの「巨人」である。 わたしはマーラーの時代の作曲家、たとえばちょっと後になるがシェーンベルクなどの音楽は、とても綺麗で 良いと思っているのだが、肝心のマーラーについては少々苦手なのである。 一つ一つのメロディーやオーケストレーションは綺麗であったり壮大であったりするが、なにやら「あれも 言いたい、これも言いたい」といった按配で、落ち着かないのだ。しかも大抵長い。 この日はユースオーケストラのはじけるような演奏によって、このイライラ感が薄れ、いままで聞いたマーラー の中ではもっとも素直に聞くことができたように思う。楽団の中の何人かは、美しいメロディーを奏でている 自分たちに満足してか、満面の笑顔を浮かべながら演奏している。演奏家が楽しく演奏しているとき、きっと 聴衆も楽しく聴けるのだと思う。 ごちゃごちゃとしたマーラーさんの言いたいことがすっかり終わった時、彼らの演奏に心から大拍手を送った。 今日のプログラムは昨晩の添え物程度に考えていたのだが、演奏は若々しくて素晴らしく元気をもらえた。 おばあちゃんにも「また会いましょう!」といってさよならをする。 今週も大満足で終わった。来週もまた来る事にしよう! (来週は、金曜日を休んで木曜から。シベリウスの2番、シュトラウスのワルツ、ヨーヨーマのチェロなど  見どころ目白押しなので、とても楽しみです。)


8月12日 PROM37


7.30-c9.30pm Lutoslawski Mi-parti (15 mins) Szymanowski Violin Concerto No. 2 in D major (22 mins) interval Sibelius Symphony No. 2 in D major (45 mins) Leonidas Kavakos violin BBC Symphony Orchestra Osmo V?nsk? conductor 木曜日にPROMSへとやってくるのは、よほど楽しみなプログラムがあるからだ。 なにしろ高いお金を払っている学校を一日休まねばならないのである。 この日のお目当ては、シベリウスの交響曲2番である。 偉そうにPROMSを語ってはいるものの、わたしのクラシックの趣味など薄っぺらなもので、やはり本当に 聴きたいのは「ミーハーな有名どころ」というわけだ。 この交響曲は、第一楽章と第四楽章に現れるテーマが非常に壮大で、聴くものをフィンランドの大自然へと 導いてくれるかのよう。車の中でなんど聴いたことかわからない。 最近は道中もなれたもので、みちのくで手に入れた「ラヴェンダーのにおいつき目隠し」という匂いも良いが、 睡眠導入効果も満点なすぐれ物で目をふさぎ、最近はどこでも売っている「膨らませ式で首のまわりを固定して 寝やすくする枕?」を首に巻いて、3時間ちょっとの時間を寝て過ごす。もちろん、ずっと寝ていられるほど 疲れているわけでもないので、起きてしまえば英語の教本などをマジメに眺めているが、何一つ覚えていない。 この日チェックインしたホテルは、パディントン駅の近くにある。 先週まで使っていたホテルと値段は少々安いがほとんどかわらないし、距離的にはかなり遠くなる。 ただ、ロンドンで滞在する上で非常に魅力的な設備が、ホームページに書いてあったのでこちらにしたわけだ。 それは、部屋に冷蔵庫が備え付けられているとあったのである。 なにしろ物価の高いロンドンでは、気楽に夜、飯を食いに出かけるというわけにはいかない。 特に私は数ある「Prommer」の中でも、あのおばあちゃんの言ったとおり「高い金を払っている」ひとり であり、もともと食に執着がない性質を生かさない手はなく、毎日アメリカ人のような暮らしをしている。 今日はバーガーキングで明日はサブウェイといった按配だ。 しかしそれではいくらなんでも体がかわいそうだから、野菜サラダなどを買って食べる。そのたび、冷蔵庫が あればありがたいもんだと思っていた。そして、安ホテルのリストの中にその設備を見つけたわけである。 早速スーパーでサラダと飲み物を買い込んでからホテルへと向かう。 もちろん、この手の話には「行ってみたら無かった」とか「部屋によってはございます」なんて話があるだろう から、わたしは予約時に「冷蔵庫付き」とある画面を印刷して持っていった。もし、付いていなかったら文句を 言って替えてもらおうと思ったわけである。はなから英国を信用していないらしい。 4階にある部屋まで階段であがり、わたしの体がぎりぎり通るすさまじく狭い廊下を抜けて部屋にたどり着き、 冷蔵庫の有無を恐る恐るチェックすると...あった。それも、日本の部屋のように、なかには有料の飲み物で 満載というのではなく、空のちいさな冷蔵庫が備え付けられている。 心の中で喝采をあげながら、買ったものを早速入れ、シーズンパスなどを準備してから出かける。 それにしてもこの部屋、先ほど書いた「わたしの体がぎりぎり通る」というのはオーバーな表現では決してなく トイレもシャワーも付いているのだが、シャワーに行くためにはトイレの便器をまたいで通らないと行けない というすさまじい構造。「普通の」アメリカ人ならおそらく泊まる事ができないと思う。しかもその部屋は、 ダブルベッドが置いてあり、タオルもちゃんと2人分用意されているから、わたしは「幸運なことに」シングル ユースとして滞在できるようだ。この部屋に二人で泊まるなんて、よほど仲がよくても考えるだろう。 もちろん、一人で泊まりかつダブルベッドで悠々と寝ることのできる私にとっては、シャワーにいくことなど 日に何回もあるわけじゃなし、この部屋には大変満足したのではあるが。 さて、ケンジントン庭園を抜けてロイヤルアルバートホールへやってきた。 行列はそんなに大きくなく、プログラムなどを眺めて時間をつぶし、やがて入場の時間になる。 今日はこれといった「事件」もなく、右隣の男性が「プログラムを見せてくださいませんか?」というので、 「どうぞ」なんて調子でやりとりをしていたら、開演を迎えて最初の曲が演奏される。 Lutoslawski Mi-parti (15 mins) う〜む、PROMSのメインであるBBC交響楽団の演奏なのだが、今ひとつノリが悪いように思える。 曲そのものも知らない曲だし、現代系の曲だからそれが正しいのかもしれないが、どうも合奏のタイミングが 合ってない(ミスアンサンブル)が多いように思えてしょうがない。 曲が終わり、次はシマノフスキーのバイオリン協奏曲だと思ったら、樽のような体型の大男が先述の右隣の男性 の前に割り込んできた。と、男性は何かを樽男に言って後ろにさがらせる。男性の後ろの人はなにも言わなかった らしく、樽は最後までそこにあった。 毎度お馴染みの光景になってきたようだ。 このバイオリン協奏曲も、楽団はイマイチだったと感じる。 しかし、バイオリンを弾いた Leonidas Kavakos 氏の演奏はダイナミックで、とても素晴らしかった。 氏はアンコールまで演奏してくださり満足する。 休憩のあと、シベリウスが始まった。 森の自然を思わせるような導入部を過ぎたとき、変な音が鳴ったように思った。 携帯電話とかそういうのではない。演奏の音が変なのである。 さて、それからしばらく何が変なのかが気になって音楽に入れない。私の出した結論はクラリネットの音が変だ ということだった。 リードを使って音を奏でる楽器は、口先でリードが振動する回数によって基本の音程が決まる。まさかプロの演奏 だから、そのあたりがずれているなんてことは無いのではと思うのだが、クラリネットが鳴るたびに、どうしても 浮いた感じがしてしょうがない。 第一楽章はそのクラリネットの音と戦うだけで終わってしまった。 第二楽章に入ると、妙な感じがなくなった。わたしの耳が慣れたのか、彼が修正したのかよくわからないが、とも かく音楽が聴けるようになる。 しかし、それにしてもあまり深く入って行けない演奏だった。悪い言い方をすれば惰性でやっているという感じの 演奏だったのではないか。楽章が進んで雄大な第四楽章を迎えても、その印象は変わらないまま曲が終わる。 これまた惰性的な拍手をしながら、先の右隣の男性に、「コレ、ヨカッタ?」と聴いたら、 「悪いに近いね(Nearly bad)...バイオリン協奏曲は素晴らしかったけどね」 と、答えたので、おそらく多くの人があまり楽しめなかったのではないだろうか。 演奏のあと、夜道を歩きながらいろいろなことを考える。 高い金を払っているという意識自体は実はあまり持っていない。それは旅行中の出費が日常に比べてあまり気に ならないのと似た感覚だと思う。では、この「イマイチ」な気分はなんなのだろうか? 高校のとき社会の授業で「限界効用逓減の法則」という考え方を習った。 喉が渇いたときの一杯の水はとてもおいしいが、5杯も飲めばありがたみが薄れてくるといった話である。 今夜のシベリウスがとてもイマイチだったのは、わたしにとって効用が薄れてきているのだろうか? それとも先の男性も同意したとおり、本当にイマイチだったのだろうか? ぐたぐたと考えを巡らせていれば、30分ほどの夜道もあっという間に過ぎた。 なんでも物は考えようだ。考えるネタがなければ、夜道も長かっただろう。 部屋でヌルめのシャワーを浴びて、目論見どおりの冷たいサラダとジュースにありつく。 明日は少々コ難しいメシアンの音楽だが、どんな風に感じるものか楽しみだ。 ただ13日の金曜日というのが、少々気になるところである。


