Last update on Oct.24th,2004



英国滞在記(その3:Paignton 編2)




ちょいと英語のお勉強

イースターがやってきた

インターネットあれこれ

ちょっとだけ

歌は楽し!!

ビザ、歌、花

アイルランドへGO!

英国のモラル

ペイントンは天国!!

BBC PROMSへGO!

犬もあるかねば...

食べ物のお話しなど

さる・エテコ・チンパンジー







2004年3月27日から4月3日まで


前回かなりキザなことを書いたので、今日はちょっと感じを変えていこう。 本人はいたってマジメだったのであるが、内容は万人受けするようなものじゃなかったと思うので。 さて、今回は英語のお勉強についてである。(よって今回は写真がありません) ほかのページなどに、いやというほど書いたのでご存知の方も多いと思うが、わたしは英語が苦手で ある。高校3年生の年間の英語の成績は1であった。5段階評価は標準偏差で行われるはずであるから、 1学年に300人ほどいたわたしの学年のワースト10には間違いなく入っていたことになるだろう。 何度か目のご紹介となる逸話であるが、(ここまで来ると自慢話になっているようで怖い)高3といえ ば通常大学受験の夏ごろの話だった。英語の先生がたとえば次のような例文を示した。 Business is not what you suppose it to be.(ビジネスって、君が考えているようなものじゃないよ。) (この文章は、科学論文に役立つ英語 関係代名詞から引用しました。) 先生曰く、「春名(私の名前)。このwhatの意味はなんや?」 私即座に、「何(what)」 先生ぎろりと私を一瞥し、「お前だけは絶対大学に推