8月13日 PROM38


7.30-c9.45pm Bright Sheng The Song and Dance of Tears (26 mins) UK Premiere interval Messiaen Turangal?la Symphony (75 mins) Yo-Yo Ma cello Wu Man pipa Wu Tong sheng/suona Joel Fan piano (members of the Silk Road Ensemble) Paul Crossley piano Cynthia Millar ondes martenot London Sinfonietta David Robertson conductor 昨日のシベリウスの評判を見ようと新聞を買った。 いつも学校で眺めているガーディアン紙で、PROMSの評価を毎日書いているのを知っていたからだ。 ところが、今日は何も書いていない。 「よほど酷かったんやな!」 と、勝手に解釈して「イマイチ」事件は終わることにした。 13日の金曜日だから何かがあるかいなとは思っていたものの、昼間ロンドン動物園に出かけたら高かったとか、 近くにビートルズのレコードジャケットで有名な横断歩道がある「アビイロード」があったのに気がつかなかっ たとか、しょうもないことしか起こらない。 時間がきたので、ロイヤルアルバートホールに行く。何事も起らずに入場時間を迎えた。 さて、先にも書いた涼を提供していくれている噴水の周りには、例外的に椅子が並べておいてある。 噴水のプールは丸いので、ともすれば楽団に対して横といったポジションに座ることになったりするから、もし 空いていたとしても、通常の立ち見を選択することにしているのだが、今日の場合は少々違う。 前に「遭遇」したときにエライ目にあったメシアンがプログラムに入っているのだ。 先日来親しくお話しさせていただいている日本人のご夫婦と、やはり楽団に対しては横向きになる位置ではあった けれども、この場合大歓迎で一緒に座ることができた。 私の隣には、顔なじみの英国人のおばちゃんが座ったので、プロムスや彼女の息子さんのことについて話をする。 常連さんは、みなさん気さくで面白い人々である。 この日のプログラムには昨日と違い、これが楽しみだという曲はなかった。 しかも演目が前衛的な音楽であり、昨日感じた「限界効用逓減の法則」を検証するにはもってこいの演目だ。 結論から言えば、ロンドンシンフォニエッタの演奏は大変素晴らしかった! 一つ一つの音をとても大切に扱っていたように思う。失礼な言い方だが、昨日の楽団と比べて「気合」の入り方 がまったく違うように思った。 前衛的な音楽というのは、感じ方がすべてだと思う。 この手の音楽が好きな人にとって今日の演奏は、心に残る演奏であったことは間違いないだろう。 少なくとも私のような奴にも、爽快な満足感をもたらせてくれた。 意地悪な考え方によれば、座って聴く事ができたというのが一番の効用だったのかもしれない。 しかし、演奏の最後のほうは、思わず立ち上がって聴き、大拍手をおくったのである。 さて...これで終わるほど13日の金曜日は甘くない。 このPROMSでおそらく最大の事件のひとつが実は目の前で起っていたのだ。 メシアンの難解な曲が半ばに差し掛かったころだった。 普通の曲なら「はいおしまい」といえるような音で楽章が終わる。 「メシアンはここで曲を終わらせりゃ、もっと一般ウケしたのに。。。」 と、隣のご夫婦に声をかけたが、何かがおかしい。 楽章の合間というのは、長くても十数秒、通常は咳を数回できる時間である。 咳をする音に混じって「もごもご」という変な音がした。 すぐに曲が始まったというのに、今度はわたしの斜め前2mあたりが妙にざわついている。 わたしの目にとんでもないものが目に入ってきた。 東洋系の男が携帯電話をかけているのである! まわりの人が止めようとして、しかし声を出せないのでごそごそとしていたのである。 後からご夫婦にお話しを聞けば、この男はそれまで30秒ほども、ひそひそ声ではあるが話をしていたそうだ。 ありえん話だ!と思った次の瞬間、ものすごい形相をした男性が、男の背後から手を伸ばして、携帯電話を 取り上げようとしたように見えた。マイクの部分を開けて話すタイプの携帯は男の手から飛び、マイクの部分 がちぎれとんだのである。 男はしばらく沈黙していたが、すぐに荷物を手に取りホールを出て行った。 おそらくそのとき周りにいた人々は、彼から電話を取り上げた男性に心の中で喝采を送ったと思う。もちろん、 わたしもその一人だった。男もきっと自分のやったことを恥じて出て行ったのだろう。 ところが、事件はまだ続く。 なんとその東洋系の男(広東語を話していたとのことです)は、音楽が終わるのを待って、電話を壊した男性に 文句を言いに来たのだ。ホールの係員も同行していたから、おそらく出て行ったのは係員に訴えにいったわけで ある。 多くの人々は、事件を知ってかしらずか何も言わずに会場を去っていった。 わたしも実はかかわりたくなかったのだが、そのただならない雰囲気を感じた先のご夫婦が、証人として役に たてるかと思われたらしく残られたので、わたしも残る事にしたのだ。 そしてあまり人のいなくなったロイヤルアルバートホールの片隅で、世にも不思議な争いが開始されたのである。 東洋系の男は、携帯を壊された挙句自分は指に怪我をしたと主張している。 もちろん壊したほうの男性は、彼が電話をしていたし、なんども注意したけどやめなかった事を主張する。 先のご夫婦は「携帯電話を放そうとしないからああなった」と、故意の破損ではない事を主張される。 そこで係員が言った。 「携帯電話を使っていたのは重大なマナー違反ですが、ものが壊されたり怪我をしたら法律上そちらが問題です」 正確にはどういったか覚えていない。ただ、この発言がわたしにとって、あるいは回りにいた人にとってとても 意外だったことは間違いない。朝日新聞じゃあるまいに、悪いことをした奴の肩を持つのも良い加減にしろ!と いうわけである。 どこの世の中に音楽をみんなで聴いているところに携帯電話をかけてよいというきまりがあるものか! わたしは思わず声をだした。 「わたしは、そうは思わない!そりゃどこの法律ですか??」 「英国の法律です」 「なんて良い法律なんだろ!!」 なんて皮肉でつぶやく。 他の人が言う。 「どんな話をしていたのか知らないが、じゃ君は何をしにここへ来たんだ!」 「まったくだ!」 私はまた叫ぶ。 先のご主人が、「誰がここの責任者ですか?」と尋ねると、どうも先の非大岡的裁きをした女性だという事 なので、今度は「警察を呼んでください」と主張されはじめた。 このまま携帯電話を取り上げた男性が悪者になるのは、同じ場にいたものとして許せない。 「あんたは環境保護団体かなんかの圧力運動員か?」とか、係員に対していろいろ悪態を考え始めた。 「朝日新聞の読みすぎか!」 というのが、一番フィットする野次だろうが、ここで通用したらビックリする。 まぁ、日本でも一部でしか通用しないだろうが... そうこうするうち、とつぜん東洋系の男が言い始めた。 「僕が電話をしてみんながイライラしたことが良くわかったから謝る。こんな携帯電話の価値はゴミみたい  なもんだから、あなたがこれを壊した事と僕に怪我をさせたことを謝ったら、私は許すがどうだ?」 おそらく誰も自分の味方ではないことに気がついたのだろう。 またおそらく指の怪我の件もウソだろうとおもうし、係員に説明したのもとてつもなく自分よりな状況説明 だったに違いない。だから、「警察を!」という先のご主人の発言が一番有効だったのだろうと思う。 実をいうとこの発言を聞いたとき、今ひとつ意味が良くわからなかったのと、謝れがどうのといっているの で、「謝る必要なんてない!」と思ったのと、「わしらに謝るのは良いが、楽団員や会場のみんなにどうする んだ!」などとごちゃごちゃ考えてトギマギしていると、男性が謝り始めた。 もうこうなったら野次馬は黙るに限る。 二人は最後形だけの握手をして、この争いは収束したのである。 今でもあの男性が謝る必要はなかったと思う。わたしがもう少し英語ができたら、もしかすると「謝るな!」 と叫んで場を長引かせたかもしれない。幸か不幸かおたおたしていたので、場は大きな問題にはならずに 収まったわけである。 人の輪がとけ、会場を出るときに先の謝った男性がいたので声をかけた。 「あの時、あなたは我々のヒーローでした」 彼はシーズンチケットを持ってはいないということだった。今日のプログラムをわざわざ聞きに来たいう事は、 メシアンなどの音楽のファンだったのだろう。 彼にとってたしかに13日の金曜日だったに違いないが、あの素晴らしい演奏を彼が楽しんだことを祈らずに はおれない。 それにしてもあの東洋人はなんだったんだろう?? もしかしたら彼の国では、コンサート中でも携帯電話をかけてよいのかもしれない。 他の国ではそれがどんなに酷い事か、知らなかったのかもしれない。 と、すれば、電話は壊れるわ、本当だとしたら指を怪我するわ、人には散々非難されるわで、彼にとってこそ 「13日の金曜日」だったのかもしれない。 だとしても... 会場でまず目撃して眼が点になり、あの係員の裁きに眼が点になり、瞳孔にとっては良い運動になっただろう。 明日は遠い所まで綺麗に見えるのではないだろうか??


8月14日 PROM39


7.30-c9.55pm Berlioz Overture 'Le corsaire' (9 mins) Saint-Sa?ns Symphony No. 3 in C minor, 'Organ' (35 mins) interval Johann Strauss I Radetzky March (3 mins) Johann Strauss II Voices of Spring ? waltz (7 mins) Johann Strauss I Frederica ? polka (3 mins) Cachucha-Galop 2' Johann Strauss II The Beautiful Blue Danube ? waltz (10 mins) interspersed with operetta arias by K?lm?n, Zeller, Leh?r and Stolz Yvonne Kenny soprano Dame Gillian Weir organ BBC Concert Orchestra Barry Wordsworth conductor 今日はサンサーンスの交響曲「オルガン」と、ヨハン・シュトラウス親子のワルツがメインである。 昨日のコ難しいプログラムとは違い、親しみやすい曲が多いので楽だろう。 ロイヤルアルバートホールのオルガンは、ここ数年の改修作業からよみがえって、今年はそのお披露目の年に あたっている。にもかかわらず、私の目の前で一度「故障に付きご容赦」というシーンがあったことは以前にも 書いたとおりである。今日のオルガン交響曲で壊れた日には、金返せの騒ぎになりかねない。 わたしの友人には、このオルガン交響曲をこよなく愛する者もいる。しかし、わたしにとっては少々疑問符が 付く曲なのだ。簡単に言えば、わたしにとってのクラシック音楽の好みとは、「メロディーがわかりやすい」で なければ、「音がとてもカラフル」な曲、でなければ「ただかっこよい曲」のいずれかなので、マーラーにしろ ブルックナーにしろ、このオルガン交響曲にしろ、今ひとつ範疇に入ってこないのである。 ただこの大オルガンで聴くオルガン交響曲は、たしかに聴きごたえのあるものだった。 女性のオルガニストである Dame Gillian Weir さんのオルガン演奏とBBCコンサートオーケストラの演奏 が程よくマッチし、時に奏でられる壮大な音響に身震いすら感じるひと時だった。 アンコールにも応えて頂き、かなり難易度が高いとおもわれるややこしい曲を弾いてくださった。 さて、今日はワルツがあるというので、常連さんたちはよそ行きの格好をしている。中には、上半身だけタキ シードのようなものを着て、下半身は短パンという常連さんもいた。要するに見えるところがきまっていれば 良いらしい。昨日証人として活躍された日本人のご夫婦も、常連さんたちに誘われたとかで、今日はきめてこ られている。プロムスにはこういった楽しみ方もあるというわけだ。 ご夫婦や常連さんらと共に、舞台のほぼかぶりつきで音楽を楽しんでいたのである。 インターバルの後の一曲目は、西洋の人たちがこよなく愛する曲、「ラデツキー行進曲」である。 ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでは、必ずアンコールとしてこの曲が流れ、そして聴衆は指揮者の 指揮のもとで手拍子をして曲に参加するのである。 プログラムを事前に見ていたので「これはきっとやるだろう」と思っていたら、なんと指揮者が登場するより 前にオーケストラが曲を演奏し始めた!指揮の Barry Wordsworth 氏があわてたように指揮台に飛び乗って 指揮棒を振り始める。後半は余興系ですよといった感じの出だしである。 もちろん、例のごとく手拍子が始まり、指揮者も勝手に演奏を始めたオーケストラ?より、聴衆の方が大事だと ばかりに、手拍子の強弱を指定したり、なんと通常の手拍子ではなく三連譜を使った「チャチャチャ」という 拍子を指揮棒で示してみせ、手拍子にアレンジを加え始めた。やっているほうもこれは面白い。 残念ながらこの曲は大変短いので、あっという間に終わってしまったものの、みんなとても満足しただろう。 楽しいひと時の余韻が残る中、ソプラノの Yvonne Kenny さんが登場し、いろいろな作曲家のおそらく恋歌を 集めた演奏が始まった。 これがまったくもって爽快なほど素晴らしい演奏だった。 ソプラノ歌手の歌を、わずか5mほどの距離で聴く事ができる体験というのは、そんなにあるものではないだ ろう。これが人間の声かと思えるほど綺麗な声で、そして楽しい、そしてちょっと寂しげな恋歌を次々と披露 してもらった。プログラムにドイツ語と思われる歌詞が載っているので、読みながら聴く。曲が終わりそうに なると、拍手をするためにプログラムを静かに地面に置くのだが、屈んで人影に頭が隠れた瞬間、音がとても にごるのだ。当たり前のこととはいえ、電気的な音響を通さないで聴く音の微妙さに驚く。 そして、すぐに顔を上げて大拍手!いやはや本当に素晴らしかった。 彼女もアンコールの歌を披露してくれたのである。 お目当てのひとつだった、「美しく青きドナウ」が流れはじめる。 これはまるで、毎週日曜日を心待ちにしていながら、日曜日の夕方というひと時は週の中で一番寂しいという 複雑な心境に似て、もうこの宴が終わってしまうのかという寂しさを感じつつ聴いていた。 曲が終わり大歓声の中、指揮者の Barry Wordsworth 氏は、おどけた調子で、「もう一曲いい?」と訊く。 もちろん「イエ〜ぃ」という掛け声がかかって一曲。そして、また大歓声。そして、また「もう一曲??」 なんて調子で、最後に楽しいギャロップが演奏されたときには、なんと木琴を叩く4人が騎手の帽子を被って ごちゃごちゃとやりあいながら演奏する始末。みんなこれには大笑い。PROM10のボレロといい、底の 深いところをまた見せていただいて、この夜は幕を閉じたのである。 素晴らしいひと時を演出してくださった演奏家の方々すべてに感謝した。 限界効用逓減の法則とやらは、やはり少々考え直したほうが良い考え方なのかもしれない。


8月15日 PROM40


4.00-c6.15pm Byambasuren Sharav Legend of Herlen (12 mins) Zhao Jiping Moon over Guan Mountains (12 mins) (for sheng, pipa, cello and tabla) Sandeep Das Tarang (12 mins) interval Collected by Vartabed Komitas ar. S. Aslamazyan Armenian Folk Songs (8 mins) 1. Vagharshabadi Dance 2. It's Spring Trad. arr. Ljova Music of the Roma (12 mins) 1. Kali-Sara 2. Rustem 3. Doina Oltului Kayhan Kalhor Blue as the Turquoise Night of Neyshabur (18 mins) Yo-Yo Ma cello Silk Road Ensemble Silk Road Ensemble includes: Wu Man pipa Wu Tong sheng Joel Fan piano Sandeep Das tabla Kayhan Kalhor kemanche Colin Jacobsen violin Jonathan Gandelsman violin Nicholas Cords viola Khongorzul Ganbaatar vocalist Mark Suter percussion Joseph Gramley percussion Shane Shanahan percussion Kayhan Kalhor kemancheh Siamak Aghaei santur Siamak Jahangiry ney Pedram Khavar Zamini tombak With musicians from the London Sinfonietta 通常日曜日は帰宅する日なのでPROMには参加する事ができないのだが、今日は夕方にスタートの早いプロ グラムがはいっており、しかもチェロの巨匠であるヨーヨーマがシルクロードをテーマにした音楽をやるという ことで、いつもの列車はつかわず深夜に帰宅することにしたのである。 この日の演奏について書くのは大変難しい。 シルクロードだからといって喜多郎のシンセサイザー曲を連想されるかもしれないが、このプログラムの実際は シルクロードに散らばる各国の民謡を、それぞれの国の演奏家および楽器によって奏でるというものである。 単調なリズムとメロディーが、あまり聴いたことの無い音色の楽器によって訥々と演奏される。 これでもかというほどの繰り返しによって、たしかに何か熱いものが沸きあがってくるのは感じることができる。 ふと、「これは何かの治療をされているようなもんだな」と感じた。 そしてヨーヨーマの演奏をこの日も目の前で聴くことができ、その正確かつ美しい音色は間違いなく堪能した。 アンコールもそこそこに、列車の時間に間に合うようロイヤルアルバートホールを飛び出す。 東洋的な空間から飛び出し、ケンジントン庭園の木々をすり抜けるようにして早足で駅へといそぐ。 予定より早く駅にたどりついたのは、あの「治療」が功を奏したのかもしれない。 (さて、来週はとんでもないことにロンドンに1週間滞在し、見どころ目白押しのプログラムをこなします。  銭金より体力のほうが心配です!)


8月23日 PROM50


7.00pm - c9.05pm (note time) Glinka Valse-Fantaisie in B minor (9 mins) Prokofiev Piano Concerto No. 2 in G minor (32 mins) interval Tchaikovsky Symphony No. 5 in E minor (50 mins) Yefim Bronfman piano St Petersburg Philharmonic Yuri Temirkanov conductor レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団。 今はザンクト・ペテルブルグ・フィルと名前を変えたが、高校生頃のわたしにとって、このオーケストラの音楽を 生で聞くことが、その当時の大きな夢の一つだった。 レコードから聞えてくる重厚な低音と、適度なやわらかさを持つ美しい金管の音。チャイコフスキーやショスタコ ヴィッチの交響曲をこの楽団で聞いてしまうと、ほかを聞くのが難しくなってしまう。 このオーケストラを長く統率していたのが、エスゲニ・ムラヴィンスキー。言わずとしれた20世紀を代表する大 指揮者のひとりである。彼について語り始めると長くなるのでやめるが、「ウィーンのムラヴィンスキー」という サブタイトルで売られていた、ウイーンでのライブで録音シリーズの中にあったチャイコフスキーの交響曲5番。 当時父親が持っていた古い真空管式アンプのステレオは、高音部の再生が今ひとつだった。新しく手に入れたアン プは逆に低音部がさっぱり。そこで新しいアンプに高音だけならすためのスピーカを部屋の高い位置にとりつけ、 両方をいっぺんにならしてこの交響曲を何度も何度も聴いた。 第4楽章のフィナーレ。部屋の高い位置からトランペットが高らかに鳴る。ムラヴィンスキー得意の弦楽配置に よる太い低音が、せまりくる波のように床の下を流れる。 あぁ、このフィナーレをいつの日か生で聞いて見たい! しかし、レニングラード。 なんと言う遠いところにあるものか!高校生にとってはとてもすぐには実現できる夢ではない。 ところがその数年後、たしか1984年か1985年の年初だとおもうが、なんとこのオーケストラが大阪に来る ことになった。指揮者はもちろんムラヴィンスキー。大巨匠最晩年の来日だ。わたしは、母親からお金をかりて 18000円のコンサートチケットを、当時クラシック音楽を共に聴いていた友達とともに手に入れた。 残念なことに、ムラヴィンスキーの来日は取りやめとなり、当時のアシスタントであったマリス・ヤンソンスが 来日したという話は、このPROMSでのヤンソンス氏と「再会」した話ですでに書いたとおりである。 実は夢にまで見た彼らの演奏は、ムラヴィンスキーの件もあってか、強烈な感激を得ることなく終わっていた。 大阪ザ・シンフォニーホールの音響は申し分なかったのだろう。少なくとも音響が良い事では知られたホールなの だから。そして、わたしには他と比較するだけの演奏会の経験は無かったのでなんともいえない。 ただ、オーディオから響く音より実際の音のほうが、わたしにとってなにか不足があったのだと思う。 その後手に入れた少々高価なオーディオならいざしらず、当時聞いていたステレオの音は、実物と比較できるよう な代物ではとてもなかっただろうに、わたしにとってはなにかが違ったのだ。 その後、MIDIのシンセサイザー音楽などで、このフィナーレを再現してNiftyに投稿したりした。 もちろんそのときに、スコア(オーケストラ総楽譜)をよくチェックしたが、「この曲はこうあるべし」という 演奏は、いつまでたっても「ウィーンのムラヴィンスキー」以外に考えられなかった。 よく、コンサートホールで音楽を聴くとき、かぶりつきはいろんな音が聞えすぎてイマイチだという意見がある。 わたしもそう思う一人だったから、このPROMSでもわざと舞台から離れた場所に陣取ったりしていた。 しかし今回、人気のこのPROMにおいて、わたしはできるだけ前方に陣取ることにした。それは、20年前との 違いを体験してみたかったからにほかならない。 楽団は、第一バイオリンと第二バイオリンがステージの前面、チェロがステージ正面という独特の弦楽配置をする。 コントラバスが向かって左後方にいる。これは以前右の前方にいたように思うが記憶違いかもしれない。 指揮者のテミルカノフ氏が現れ、軽く会釈して楽団の方へ体を向ける。 グリンカの曲が始まった瞬間。わたしは身震いをしていた。 なんという重厚な音だろう! 「そう思って聞くからだ」という意見があるかもしれない。 でも私にとってこの「ヴォン!」という音は、ロイヤルアルバートホールでは聴いたことが無かった。 誰がなんといおうが、良いものは良いのである。 プロコフィエフのピアノ協奏曲2番は、目の前にあるピアノがうるさすぎて、残念ながらあまり楽しめなかった。 まさにかぶりつきの悪い面が出たように思う。 どちらにしてもわたしは今日、チャイコフスキーを聴きに来たのだから、少々の犠牲は払わねばならない。 20分の休憩を経て、チャイコフスキー交響曲第5番ホ短調が始まった。 一気呵成に攻めるムラヴィンスキー版にくらべテミルカノフ氏は、チャイコフスキーのメロディを歌わせていた。 ところどころで歌わせすぎ、この曲を数え切れない程演奏しているだろうこの楽団にしてもアンサンブルが乱れる 所がなんどかあった。大阪に来たとき在籍していたホルンの名手は、おそらくもう引退したのだろう。 今日のホルンは、鳥肌がたつには至らない演奏だったし、おそらくソロの出だしを何拍か間違ったのではないか? オーケストラが修正するのに苦労していたように思う。 ここまでの書き方からいけば、ヤンソンス氏の「英雄の生涯」がイマイチだったと書いた時と同じ展開かと思わ れるかもしれない。答えは否である。 少々の乱れや間違いなどは関係のない音楽として、そして音響としてのすばらしさがそこにはあった。 実際、超一流はかぶりつきで聴くのが良いのではないだろうか。 そうして素晴らしい時間はあっという間に過ぎ、第四楽章を迎え、そしてフィナーレを迎える。 テインパニの連打がはじまり、わたしは静かに目を閉じて、トランペットのファンファーレが始まるのを待つ。 しばらくの時を経て、そこにはまさに、高校生の時の自分の部屋より各段にすばらしい音が出現した。 わたしの脳裏にはあの高音用のスピーカーが浮かび、自分の理想とする音響と音楽が奏でられる。 トランペットの後は弦楽の低音の波だ。これは若干コントラバスが遠い配置になっているからか、大波とはなら ないまでも、しかし充分な重低音がせまってきた。 スコアではこの部分の低音は、ただのアルペジオでしか表示されていない。 テミルカノフ氏は、このフィナーレをムラヴィンスキーの解釈を保って演奏してくださった。 通常、一気呵成に攻めるムラヴィンスキーが、この低音のアルペジオに関しては大きなうねりのように演奏し、 トランペットの高鳴りとのコントラストを我々に強くしめしてくれていた。 しかし、スコアをコンピュータで再現すると、この解釈は楽譜に示されているテンポよりかなり早くなるから、 やはりムラヴィンスキーらしく攻めてはいたのだ。攻めながら大きな、深いうねりを生む。 わたしにとって、これでこそ「ザンクト・ペテルブルグフィル」の真骨頂たる演奏だ。 曲が終わるとき、わたしは危うく音楽が終わる前に拍手をし始めそうになっていた。 高校生の時の夢。 「いつか生でこの演奏を聴きたい!」 20年前に実現したはずだったこの夢が、いま本当に実現したように思った。 そして、「またどこかで聴くぞ!」と、新たな目標をつくることができた。 ちょこっとだけ会釈をして立ち去るテミルカノフ氏と楽団に、これ以上できないという程の拍手を送る。 大阪のときと同じくアンコールは無かったが、今日はこれでほんとうに満足した。


8月23日 PROM51


10.00pm - c11.30pm Kraus Symphony in C major, VB 138 (13 mins) Folke Rabe Sardine Sarcophagus (17 mins) HK Gruber Three MOB Pieces (11 mins) Beethoven Symphony No. 4 in B flat major (30 mins) H?kan Hardenberger trumpet Swedish Chamber Orchestra Thomas Dausgaard conductor 大感激の後の夜の部にならんでいた。 いつも大体同じような顔ぶれなので、顔見知りという意味では多くの人を知っている。 そんななかの一人に、「へたくそな口笛を吹くおっさん」がいる。 この日の曲目はシベリウスの交響曲2番だったろう。「おそらく」としか言いようの無い演奏だ。 これまた目立つ「虫眼鏡でプログラムを見ている老人」が、ついに彼につぶやいた。 「上手だね」 このつぶやきで止めるかとおもったが、皮肉と感じなかったか彼は演奏を止めない。 ところが突然口笛が止まったかと思うと、目の前にあるホールのドアの所に飛んでいった。 そこには先の指揮者ユーリ・テミルカノフ氏がいたのである。 彼はすばやくメモとペンを取り出し、サインをもらっていた。 わたしは、わずか3m前で行われている「イベント?」に参加するかどうか悩んだ。 サインを数人にして、握手をしてもらう人が数人いて、指揮者はわたしの前を過ぎていった。 こういうとき遠慮深いというのは損だ。 わたしは、中途半端にも彼に向かって会釈しながら、小さく拍手をして見送った。 しかも、プログラムを抱えていたので、拍手は右手とプログラムでするというお粗末。 失礼この上ない。 わたしはこのとき、「演奏が終わってまで迷惑をかけたくない」と考えて、握手を求めるのを見送ったのだ が、ホールのドアを出た直後というのは、プロにとってまだ演奏会なのかもしれないから、問題なかったの かも?とりあえず、あまりない機会は去っていってしまった。 先の演奏にあまりに感激していたので、崇高すぎて近寄れなかったというのも事実であるから、よしとしよう じゃないか! さて、この日の夜の部にはベートーベンの交響曲4番などが予定されているが、わたしは深夜のロンドンを うろうろしたくないので、数曲聴いて切り上げる事にした。交響曲4番は最後なので、聞くことができない。 ホールに入ると、中はガラガラといって良いほどあまり人が入っていなかった。 夜の部だからある程度予想は付いていただろうが、こんな中で演奏するのは寂しいだろうとおもう。 演奏はスウェーデンのオーケストラ。トランペットの独奏をするのがホーカン・ハーデンペルガー氏。 ホーカンという名前は、以前お世話になったスウェーデンの会社で、一時期私の上司だった楽しい人と同じ 名前なので、なにやら親近感を感じる。 アリーナには半分ほどしか人がいない。かぶりつきで鑑賞することも問題なくできる。 先のザンクト・ペテルブルグフィルの演奏で「かぶりつき」の効果を知ったわけであるが、ここはひとつ対比 の意味でアリーナの一番後方にある椅子が空いていたので、座って悠々と聴く事にした。この席でも、普通の 音楽会ならおそらくS席は間違いない場所である。 クラウスの交響曲ハ長調なる曲が演奏される。モーツアルトらと同じ時代の作曲家で、やはり早死にした人で あるとプログラムにはある。 音楽は楽しい音楽であり、午後の紅茶でも楽しみながらあまり大きくない音で流れていたら素晴らしいだろう といった感じだった。そしてまさに「楽団から離れて聴く効果」が感じられる。つまり、ひとつひとつの音と いうより、作曲者が意図した音楽はこちらのほうなのだろう。 また楽団も、すくない観客にもかかわらずモチベーションを落とさず、素晴らしい演奏だった。 女性の木管楽器奏者のひとりなどは、ステージに上がったとたんに立ち上がって大きく手を振り、観客の中に 陣取った友達?らの声援にこたえていた。PROMSの舞台に上がったことが名誉であるのだろうと思うし、 その名誉にこたえるべく一生懸命演奏するのだろうから、こういったあまり世界的に名前が知られているとは いえないようなオーケストラの演奏は期待できるのである。 次の現代音楽ではホーカンさんのトランペットが聴けるので、終わったら帰ることにする。 ところで、クラウスの交響曲がはじまる直前に、一人の男性がアリーナからがらがらの一般席に行って、座る のが見えた。うまいことをするもんだなと思っていたら、次の曲とのインターバルのときに、誰かが係り員に 耳打ちをしたかと思うと、その係り員によってアリーナに戻されてしまった。 わたしも「これじゃ、簡単に一般席にすわれるなぁ」と思っていただけに、「本当にやるほうもやるほうなら、 指摘するほうも指摘するほう」だなとおもう。 やはりこの国、何事にもルールが大切なのだ。 ホーカンさんのトランペットはよかったように思う。 なにしろ現代音楽だったので、今ひとつも二つもよくわからない音楽だが、トランペットはさすがにソロらし く「聴かせる」ようなフレーズが多くあった。 後ろ髪を引かれながら会場を後にして地下鉄の駅にたどり着く。 深夜のケンジントン庭園近くの道を、単独で歩くのはいくらなんでも無謀なので、地下鉄を使って最寄の駅、 つまりパディントンまで行くのだ。パディントンは深夜でも人がいるので通りを歩いてもそんなに怖くない。 時刻表を良く見ると、ベートーベンも聴く事ができる時間まで電車はあったようだが、4番という交響曲には あまり思い入れがないので、これでよかったということにしよう。 今日は長い一日だった。


8月24日 PROM52


7.30-c9.20pm Glinka Ruslan and Lyudmila ? dances (21 mins) Dances from Act III: Dances of Naina's beautiful maidens Musorgsky (orch. Shostakovich) Songs and Dances of Death (20 mins) Interval Rakhmaninov Symphonic Dances (35 mins) Dmitri Hvorostovsky baritone St Petersburg Philharmonic Yuri Temirkanov conductor 昨日の大感激をそのまま持ってロイヤルアルバートホールにやってきた。 今日もあの「音」が聞けたらと前の方に陣取る。 ところでここ最近のPROMSにはちょっとした変化が見られる。 まず楽章の間の拍手がなくなったこと。昨日のチャイコフスキーでも、数週間前ならかならず来たはずの拍手 は無かった。これによって、静かな瞬間を楽しむことができるようになった。 しかし悪い面としては、アリーナ内での割り込みが頻発するようになった事だ。 以前には無かったほど、一度ポジションを決めてからの割り込みが多い。後から並んで、良いところに来よう というのだから、正しいおこないであるはずもない。 昨日のチャイコフスキーでも、開演直前にカップルが狭い隙間に割り込んできた。わたしも含めて廻りにあま り「うるさ方」がいなかったので、彼らはそこにとどまることができたが、ケッサクだったのは彼らが休憩中 も座らず、ずっと立っていたということだ。彼らは彼らなりに「割り込み」に対して恥のようなものを持って いたのだろうと思う。良いポジションで音楽を聴くのは大変なことなのである。 さて、今日も割り込みにいらだちながらも、良い音を楽しむことができた。 初めのグリンカは、有名な序曲だと勘違いしていたので、少々がっかりする。CDで聞くことのできる、ムラ ヴィンスキーとの名演は、オーケストラに属している知人曰く「信じられない」演奏だそうなので、生で聴け ればとおもっていたのだが。今日の演目は、超絶技巧系の曲ではなかったので、そういう側面を楽しむことは できなかったものの、アンサンブルなどは昨日よりかなりしっかりしていて安心して聞くことができた。 ムソルグスキーの曲は、バリトンの歌声とともに重苦しい雰囲気を持って演奏された。 終わって、「ふっ」とため息をつきたくなった。 ラフマニノフのシンフォニックダンス。 このオーケストラの持つ「音」が存分に発揮され、とても楽しむことができた。 アンコールも2曲演奏され、この夜も大変満足。 まったく愛想のないテミルカノフ氏にも、昨日気さくにサインをしている姿をみていたからか、はにかみやな のでは?という印象のみが残った。 それにしても、アンコールの曲をぱっと判るようになりたいもんだと、FM放送でのみクラシック音楽を聴い ていたころから思っている。しかしながら、最近は有名な小品ですら曲目が浮かばないのだから、これはもう どうしようもない。 レコードには、このオーケストラがアンコールでワーグナーの前奏曲なんかを演奏しているのが収録されてい るから、そんなのをやってくれればわかるのだが、この夜の曲は「いつもどおり」さっぱりわからなかった。 このオーケストラ、次はどこで聞くことができるだろう? ザンクト・ペテルブルグでなら最高なのだが! しばしのお別れという気持ちで会場をあとにした。


8月25日 PROM53


7.00-c9.15pm Dvor?k Serenade in E major for strings (27 mins) Schumann Piano Concerto in A minor (30 mins) interval Chopin Piano Concerto No. 2 in F minor (32 mins) Dvor?k Slavonic Dance in E minor, Op. 72 No. 2 (5 mins) Legend in G minor, Op. 59 No. 3 (4 mins) Lausanne Chamber Orchestra Christian Zacharias piano/conductor 今日の演奏を一言でいえば、「みんなで仲良く楽しく演奏しました!」である。 前のユース・オーケストラによるマーラーもそうだったように、楽しく音楽をすれば、聞くほうにも多くの 楽しさを与えてくれるものだとつくづく思うのである。 ピアノのザチェリアス?氏は、協奏曲での指揮もおこなっていた。たまにみかける協奏曲の指揮者より、多く の動きを指揮に裂いているように思ったから、逆に言えばピアノに戻るときの鍵盤への動きが神業にみえた。 音的には、ヴィオラの音が素晴らしかった。 オーケストラで音が目立つというのは、もしかしたらあまりよい事ではないのかもしれない。ヴィオラの音は とてもやさしい音で、数ある楽器のなかでも一番好きな音のひとつだから、特に聞いてしまうのだろう。 アンコールでも、ザチェリアス氏が出てきて「コンサートが長くなりすぎました」なんていいながら、次々と 小品を演奏してくださり、楽団の人々も、できるだけ長くこのステージにいたいという感じが伝わってきた。 どれもとてもよい演奏だったと思う。 ところで、このコンサートは、いつもより会場と楽団の結びつきが強かった。 通常ピアノ協奏曲を演奏するとき楽団は、初めの調律のときにピアノのAの音を出して行う。 ここで、冗談好きの英国の聴衆は、チーンというピアノの音を出したコンサートマスターに大拍手をする。 PROMSだけだろうとおもうが、見慣れた光景であり楽しみの一つにもなっている。 ところがこの日、1曲目のシューマンのピアノ協奏曲で、その「お楽しみ」があったあと、ショパンの時には なんと「チーン」の音に対して、楽団が拍手を行ったのだ。これには会場大笑い。 そこに指揮者でピアニストのザチェリアス氏が入ってきて、みんな普通に拍手をして迎えたのだが、彼は聴衆 の方を向くと、また「チーン」とやって、 「僕には拍手無いの?」 みたいなしぐさをしたから、また会場大笑いだった。 こういう会場と一体感のある演奏会こそ、プロムスの醍醐味のひとつなのだろう。 いつもより多くの拍手を全体から感じながら、わたしも最大級の拍手を彼らに送っていた。 楽しかった。 夜の部もあったのだが、今日はもうこれで満足したので、ちょっともったいないが帰ることにしよう。


8月26日 PROM55


7.30-c10.00pm Rachmaninov The Miserly Knight (semi-staged; sung in Russian) (60 mins) Sergei Leiferkus Old Baron Richard Berkeley-Steele Albert Albert Schagidullin Duke Viacheslav Voynarovskiy Salomon Maxim Mikhailov Servant Puccini Gianni Schicchi (semi-staged; sung in Italian) (55 mins) Alessandro Corbelli Gianni Schicchi Sally Matthews Lauretta Massimo Giordano Rinuccio Olga Schalaewa Nella Marie McLaughlin La Ciesca Felicity Palmer Zita Riccardo Novaro Marco Adrian Thompson Gherardo Richard Mosley-Evans Ser Amantio di Nicolao Maxim Mikhailov Betto di Signa Luigi Roni Simone Viacheslav Voynarovskiy Maestro Spinelloccio James Gower Pinellino Robert Davies Guccio London Philharmonic Orchestra Vladimir Jurowski conductor オペラというものには縁が無かった。 というか、元々中学生など音楽に目覚める頃に、洋楽のほうに行かなかった理由のひとつが 「言葉がわからん」 であり、クラシック音楽でもオペラは言葉がわからないのがつまらなくて、聴かなかったというのもあるのだ。 でも、このプロムスで歌手の方の声を目の前で聴く機会に恵まれるうち、一度はオペラというものを見てみた いものだと思うようになっていた。この日はそのオペラの上演となる。 PROMSでは、プログラムに「TEXT」と称して、原語と英語による対訳をつけている。 歌曲の時は英語の理解が難しいわたしも、一生懸命それを眺めて理解しようとするわけだ。 特に知らない曲の場合、どのあたりで終わるか?というのがわかると、安心して集中できるというのがある。 話は脱線するが、プレゼンテーション用の資料を作るとき、この「何枚中の何枚目」ということを示す部分を 作っておけば、見ているほうも安心して聞くことができるという効果があると思うのでご参考まで。 さて、この日の演目は、ラフマニノフとプッチーニのオペラである。 プロムスのような、オーケストラピット(舞台の前方下部にオーケストラを配する場所)に値する部分に我々 が立っているような構造の場合、どのように配置をするものかと興味があった。 解答は、舞台聴衆側前方にオーケストラを配し、後方半分に小さな舞台を設けるといったものだった。 フラッシュ禁止のためピンボケをご容赦いただきたいが、終了後の舞台は上記のような感じだった。 この小さな舞台で、ロンドンフィルのフルオーケストラを前にして歌うのだから、歌手の方々は大変だったと 思う。オーケストラピットの場合より、楽器と歌声がかぶることが多いだろうし、事実、オーケストラの音が 大きすぎて、歌声が聞えないといったことがたまにあった。 しかし、ながら両方のオペラとも、なんともいえない感動を与えてくれた。 特に、プッチーニの GIANNI SCHICCHI(ジャンニ・スキッキ)は、判りやすい喜劇でもあり、大笑いをしつつ、 中で歌われるアリア「私のお父さん」の美しさに思わず本当に涙がこぼれた。 全然話は違うが、わたしは淀川長治さんのファンで、野球の無い冬場に放送されていた「淀川長治ラジオ名画 劇場」を楽しみに聞いていた。そのため映画を見ているわけでもないのに、なぜか知っているように思ってい る映画も多いが、俳優の顔を見てもそれがだれだかわからないという訳のわからない話が良くあった。 おそらく淀川さんが亡くなる15年も前に、「彼が亡くなったら寂しいだろうな」と考えた事がある。 プッチーニが生きた1900年の初頭において、彼が生み出すオペラへの期待は、どんなものだったろう? おそらく、当時のオペラを楽しめるような人々にとって、彼が亡くなった1924年にはどれほどの寂しさを 感じたものか計り知れない。 人は人を楽しませることができる。そして、多くの人を楽しませることができる人は、まったく偉大だ。 ジャンニ・スキッキが作曲されたのが1918年。もう86年もの年を経て、いまだに多くの人を楽しませて くれている。しかもオペラということで、クラシック音楽というより芝居の一種であるから、このお芝居を 楽しむことができる人は、作曲された当時より多くなっているに違いない。 あの美しいアリアの旋律を何度も何度も思い出しながら、夜のロンドンを歩いた。 最近のわたしはパブで歌って、おじいちゃんおばあちゃんを楽しませているように思う。 なんでも人を楽しませることができることがあるなら、少しずつでもやって行きたいものである。


8月27日 PROM56


7.30-c9.55pm Hindemith Concert Music for Brass and Strings (17 mins) Wagner, orch. Mottl Wesendonck-Lieder (21 mins) Wagner Tristan und Isolde ? Prelude and Liebestod (17 mins) Interval Beethoven Symphony No. 3 in E flat major, 'Eroica' (50mins) Deborah Voigt soprano Royal Philharmonic Orchestra Daniele Gatti conductor 今日のプログラムは、このPROMSの中でも楽しみにしていたもののひとつだった。 わたしが長年愛してやまない、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」前奏曲と愛の死、ベートーベンの「 英雄」というカップリングだったからである。 しかし、このたびばかりは感想も書きたくない。 わたしはクラシック音楽を聴いてこんなに腹を立てたことは今まで一度もないだろう。 たしかに、敬愛する故ゲオルグ・ショルティが指揮したチャイコフスキーの「悲愴」のCDを買って帰った ら、もう自分の思いと違うことこの上なくて、むかむかしてきて聞くのを止めてしまったことはあったし、 カラヤンが来日してやはり「悲愴」をNHKFMの生放送付きでやるというので楽しみにしていたら、これ が「おいおいやる気あるんかいな」といった演奏でがっかりしたこともあった。その年からそんなに遠くな い年のベルリンフィルのライブ演奏が素晴らしかったので、これは解釈の問題じゃないと思う。 この日はどんな按配だったかといえば、あのワーグナーの美しいメロディを、やたら引き伸ばして勝手な 解釈をするばかりか、そんななれない解釈に楽団がついてこないと、この指揮者は独特の「奇声」を発して 音楽を邪魔したのである。今まで「歌う」指揮者は何人か見たが、この指揮者の奇声は、音楽と全然あって おらず、携帯電話に等しい雑音だった。 「英雄」も、ワーグナーほど酷くは無かったものの、やはり雑音と「聞かせてやろう。感動させてやろう」 といった感じの見え見えな演奏だと感じた。これだけ聞いていたら、まだ少々良いと感じられたかもしれ ないが... 目の前に立っていたPROMSのTシャツを着ている男も不快だった。男の知り合いらしいカップルを含め て3人ともやたらでかいのは良いとして、この男が一生懸命音楽の解釈をしているのである。わたしは聞い も意味がわからないから聞き流していた。しかし、この「雑音よりも始末の悪い音楽」が終わった時、 「ブラボー」なる意味不明の言葉を発したばかりか、アンコールを求めて地面を蹴り始めたのだ。 解釈は人なりなので普通なら文句をつけたくないが、この日ばかりは違った。この男は駄目だ! どんな解釈をしていたか知らないが、聞かされたほうは忘れたほうが良いのではないか? わたしはこれ以上小さくできないほどの拍手をちょっとだけ贈ったあとで、まだ拍手は終わっていないのに 前の男が地面を蹴り始めたのをみて、あきれて会場を後にする事にした。これ以上腹を立てたくないし、 早く会場を出て人ごみにまきこまれないようにしようとしたのだ。 クラシックの聴衆としては失礼な話であるが、ブーイングでもしたい気分だったのだから、精一杯の抵抗と いったところだ。 しかしながら、この日の聴衆は「めずらしく」私と同意見だったようで、男のアンコール要求を無視して、 あっという間に拍手が終わってしまい、わたしは結局多くの人と共にホールを後にすることになる。 ほんの少しだけ溜飲が下がる思いがした。 この指揮者とてプロなのだから、わたしら素人にとやかく言われる筋合いはないかもしれない。 しかし、一言いわせてもらえば、ワーグナーは歌劇の作曲家であり、その音楽にはもうたっぷり「歌」とし ての劇的な要素が含まれている。それに、また抑揚を加えてどうする? 先に書いたショルティが名古屋でウィーンフィルと演奏した「トリスタンとイゾルデ」は、これ以上ないと 言うほどの落ち着いた演奏だったし、カラヤンも素晴らしい録音を残している。 昨日と違って本当に不快になったわたしは、ぶつぶつと悪い言葉を吐きながら夜道をホテルへと急いだので ある。 これは明確に「限界効用の逓減」ではなくて、演奏者がわたしにとって酷かった。 楽しみにしていただけに、疲れが激しい。


8月30日 PROM59


3.30-c5.35pm Brahms Piano Concerto No. 1 in D minor (44 mins) Interval Carl Vine Celebrare celeberrime (6 mins) UK premiere Shostakovich Symphony No. 1 in F minor (35 mins) H?l?ne Grimaud piano Australian Youth Orchestra Lawrence Foster conductor わたしはオポチュニティ(Opportunity)という言葉が好きである。 日本語では「機会」だ。 この日、パリからユーロスターでロンドンに帰って来たわたしは、このPROMに出るかどうか悩んでいた。 初めてのパリを歩き回って足は棒であり、実際相当疲れてもいる。もう1週間家に帰らずホテル暮らしでもあ り、いかに一人暮らしといっても家のほうが気が楽なもんだなと実感しはじめていた。 ホテルにたどり着いて、プログラムをチェックしてみると、まだ充分行列に間に合う時間だった。 そこでテスコ(スーパー)で買って来た「値引き」と記されているサンドイッチをほおばってから、出かける ことにしたのである。まさに、オポチュニティを大切にしようというわけだ。 これがメジャーなオーケストラの演奏だったら、機会もなにもなく出かけていただろう。しかし、今日の演奏 は、オーストラリアのユースオーケストラとあるから、あまり期待がもてなかった。 しかも、その後には期待の大きなPROMが夜の部で控えているから、疲れを増加させたくも無かった。 ここは純粋に「オポチュニティを大切に!」という自分の方針に沿ったのである。 しかし、この選択は大正解だった。 彼らの演奏は、若いとか「楽しんでる」とかそんなものではなく、私は演奏そのものに感激したのだ。 特に金管楽器の連中は、そんじょそこらのオーケストラよりうまいのではないだろうか? ブラームスの曲以外は現代の曲であり、ブラームスにしても簡単な曲じゃないと噂を聞く。 これらの曲を実に堂々と演奏してくれたのである。 ショスタコービッチの交響曲1番が終わった瞬間、指揮者のフォスター氏は飛び上がったように思う。 わたしも同じ気持ちだった。この若いオーケストラは、なんと凄い演奏を私たちにもたらしてくれたか! アンコール(おそらく何か有名な古謡のアレンジらしく、何人かは会場で歌っていた)の、これまでの曲とは うってかわったやさしいメロディを聞きながら、「やはり、オポチュニティは大切だ!」と心の中でくりかえ していた。 このコンサートでひとつだけ不満なことがあった。 それは、ピアノ協奏曲があったのに、コンサートマスターは知ってかしらずか、ピアノで調律をしなかった。 今か今かと「チーン」で拍手をするのを待っていた我々は、肩透かしを食ってしまったのである。 今度?は、ぜひやって頂戴ね!!


8月30日 PROM60


7.30pm - c9.45pm Debussy Pr?lude ? L'apr?s-midi d'un faune (10 mins) Andr? Previn Violin Concerto 'Anne Sophie' (38 mins) Interval Prokofiev Symphony No. 5 in B flat major (46 mins) Anne-Sophie Mutter violin Oslo Philharmonic Orchestra Andr? Previn conductor まぁなんと「おかず」の多いプログラムだろうか? まず、アンドレ・プレヴィン。「オーケストラの少女」という昔の映画の作曲賞受賞?? わたしはこの件が前から疑問だったのだが、このたびプログラムを見て1929年生まれと知り、1937年の 映画の音楽を作曲なんてできんわなと別人であるという確信を持った。モーツアルトなら別だが。 あの映画で不思議なのは、指揮者として出演したのはレオポルド・ストコフスキーであり、かれは作曲もする人 だったから、そのアンドレ・プレヴィンという人じゃなくて、ストコフスキーにやってもらったら良かったので は?なんて前から思っていた。 それはさておき、この指揮者もわたしが一番クラシックに触れていた時代に大活躍をしていた人であり、おなじ みの人なのだ。 そしてヴァイオリンのアンネ・ゾフィー・ムター。彼女も、私がFM誌を毎週チェックしていたときにデビュー した人で、その当時天才少女出現と騒がれたはずである。プログラムによると、最近アンドレ・プレヴィンと 活動を良く共にしており、今日の曲目は2001年に彼女のためにプレヴィンが作曲したものである。 最後に曲目として、「牧神の午後への前奏曲」。 このドビュッシーの名曲を聴くたび、これは神様が人類のために与えたもうた曲だなと感じる。 音楽以外にも絵画や、映画など、すべての作品と称されるものに、神様を感じるもがある。この曲は、そんな中 のひとつだ。奇跡と思えるほどの美しい音の取り合わせ。是非生で聞いて見たい一曲だった。 さて、感想であるが、英語で言うと「So So」。まぁまぁといったところだろうか。 「牧神の午後への前奏曲」は、やはり難曲らしくCDなどで上手な演奏を聴きなれた耳には、ちょっと技術的に 不満の残る演奏だった。目を閉じて静かに聴いていたが、ところどころ詰まるところが出てしまう。 かといって、何日か前の分に書いたような「ゴミ」的な演奏ではなく、まさに「まぁまぁ」だった。 アンネ・ゾフィー・ムターの演奏は、彼女のための曲だったからもあるだろうか、力のこもった演奏といえた。 しかし、曲自体が難解すぎて、わたしには純粋に楽しむ事はできなかった。「上手いですね」といった感じ。 最後にプロコフィエフの第五交響曲。この演奏はやはりどこが良かったかという感想は無いのだが、楽しむことが できた。評論家ならどこかひねくりだしてくるところだろうけれど、私にはそんな調子である。 「おかず」たっぷりの演奏会。 「美味しかったです」と箸をおいたものの、そのまま横を向いてテレビのスイッチをつけ、プロジェクトXでも 見るかいなといったところだろうか。 ともかく、プレヴィンも見たし、ムターも見た。 今週末は、ピエール・ブーレーズを「見る」ことにしている。 この人も何歳なんやろか?不思議な人物である。


9月 3日 PROM64


7.00-c9.10pm Mozart Symphony No. 41 in C major, K551 'Jupiter' (35 mins) Interval Bruckner Symphony No. 7 in E major (67 mins) Dresden Staatskapelle Bernard Haitink conductor 今週末は、世界最高クラスのオーケストラと指揮者の競演となる。 まずこの日と翌日が、ベルナルト・ハイティンクとドレスデン国立歌劇場管弦楽団。そして、ベルリン・フィル とサイモン・ラットルがやってくる。間に深夜の部で、ピエール・ブーレーズが自作の曲を演奏したりもする。 クラシックファン垂涎のプログラムというわけだ。 それでもPrommerは4ポンド。我々シーズンチケットは込み込みで160ポンドである。 ベルナルト・ハイティンク。もう75歳を廻ったそうである。わたしがクラシック音楽に一番親しんでいたころは、 アムステルダム・コンセルトヘボウの常任指揮者だった。その頃からすでに大指揮者として活動されていた方であ るから、ライブを聴けるということだけでも価値がある。 ドレスデン国立歌劇場管弦楽団は世界最古のオーケストラのひとつとして、また多くの著名な音楽の初演を行った 楽団として知られる、世界的にも評価の非常に高いオーケストラだ。現在、ハイティンクが常任指揮者である。 演目はモーツァルトの最後の交響曲である41番「ジュピター」と、ブルックナーの7番だ。 なんどか書いたとおり、わたしにとってマーラーとブルックナーは鬼門なのである。 曲の中に現れるメロディーには、美しかったり壮大だったりするものが多く、好感がもてないはずはないのである が、おそらくそのメロディーたちの組み合わせが、肌に合わないのに違いない。また、大概長いので、気力がもた ないというのもある。 「マーラー(ブルックナー)さん、そんなにごちゃごちゃいわんとって!」 と、なんどかつぶやき、また、そのたびラジオやCDのスイッチを切ったものである。 反して、モーツァルトのジュピター。これは、一部で話題の「アルファー波(脳波)が出るモーツァルトの音楽」 だからか知らないが、聴いていて疲れる事の無い音楽だ。私にとっては、モーツァルトの中でも好きな曲のひとつ であるから、まず「ジュピター」を聴いて「癒されて」から、ブルックナーさんの「長い独り言」に付き合うこと にしようと考えていたわけである。 このほかにも作戦があった。 前の方に陣取って、例のごとく「一流のオーケストラの音を楽しむ」ことで、ブルックナーさんの演説から逃れ ようともしていたのだ。例のごとく10分前入場のメリットで、ほぼ好みの位置に陣取る事ができた。 ジュピターは、出だし押さえ気味で始まったかに思えた演奏が、少しずつ本来の力を発揮していったように思う。 このオーケストラの弦楽の美しさは、ザンクト・ペテルブルグの演奏とはまるで違う、爽快な輝きに満ちていた。 モーツァルトの楽しくきらびやかな、特に第4楽章の繰り返し繰り返し演奏されるメロディーでは、その力がいか んなく発揮されたようだった。 「終わりよければすべて良し」というには失礼にあたるかもしれない。なにしろその後に「長唄(ブルックナーの ファンの方は多いので、あまり書くと不幸の手紙が来そうですね)」を控える身としては、もうちょっとパワーを 与えてもらえれば良かったがなぁと思った次第だ。 20分の休憩を経て、70分の音楽が始まった。 ブルックナーという人は遅咲の人で、オーケストレーションについて先生から最後の「合格」をもらえたのは、 プログラムによるとなんと39歳。つまり、今のわたしの年齢と同じということになる。 当時まだ在命中だったワーグナーを尊敬し、ワーグナー嫌いの評論家から味噌糞に書かれ、落ち込み、復活しと いった音楽家生活を知れば、なにか憎めない人だ。わたしが言う「ごちゃごちゃ言ってる」とする曲の作り方も、 そういった意味でいえば「わたし、こんな作り方もできるんですよ!」と次々主張しているようにも思えてくる。 そしてこの7番を作曲しているときに、ブルックナーは「師」ワーグナーの死を知る。彼にとっては、思い入れの 大きな作品であったに違いないだろう。 さて、この演奏である。 結論から言えば、モーツァルトがアルファー波を出してくれたものか、否、決してそれだけじゃないと思うが、 わたしはブルックナーを聴いて初めて感動することができた。 今でも「ブルックナー好き」の人の気持ちはよくわからない。あいかわらず、ごちゃごちゃ言っていた。 しかし、この演奏は、メリハリが効き、緊張感抜群で、かつ音も抜群に洗練された素晴らしい演奏だったのである。 曲の終了とともに、わたしが聴いたPROMSではおそらく最大級の拍手が沸き起こった。 演奏を絶賛し、アンコールを要求する拍手は、何度ハイティンク氏が登場しても鳴り止まない。 何度目かで現れたハイティンク氏は、こまったように聴衆を制すると一言、 「今日はアンコールはありません。もしかしたら明日。」 と言って舞台を去っていった。 楽団が退場を始めても拍手はなかなかなりやまない。 もちろん、わたしも拍手をしていた一人だ。 ブルックナーでシメのコンサートで、こういった気分になれるとは、来る前には思っていなかった。 実は聴きにくるかどうかさえ悩みに悩んで来るときめたPROMである。 クラシック音楽の楽しみ方のひとつ、「楽団や指揮者で曲が大きく変わる」ということを痛感したひと時だった。 ところで、このコンサートの中でまた珍事があった。 ジュピターの第一楽章が終わったところで、ロイヤルアルバートホールの両側の座席に入るためのドアが開けら れ、20人前後の客が入場してきたのだ。 このため、所定の座席に座るために、元からいた人がたったりしたので、会場がざわついた。 そこでハイティンク氏は、指揮台の手すりに寄りかかって、事が無事終了するのを待ったのである。 聴衆からは誰に向けてか拍手が起る始末。 おそらく観光バスかなにかが遅れて、しょうがなくとられた処置だと思うが、あまり誉められた出来事ではな かっただろう。 曲がモーツァルトの曲で良かった。 もっと重厚で余韻を楽しむ類の音楽で、あれをやられたら、みんな拍手どころじゃなかったと思う。 毎日のようにコンサートホールにいると、ほんとうにいろんなことが起こるのである意味楽しい。


9月 3日 PROM65


10.15-11.45pm Pierre Boulez Sur Incises (40 mins) Stravinsky Four Russian Peasant Songs (a cappella version) (5 mins) Stravinsky Les noces (24 mins) Version for 4 pianos, 6 percussion, choir and 4 soloists (original date of composition: 1917). Catrin Wyn-Davies soprano Hilary Summers mezzo-soprano Toby Spence tenor Tigran Martirossian bass BBC Singers Ensemble Intercontemporain Pierre Boulez conductor 「ウルトラQ」という円谷プロのテレビ特撮シリーズがある。 昭和30年台後半に撮影された怪獣や奇妙な現象との戦いを描く白黒の作品だ。 私は再放送でしか知らない世代であるが、子供時代によく見たものである。 さて、「ウルトラQ」の傑作(だとわたしは思っている)のひとつに、「鳥を見た」という作品がある。 ラルゲュウスという怪鳥が、古代から蘇って町を襲う話である。 原因不明の重傷を負って死ぬ人が相次ぐ中、多くのひとが最後の言葉に「鳥を見た」といって死んでゆく。と、 いった怖い話なのだが、今日わたしは「ピエール・ブーレーズを見た!」のだ。 このブーレーズという名前もややこしくて、記憶だけでソースもなにもないのだが、ボレロを作曲者ラヴェルの 目の前でホ長調(原曲はハ長調)で演奏して、握手を断られた指揮者の名前がブーレーズだったような無かった ような...といった、時代考証に極端に難のある記憶を初めとして、なにかと昔から名前が出てくる人だった。 今日は指揮および自作の演奏ということで、少々楽しみにしてた。 年齢なんて少し調べればわかるものを、当日のプログラムで知ろうとしたりもし、気分を盛り上げていたのだ。 ハイティンクの大名演の後、ホールの外で深夜の部に並んでいたら、10時に開演するはずなのに、いくら待っ てもドアがあかない。やっと開いたとおもって、アリーナに場所(疲れているので椅子)を確保できたと思った が、10時15分になっても始まらない。 これは困った!深夜の部なのであまり遅くなると帰れなくなるのである。 実際は帰れるのだが、あまり遅い夜の街を歩きたくないというのは以前にも書いたとおり。 ブーレーズの曲の後はストラヴィンスキーの歌曲で、これはとても聴きたかったのだが、あきらめるしかないよ うに思えてきた。とてもイライラしてくる。「なにをしとるんじゃい!!」というわけだ。 10時20分ごろやっと楽団とブーレーズがほぼ同じタイミングで入ってきて演奏が始まった。 舞台の上には数台のピアノと数台のハープにヴィブラホンやマリンバといった木琴鉄琴系の楽器。 それに音階のある鐘などが並んでいる。楽器の構成そのものだけみれば、きらびやかな音楽が好きなわたしにとっ て、大変期待の持てるものだった。 ところが、である。 このブーレーズの音楽は40分もの長きに渡って、これらの楽器をひたすら多くの音符を並べて高速に鳴らさせる という行為を繰り返しているに過ぎないものだった。それぞれの音は確かにはじけるように響く。しかし、合奏で の彩りというのは、ドビュッシーやラヴェル、ストラヴィンスキーのように、絶妙な取り合わせの中なら導きださ れて欲しいとおもうのだ。 10分過ぎくらいから、もう完全に飽きてしまい、そして終わりごろにはあきれてしまった。 これは完全に作曲者、あるいは演奏者の自己満足行為だと感じる。大変難しい曲を作って演奏しました!といった ことに満足しているのではないか? 他人、つまり聴衆には受け入れがたいのではないか? これならば、前衛音楽家の誰かが「作曲」した、オーケストラを並べて何分間か黙っているだけという「曲」の方 が、まだ黙想などできて聴衆も共感できるのではないか? 映画「七人目の浮気」の中で、マリリン・モンローを自宅に招待した妄想男がレコードをかけて気分を盛り上げよ うとし、レコードを何枚か取り出して、「ドビュッシー?ラヴェル?ストラヴィンスキー?ストラヴィンスキーは 怖すぎる...」とつぶやき、最後にラフマニノフのピアノ協奏曲2番を選択するシーンがある。 何年か先、このブーレーズの音楽はそのような場面で使われるだろうか? 答えは明らかに否だと思うが、未来のことはだれにもわからない。 曲がやっとこさ終わり、しかしこの曲に共感した人が多くいたものか鳴り止まない拍手の中、会場を後にした。 このたびはやはり「ブーレーズを見た!」ことでよしとしよう。 1925年生まれ。80を前になおダンディーといった容貌だったが、曲はウルトラQのように怖かった!


9月 4日 PROM66


7.00 - c9.00pm Haydn Symphony No. 86 in D major (26 mins) Bart?k Dance Suite (17 mins) Interval Dvorak Symphony No. 7 in D minor (35 mins) Dresden Staatskapelle Bernard Haitink conductor ハイティンク氏はテレビのインタビューの中で、PROMSの聴衆の素晴らしさについて語っていたように思う。 昨日のコンサートにおいても、彼がたじろぐほどの大歓声につつまれた。 前にも書いたが、Prommerつまり席に座らず立って聴いている人々には、変な拍手も変な咳も少ない。 「クラシック音楽が好きだから2時間でも立っていよう」 といった人々だから、当然といえば当然だろう。 そして本当に良い演奏をしてもらった場合の拍手も、力のこもり方が違う。思い入れとはそういうものだと思う。 反対に、観客席の人たちには疑問符をつけざるを得ない人が目立つ。ツアーに含まれているとか、イベント好きだ とかそういった人が少なからず含まれているように思う。携帯電話が鳴ったり、静かな音のところで盛大に咳をす る人の多くは観客席にいる。(前に書いた、演奏中に携帯電話で話しをしていたのはPrommerですが!) さて、この日も一流の音を聞こうというわけで、前列のほうに陣取りに行った。見事かぶり付きからそれほど遠く ない場所が確保できてほっとする。そのとき自分の右前が常連さんのひとりであることに気がついた。常連さんの となりに少々大きめのスペースがあり、「そこにおいでよ」と手招きをされる。 自分が確保できた場所から次の列、右横前方1mちょっとの場所である。立っている状態にして3人分の距離と いったところだろうか。 最近の割り込みの嵐に辟易とし、この場で文句を書いてきた私としては、この1mが遠いはずなのだが、この日は 何の迷いも無くその場所に飛び込んでいた。後ろに立った東洋人風の若い男性が「うっ」とかいう声を発して不満 を表したように思う。顔を上げるとそこは指揮台と対面する、かぶりつきから3列目の最高の場所だった。 最近他の常連さんも「このお友達さんいらっしゃい」をやってるのを見かけるし、入場直後の陣取りの段階で、 しかもわずか1mちょっとの移動であるから、「エクスキューズミー」で問題ない話だろうと感じてご好意に甘え させていただいた訳である。英国文化の「さじかげん」の部分をやってみようという気持ちだった。 しかし、あまりに場所が良かったためか、「これは悪い事をしたなぁ」と反省をし始めた。もちろん、こういった 行為において「良い場所」もなにもあるものではないのは承知しているが、正直な気分というのはそんなものだ。 かといって、いま戻ろうにももう自分のスペースは誰かが立っているし、そのままとどまることにした。 幸いにして後ろの男性は背が大きいので、モラル以外の影響はすくないようだった。 ゲンキンなもので、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の演奏が始まるとそんな話は忘れてしまい、まずは小編成の ハイドンを楽しんだ。ハイドンの時代の音楽は、かぶり付きで聴くほうが感じがよくでるのではないだろうか? 大規模オーケストラや、高性能のコンサートホールなんて少なかっただろうから、作曲家もサイズにあった音楽 を作っていると思うからである。 ハイドンの後はバルトーク。この人は現代音楽でも私の好きな時代の人のはずであるが、少々灰汁?が強すぎるの で、いままであまり聴かないできた作曲家のひとりである。 ハイティンクと楽団は、自分たちの素晴らしい音を潤沢に使って、この「ややこしい」音楽をつむいでくださった。 「また是非聴きたい」とは思わなかったものの、この日は聴いて損のない演奏だったと思う。 休憩のあと、ドボルザークの交響曲7番が登場する。 今日のPROMに並んでいるとき、作曲家や演奏家の発音について、常連さんと話題になった。 ドボルザークというのは日本的読み方で、英国人は「ボルジャック」といったような発音をする。なんでも「D」 を発音してはいけないそうである。ただ、一部の博識とおもわれる人曰く、「ドボルザークという発音は聞いた事 がある」などといっていたので、どこまでが許される範囲かわからない。 さて、スロバキア系の人の発音については、「むつかしいね」ということで英国人らと笑っていたとき、それでは とばかりに、わたしがプログラムの文字を指差しながら、 「じゃあこれ(バルトーク)は?」 というと、一同「バルトーク」これは同じである。 「これ(ベルナルト・ハイティンク)は?」 「バーナード・ハイティンクだよ」といったので、「日本ではベルナルト・ハイティンクといいます」と言ったら、 「彼はベルギー人だったか?だから、それは正しい言い方だね」 などと、またしても含蓄のある発言をする人がでる。 彼らが今度は「そしたら日本じゃドレスデン・シュタークスカペレ(国立歌劇場管弦楽団)はなんていうんだ?」 というので、かれらの言うとおりに言ってみようと「どれすでん・しゅた..しゅた...同じですよ!」なんて 適当に答えて笑いを取っておいた。 さて、「ボルジャック」の交響曲7番。やっぱりこのオーケストラは東欧の香りを残しているからか、こういう曲 が良く似合う。これまた感想は「素晴らしかった」というだけで、「どこが?」には答えられない。 昨日の「アンコールはもしかすると明日」という発言を聞いていたからもあってか、終わったあとの拍手は昨日 以上。ハイティンク氏は、感激のあまり立ちつくしたといった感じで指揮台に立っている。 ところが、いきなりこちらを見ながら譜面台の大きなスコアをパチンと閉じてしまった。 悲鳴のような声が起る。これは「もう演奏会は終わりですよ」というサインだ。 ところがハイティンク氏、茶目っ気たっぷりに小さなスコアを取り出した。歓声がまた沸き起こる。 そこで昨晩と同じように歓声を制し、「ごめんなさい。スラブの音楽ではないのをやります。」というような事を 言われたように思った。大意は間違っていないと思う。 そして演奏された音楽は、やっとわかる曲がアンコールに取り上げられたと思った瞬間、これがわからない事に 気がつく。題名どころか作曲者も脳裏から出てこない。 「えーっと、これは作曲はおそらくドイツ人で、多分ベートーベンあたりの人で...ベートーベンやったかな?」 「いや、これはベートーベンやない...おそらくウエーバーとちゃうかな...曲目!ウエーバーの序曲なんて オベロンくらいしかしらんわな...あ、魔弾の射手は讃美歌の何番(主よみてもて)やったかいな??」 「後で確認してベートーベンやったらどうしようか???」 曲を楽しむより、自分の記憶がそこまですっ飛んでいることに恐怖心のようなものを覚えながら、悩みになやんで いたら、曲は素晴らしい盛り上がりを見せ、そして終わった。 大拍手をし、ハイティンク氏と楽団が去った。 まだ自分の記憶力の衰えにおびえながら出口への道を歩いているとき、近くから話し声が聞えた。 「・・・マリア・ウエーバー・・・」 これはさっきの曲の話をしてるのに違いない。 讃美歌の番号(今日の曲とは関係ありません)は最後まで思い出せなかったが、どうも作曲家の名前までは間違って いなかったようである。 素晴らしい演奏だった。また、聴きたいと思った。 ただ、帰り道、「あの1mちょっと前にでて、ものすごく良い音が聴けて常連さんに感謝やけど、神様には悪行を つんだに違いないわな。明日なんかバチでも当たらねばよいが」と、かなり利己的な反省をした。 そしてこれまた勝手な話だが、これからは割り込みには「かなり」寛容になることにした。 言い訳の上塗りをすれば、こんな按配で後半戦のPROMSには割り込みに寛容な人が増えているのかもしれない。 明日は第九をベルリンフィルと英国出身のサー・サイモン・ラットルがやってくる。 混雑が予想されるから、前で音を楽しむために、いつもより早めに行って行列に加わる事にしよう。 神様には、「これっきりにしますから、バチをあてないでね!」と空をみあげてつぶやいた。


9月 5日 PROM67


6.30 - c8.35pm Schoenberg Variations for Orchestra, Op. 31 (23 mins) Interval Beethoven Symphony No. 9 in D minor, 'Choral' (70 mins) Christiane Oelze soprano Birgit Remmert mezzo-soprano Timothy Robinson tenor - please note the change of artist John Relyea bass City of Birmingham Symphony Chorus Berliner Philharmoniker Sir Simon Rattle conductor どうせホテルにいるのだし、ロンドンも自分の好きそうなところは大概みてしまったので、今日は昨日も考えたと おり、早めに行って並ぶ事にした。6時30分から始まるコンサートだから、普通なら5時30分ころにいけば入場 できるので、5時が私的には通常の時間ということになるところを、3時半には到着するように出かけたわけである。 もちろんもっと早くても良かったのだが、髪の毛があまりにも伸び、昨日の話しではないがベートーベンばりになっ てきたので、昼間の時間を利用して散髪に出かけたから遅くなった。カットだけで7ポンド。アラブ人らしい散髪屋 さんと、日本の少子化問題について話をしていると、頭は綺麗になっていた。この件はおもしろかったので、本編に 書くことにする。ともかく、この後、頭を洗いにホテルに帰ってから出かけ、アルバートホールにやってきて驚いた。 自分としてはとんでもなく早い時間にやってきたつもりなのに、行列の最後はいつもと同じ場所だ。他の常連さんも いつものポジションよりだいぶ後ろに来ている。前にここでご紹介した日本人ご夫婦も、かなり後ろの場所に陣取っ ておられた。他の常連さんにお聞きになったところによると、彼らも意外なほど「一見さん」の出足が早かったそう で、8時から並んでいたひともいたとの事。さらに、いつもは「これが私の代わりね!」と、自分の荷物のなかの ごくつまらないものを置いていても、それで行列に参加したことになっていたのが、この日はその荷物をどこかに 除けられてしまって、また並びなおしなどという事件も起ったらしいと教えてくださった。 りんごを置いていても、食べられずに認識される楽しい「身代わり」なのにである。(あたりまえだ!) ベルリンフィルの人気か、サイモン・ラットルの人気か、はたまた第九の人気か?? 一見さんがやってくると、暗黙の了解の世界が崩れてしまうのでやりにくくなるわいと思うのは、もはや自分が 常連側のサイドにたってしまっているということの証明だろう。 昨日の一件もあるし、「ラストナイト」に向けて少々気持ちをしめなおさねばならないかもしれない。 さて、早くきてもお話しができるひとが近くにいると、とても時間は早くたつもので、行列の3時間もまったく苦に ならず過ごさせていただいた。わたしを知る人ならおわかりのとおり、「いつものように」ネタといえば太平洋戦争 や教育の話。人生の先輩にあれこれと知ったかのような話をするのだから、大変ご迷惑をおかけしたかとおもう。 ただ、時間を早く流すためのネタとしてだけは、ちゃんと作用していたことを祈るばかりである。 会場に入ると、もうすでに少しばかりの熱気が感じられた。 ロイヤルアルバートホールには、なんと冷房設備があるそうだ。 「なんと」というのは、我々にしてみれば「じゃああの暑さはなんなんだ!」という話になってしまう。 その冷房とやらが無かったとしたらどうなるのだろう?? ネットを検索してみると、冷房が入ったのは近年のことで、それ以前は「楽団がブレザーを脱いで演奏していた」等 といった話を知る事ができる。わたしのような暑がりが、非常に暑いとは思いながら扇子を持っていくというだけの 「抵抗」でここまでこれたのは冷房のおかげだったといえそうである。 冷房の入っているはずのホールは開演時間を迎えて、もはや熱気むんむんといった状態になった。 オーケストラの後ろには、まだ出番でないはずの合唱団まですでにスタンバイしている。 初めの曲目はシェーンベルグの「オーケストラのためのバリエーション」 この人が、こんな音楽を作ってしまったから、現代の作曲家は聴衆を意識しない音楽をつくるようになってしまった のではないか?シェーンベルグは「浄夜」のような信じられないくらい美しいメロディーを作れる人だったのだから、 12音階音楽なんて妙なものをひねり出さなくても良かったのに...と、素直に思う。 しかし、今日のベルリンフィルの演奏は、このややこしい音楽を極めて強い統率を伴った音作りで、わたしのような あまりふさわしくない聴衆にも強い感激を与える演奏をしてくれた。 「さすが超一流!」 と、また思わざるを得ない。 第九70分少々の「前座」?としては、「良すぎる」演奏だったと思う。 さて、ベートーベン交響曲第9番ニ短調「合唱つき」 「なんの因果で夏の真っ只中に、痛い足を引きずりながら立ち上がってこの長い交響曲を聴かねばならんのか?」 こう感じるわたしはやはり日本人だろう。 第九といえば年末のイベントというわけだ。 いままで第九を年末になんども聴いた。 あるときはラジオで、あるときはどこかのホールで。そしてあるときは車の中で。 となりに座っていた女性は、「その音楽は嫌」といってそれっきりになってしまったが。 そしていつも第九を聞くときは、ミーハーモード丸出しで、第四楽章の合唱のみを楽しみにしてしまう。 こうして立っていると、嫌がおうでも初めからちゃんと聴かねばならないのがPROMSの楽しさでもある。 しかしこの夜、そんな心配はまったく無用だった。 ベルリンフィルは、気合に満ちみちていた。一つ一つの音を大切に扱っているように思う。 「おや?」という否定的な感想が出る箇所はほとんど無かっただろう。 わたしにとっては「めずらしく」あっというまに3楽章が流れ、合唱が始まる。疲れた足にもありがたい話だ。 この合唱がまた秀逸だった。サイモン・ラットルは「編曲」ともいえるほど、音の強弱について合唱にメリハリを加えて いたのだが、その要求に合唱団は見事に応えていた。 残念なことといえば、通常ソロの歌手はオーケストラの前に立つが、今回はステージの関係なのだろう、合唱団の前での 歌唱となったため、どうしても声量に不足が生じるといった按配になってしまう。 いくらソロ歌手といっても、合唱団とほぼ同じ位置からでは目立てというほうがかわいそうというものだ。 最後の最後まで、統率とメリハリに満ちた素晴らしい音が目の前を走りぬけ、フィナーレの、拍手のパワーを貯めさせる かのような部分が過ぎ、曲が終わった瞬間、会場はほんとうにすさまじいばかりの大歓声につつまれた。 この演奏はおそらく誰が聴いても納得の名演だったと思う。 心なしか楽団の人々も一仕事やり終えたといった感じより、「どんなもんだい!」的な誇りに満ちた表情をされている 様に思えた。 今日の演奏は、「参った!」の一言。 ベルリン・フィルさまへ、失礼ながらもう一言。 「たいしたものです。」


9月 6日 PROM68


7.30pm - c9.30pm Debussy La mer (24 mins) interval Messiaen ?clairs sur l'Au-del?... (62 mins) Berliner Philharmoniker Sir Simon Rattle conductor 今日のプログラムを見ると、ドビュッシーの「海」が初演された当時の案内が紹介されていて、そのバックには北斎の 浮世絵の一部である「海」が描かれている。 日本という国について、ひたすら自虐的な考えを植えつけようとするいわゆる「自虐史観」は、私にもいつのまにか忍び こんでいて、いわゆる「印象派が日本の浮世絵に大きな影響を受けている」という話も、「かなり眉唾なのでは?」と、 まず思ってしまう傾向がある。しかし、先の案内などの資料を見ると、本当なのだと納得できる。 現代の日本人もたいしたものだ。昨日のシェーンベルグを演奏した際の、ベルリンフィルのコンサートマスターは、安永 徹氏であり、現在は主席コンサートマスターとして活躍されている。曲が終わったあとの休憩時間、となりにいた台湾人 だという青年が突然「おめでとう!」と声をかけてきたので「何?」と聞くと、「このオーケストラで、あの席(指揮者 のとなり)で日本人が演奏できるということは凄い事だ」と言う。安永氏はかなり長くコンサートマスターを務めておら れるから、複雑な気持ちになったが、たしかに思い直せば凄い事だ。「わたしもそう思うよ」と答えておく。 プログラムによると、ベルリンフィルには他にも数人の日本人の演奏家がおられ、重要なパートで演奏されている。 アテネ・オリンピックでも素晴らしい成績を残した日本選手団。 このところ経済の停滞によって、なにか日本そのものが自虐史観でもしょうがないような気分になりつつあったが、実は 日本人は世界で大活躍しているのだ。そこらじゅうで光るカメラのほとんどがデジカメ。まだロンドンの科学博物館の カメラ発展史のコーナーには飾られていないが、近いうちに必ず飾られることになるだろう。ちなみに現在の展示での カメラ発展史の最後は、ニコンやキャノンのカメラが飾られ日本のカメラがいかに商業的に成功したかということが語ら れているのだ。 いきなり目に飛び込んできた北斎の海に、ロイヤルアルバートホールの高い天井を眺めながらそんなことを考えていた。 海といえばこの日、テームズ側に係留されている軽巡洋艦「HMSベルファスト」の見学をし、中の資料に同等の時代に 建造された同級の船といえる旧日本海軍の巡洋艦「最上級」が、いかに優れていたかを示すビデオなどを見たからかも しれない。この話も本編で書くことにしようと思う。 今日はさすがにといえばフランスの巨匠二人(ドビュッシーとメシアン)には失礼だが、昨日よりは観客の出足が悪い。 ロンドン見物をしていたので、いつもとほぼ同じ時間にやってきたのだが、驚いた事にほぼいつもと同じ位置に並ぶ事が できた。そういえばこの日は月曜日なので、お勤めの方のことを考えればあたりまえかもしれない。 しかし、演奏そのものは昨晩の緊張をそのまま維持したようだった。 ドイツのオーケストラというだけで「むさくるしさ(失礼)」をなぜか感じてしまうところ、ドビュッシーの「海」が 持つ繊細さ、神々しさを見事に再現してくれたように思う。2曲目に演奏された、メシアンの最後の大作も、やはり昨日 のシェーンベルグのように、テクニックで聞かせてくれた。メシアン最晩年の作品だからか、少々「こちらの世界?」に 寄って来てくれていたような音楽ではあったのだが、それにしても、このPROMSで何度も聴かせていただいた、現代 でおそらくもっとも評価されている一人である作曲家の一連の作品の中で、掛け値なしに一番楽しむ事ができたと思う。 楽しかったのは、メシアンの音楽の中で使用される「風の音?」を作り出すための回転式で布をこすらせる楽器??が、 もちろんこの名門オーケストラの中でも当然演奏?されていたこと。 あの「ビューんビューん!」という音には「名器」とか「名演奏」なんてものはあるものだろうか? そういえば、ラジオで聴いていた、今シーズン初期のPROMでのチャイコフスキーの大序曲「1812年」で鳴らされ たキャノン砲(本物かどうかはラジオなので不明)では、あまりの音にオーケストラの音が完全に一時聞えなくなってし まい少なくとも「名演奏」ではなかった。 あの手の「キワモノ楽器?」を演奏する楽団員も大変だろうと思う。 大拍手の中、当然というようにアンコールも無く楽団はホールをあとにしてゆく。 ロンドンの人々は、夏のある日の時間をちょっと割き、コーヒーを一杯我慢すればこの演奏を聴くことができるのだ。 なんとうらやましいことだろうか!! 今度の一連の名門来演でわかったこと。 本物を、時を置かずに、そして同じ値段で聞き比べてみると、格の違いだけははっきり判るということ。 普通なら値段の違いに耳がごまかされるとか、ホールの違いとか、はたまた体調の違いとかいろいろあるだろうから、 聞き比べといってもひずみが出やすい。 しかし、ほぼ同じ条件で聞き比べる事のできるPROMSでは、その違いは歴然としてしまった。 もちろん、この感想記にも書いている通り「気合」や「楽しさ」で、演奏のよさそのものは大きくぶれる。なにも音だけ がクラシック音楽の要素ではなく、複雑に絡まったいろいろな事象が「楽しい演奏」や「名演奏」を生むということも 理解している。 ただ、あの「音」だけは音楽を専門に勉強したことのないわたしには表現することは不可能だが、どうしようもない所だ と思う。わたしの聴いた中で、ザンクト・ペテルブルグ、ドレスデン、ベルリンの音は、明らかに違っていた。 良いオーケストラを良い条件で聴けるクラシックファンは幸せだろうなぁと思った。 また、もちろん、PROMSでこんな体験ができていることを、再び感謝せずにはおれなかった。


9月 9日 PROM72


7.30 - c9.45pm Charpentier Requiem (Messe pour les trepasses) (56 mins) interval Charpentier Messe pour plusieurs instruments au lieu des orgues (20 mins) Charpentier Te Deum (23 mins) Orlanda Velez Isidro soprano Olga Pitarch soprano Paul Agnew tenor Jeffrey Thompson tenor Topi Lehtipuu tenor Marc Mauillon tenor Joao Fernandes bass Bertrand Bontoux bass Choir and Orchestra of Les Arts Florissants William Christie conductor このプログラムを見ると、イギリス人というのがいかに冗談好きなのかがわかる。 PROMSもあと3日で終わり。そして、本日のプログラムは葬式関連の音楽で有名らしい、カーペンティエールの 音楽ときているのだから。意識してそうしたとしか思えない。 表向き?は、この作曲家の死後300年を記念しての演奏会とのことだが、プログラムに書いてあるサブタイトルは、 「Scared Music(恐ろしい音楽)」というわけだから、確信犯といえる。 と、ここまで書いてきたところで、プログラムを見直してみたら、とんでもない間違いに気がついた。 「Scared」じゃなくて「Sacred」である! 辞書を引いてみると「宗教音楽」となるから、なんともまっとうなコンサートだったわけだ。 この音楽を聴く前にプログラムをみていたから、コンサートの最中もロイヤルアルバートホールが「恐怖の館」と化す のを楽しみにしていたし、ただまっとうな音楽だったので少々がっかりもしたのだが、単なる間違いだった。 日本人の常連さんの方々にも盛大に「恐怖の音楽」を宣伝していたから、これもあとの祭りである。 この場を借りておおぼけのお詫びをしたい。すみませんでした。 しかし英語も難しいとは思いませんか!葬式音楽をやるのがわかっていて、Sacredなら、恐怖やと思いません? さて、演奏の方はといえば、古楽らしくいろいろな種類の楽器が登場して、見ていて楽しかった。 一人の奏者が多くの楽器を足元においていて、いつの間にか交換しながら演奏をする。 音楽そのものは、これまた古楽らしく淡々と進み、終わったと言う感じ。それ以上のなにものでもない。 ただ、プログラムによると、このクリスティーなる指揮者はアメリカ生まれで、しかもエールなどの有名大学を卒業後 フランスに渡って、この古楽専門のオーケストラを設立し現在に至ってるらしい。 頭の良い人はやることが違うわいと思いながら聞いていた。 最後まで、「全然怖くないやん!」ともちろん感じながら...


9月10日 PROM73


7.30 - c9.50pm Dvorak The Water Goblin (14 mins) Rusalka - Song to the Moon (5 mins) Puccini La Boh?me - Musetta's Waltz Song (3 mins) Manon Lescaut - Intermezzo (7 mins) Bellini I Puritani - Mad scene (18 mins) Performed in a concert version with cuts interval Shostakovich Symphony No. 5 in D minor (50 mins) Anna Netrebko soprano BBC Philharmonic Gianandrea Noseda conductor 長かったPROMSもついに通常のPROMでは最後となった。あとはザ・ラストナイトを残すだけだ。 実はこの日もラストナイト用の行列に参加していたので、ほとんど気分はラストナイト状態である。 ただ、今日のPROMは、わたしがこのPROMS2004に常連として参加するキッカケとなった「火の鳥」を指揮 したナセーダ氏が、これまた盛り上がり系の音楽であるショスタコービッチの交響曲5番「革命」を演奏されるので、 とても楽しみにしていたのである。 最近は行列に参加するのも早くなって、舞台のかぶり付きにとても近いところで音楽を聴くことが多くなった。 今日の前半のように、ソプラノなどの歌い手が参加するPROMでは、その威力が存分に発揮されるということは以前 にも書いたとおりである。ともかく、あの迫力は凄いし、声の美しさや、歌の正確さには驚きと感動を覚える。 今日の曲目は、イタリアとチェコのオペラからだった。もう、PROMSにでもこないかぎり、こんな近いところで 世界レベルのソプラノを聴けるのは最後だろうと思いつつ、その素晴らしい歌声を聴いた。 アンコールがあるかなと思ったが、プログラムどおりでサヨナラだった。 さて、休憩の後はお待ちかねの革命だ。初めの音がなるのが楽しみである。 ナセーダ氏が指揮台に立ち、固唾を呑んだ瞬間。音楽が始まった。 しかし...なにかおかしい。まったくおかしい。 私は思わず、「なにかおかしい」とちょっと口に出してつぶやいてしまった。 あのトリスタンとイゾルデの怪演の指揮者同様、やたら音を長く扱っているのだ。 曲がワーグナーではないので、いやらしさは生まないものの、楽団がやはりあまりの長さにちゃんとついてこれていな いように思う。 「あ、これは演奏が止まる!!」という危機感をなんども感じながら曲が進んだ。 そういえば、「火の鳥」の大団円といわれるフィナーレも長く音を扱って、そのときは大成功したように思った。 しかし、この革命の第一楽章では、オーケストラが機能していない。危なっかしくて聞いていられなくなってきた。 ナセーダ氏は大汗を書きながらの懸命の指揮である。ナセーダなんて名前だから簡単に駄洒落を書けるところだが、それ はやめておくとして(なんのことやら)、ともかくはらはらどきどきの演奏になってきた。 こんな調子ならある意味一番楽しみにしている第三楽章の綺麗でゆっくりしたメロディーは、もはや夜通しの演奏となる のではと心配したが、指揮者自身機能していないことを悟ったか、こちらは普通の演奏だった。 そして、第四楽章に入る。 この楽章の主題となるメロディーは、関西に古くから住んでいる人にとってはお馴染みのメロディーだ。 「部長刑事」という大阪ガス提供の30分番組の初めに流れるメロディーだったのである。かなりの長寿番組だったと 思うので調べてみると、1958年から1989年までやっていたらしい。いつまでこのメロディーが使われていたかは 不明である。番組のタイトルが表示され、このメロディーが高らかに鳴ったあと、ピアノ?の低音でリズムを刻むなか、 画面上縦に現れた綱にほころびが入り、そして切れてゆく。このシーンが子供心に恐怖心を掻き立てられたものだった。 まさかこの楽章までゆっくりはやらないだろうと思っていたとおり、この第四楽章は特に味付けは無かった。それどころか、 金管楽器の方々がこの大変な楽章を見事に演奏してくださったので、初めの危なっかしさはどこへやら、まさに 「終わりよければすべて良し」 の按配だろうか、汗だくのナセーダ氏には大拍手が贈られた。 近くで聞いていたこれまた常連さんの日本人女性に「65点!でも、ラッパの人には100点!」と声をかける。 会場を出ながら何人かの日本人常連同士話をしたなかで、「わたしも止まるかと思った」という感想も出ていたところから みると、あの危なっかしさはやはり本物だったのだろう。 ナセーダさん、ゆっくり演奏2度目は少々勝手が違ったようで。 柳の下にどじょうは2匹おりやせんでした。 今日はラッパ隊に助けてもらいましたね!! さて、明日はラストナイトである。


9月11日 PROM74


7.30pm - c10.30pm Dvorak Overture 'Carnival' (10 mins) Richard Strauss Horn Concerto No. 1 in E flat major (16 mins) Vaughan Williams Five Mystical Songs (19 mins) Barber Toccata festiva (12 mins) interval Sir Peter Maxwell Davies Ojai Festival Overture (6 mins) Puccini Madam Butterfly - Humming Chorus (3 mins) Rodgers & Hammerstein Oklahoma! ? 'O what a beautiful morning' (3 mins) Cole Porter Kiss Me, Kate ? 'Where is the life that late I led?'(5 mins) Gilbert & Sullivan The Mikado ? 'I've got a little list' (2 mins) Sousa Liberty Bell - march (5 mins) Elgar Pomp and Circumstance March No. 1 (8 mins) Henry Wood, arr. John Wilson & Stephen Jackson Fantasia on British Sea-Songs (23 mins) Parry, orch. Elgar Jerusalem (2 mins) Traditional (arr. Wood) The National Anthem (2 mins) Traditional Auld Lang Syne (1 min) Sir Thomas Allen baritone Simon Preston organ David Pyatt horn BBC Singers BBC Symphony Chorus BBC Symphony Orchestra Leonard Slatkin conductor ついにこの日がやってきた。 この文章をお読みになっている方の中で、PROMSに以前から興味をもたれているかたがいらっしゃるとすれば、 おそらく「ラストナイトには本当に入場できるものか?」という疑問を持っておられる方が多いと思う。 わたしも本当に入場するまで、その思いは強かった。 しかし、ご安心いただきたい。シーズンチケットを持っているPrommerなら、よほどのミスをしない限り入場す ることはできるだろう。そして、いままでの私のようにかぶりつき「付近」を確保したいような場合でも、PROMS にちゃんと参加し、その年のルールを知れば問題ないだろう。 このあたりの詳細については、年によって変わるだろうし、あまり不確かなことは書きたくないので、残念ではあるが この場には記さないことにする。また、このラストナイトに参加できるということは、英国人で無い場合、勝手なこと を書くようだが、かなりの思い入れをもって参加しないことには、あの最後の雰囲気に圧倒されてしまう。 わたしは礼装のようなものを持っていなかった。だから、いつもPROMに参加するサングラスに魚釣り用のポケット の一杯付いたリバーシブルのベストといった格好で入場した。 ペイントンの家には、鷲の絵がかかれた和装をもっていたのに、気が利かないもので、その格好が「うけそうだ」と 気づいたのは、ロンドンに到着してからのことだった。阪神タイガースの虎が大書されている黄色のハッピでもよかっ たかもしれない。 右上は、いつものお世話になった日本人の常連さんご夫婦や、他の日本人の着物の女性も含めて記念写真を撮っている ところである。わたしはカメラの背後から馬鹿なことをやって笑いをとろうとしていた。キリストの格好をした人が 来たので祈っていると、「わたしは本物である」といわれた。文化祭の後夜祭のようなのりである。 いつの日かまた来る事があったら、なにかおもろい格好でもしてくる事にしよう。 いつもの数倍厳重な警戒の中で入場が始まる。酔狂とも言ってよい9月11日のお祭り。ロイヤルアルバートホールに 多くの英国人があつまり、指揮者はアメリカ人。すぐ隣のハイドパークでも、野外に多くの人があつまって、このホール の映像を見ながら一緒に歌を歌うのを待っている。 テロリストが狙わないほうがおかしいような状況のなかで、ロンドンに秋を告げるお祭りが始まった。 始まる前には、いつもチャリティー募金をしている人たちが、ボックス席の方に向かって、「おまえらしょうもない!」 などと酔っ払いのような文句を叫んでいる。参加したいもんだが、情けない事に「ぶらぼ〜」すら満足に発音できない 身としては、止めておいたほうがよいだろうと自重した。 そしてついに、今年でBBCとの契約が満了するスラットキン氏が最後のPROMSの舞台に現れた。 前半は、少々退屈な普通のPROMである。淡々とクラシック音楽の時間が流れる。 インターバルの最中から、指揮台を初めとする舞台の上にはテープや風船がかけられて、お祭りムード一色になる。 ミュージカルの歌では、どうも替え歌が歌われており、みなが大笑いしている。これまた、英語がわからないのが悔しい。 スーザの「自由の鐘」では、スラットキン氏が難しい手拍子を要求して、上手くいかないと大げさに失望する。 そして、エルガーの「威風堂々第一番」となった。 みんなと一緒にひざでリズムをとる踊りをおどりながら、「希望と栄光の国」を待つ。前も記したとおり、一回目のサビは 歌わないのだが、この日はみんなでハミングをした。そして... わたしは前から3列目にいた。 前から書いているとおり、自分の大声にはかなり自信を持っているし、それでこそパブでも歌い続けている。 「ブルーピータープロム」の時に歌った感じでは、かなり大きな声として、まわりに知らしめることができる、というか 迷惑になるだろうなどと考えていたのだが。 「希望と栄光の国」が始まると、そんな心配?はふっとんだ。みんな声高らかに、この素晴らしいメロディーを大合唱する のである。亡き義伯父と語り合った「こんな曲がイギリスにはあってうらやましいなぁ」という曲。現場で体験してみると、 その思いはさらに深まった。英国には自分の国に対してよい感想を示さない人が多いと思う。しかし、それは謙遜だろう。 こうして、「さらに大きくなるぞ!」とみんなで歌っているときの英国人は、いつものしばりから解き放たれたように、 楽しそうにおおらかにこの曲を歌い上げた。 スラットキン氏は「今日はもうチャントできたでしょ?」なんて冗談いって非難を浴びたあと、おきまりの2回目が始まる。 みんなで肩をくんで歌っていると、なにか英国に残りたいような気がとても強くなってくる。 国と言う存在。日本にいて自虐史観が自然のもののように思える存在も、外国ではこのように人と人とを結びつけるものと して今でも強烈に作用している。一体どれくらいの国が、日本のように国を語れば右翼のように思われる状態にあるものか? こういう国民のイベントに参加してみると、この国がうらやましいというより、日本が寂しいという感じを強く持つ。 その国に生まれ、その国に守られ、その国とともに生活し、その国とともに成長することは、ごく普通の話ではないか? 国が一つになるといえば、すぐに戦争という言葉を持ち出してくる人々に、こういう経験をしてもらいたいものだ。 きっと自分の偏狭さに驚き、人々が結びつくことの素晴らしさを体感するだろう。 希望と栄光の国が終わっても、プログラムは続く。 ここからはおきまりのようで、悲しいメロディーにはハンカチを一杯吊り下げたロープが用意されて、みな涙を拭き洟を かむ。「ブリタニアは征服されない!」なんて歌を歌う。そして、国歌「God Save the Queen」 わたしはこの国歌はパブでも歌わないので静かに黙想して聴いていたが、リピートになった時、なぜか衝動にかられて、 歌詞を見ながら歌っていた。 曲が終わると、今年で退任するスラットキン氏が去っていく。 そして、今年のPROMSがついに去っていく。 ロイヤルアルバートホールでは、みんな隣の人と腕を交差させる形で手をつないだ。 オーケストラの演奏なく、「蛍の光」の大合唱が始まる。 わたしは歌詞をしらないので、日本語で歌った。 「蛍の光 窓の雪 ふみよむ月日 かさねつつ いつしか年も すぎのとを 明けてぞ今朝は 別れ行く」 英国での一番大きな夢のひと時が終わった。 呆然としながら、しかし、来年またここで歌ってるかもしれないとふと思った。                                                了 拙文をお読みいただきありがとうございました。 今年のPROMSの参考や、今後の予定を作られる上での何かの参考になればと思い、つづって参りました。 さて、ラストナイトのビデオを見ながら、サングラスの自分のあまりの異様さにあきれております。 済んでしまった事はしょうがないとして、今後参加されるみなさんは、もうちょっと??ましな格好をされて行かれたら 良いのではないでしょうか??? などと、馬子にも衣装などという言葉を思い出しながら、勝手に反省をしております。 NHKでも年末に放送されるとのこと。 おそらく、この文章をお読みの方以外は、着物を着たかわいい女性の後ろに映る、大きな顔にサングラスの不気味な男が、 日本人であるとは気がつかれないでしょうから、おそらく日本の恥とまではいかないと思います。 最後に、ロンドンの日々、文中でもご紹介した日本人ご夫妻には、大変お世話になりました。 PROMSの情報、英国での暮らし方などを教えていただいたのみならず、夜、なんども車で送っていただけたことが、 どれほどうれしかったことか計り知れません。 わたしの馬鹿話が、あの行列やホールでのひと時の軽い時間つぶしとしてお役に立てていればと祈るばかりです。 本当にありがとうございました。 他にも日本人、英国人、ハンガリーの方、その他みなさん楽しいひと時をありがとうございました。 感謝しながら筆?を置かせていただきます。
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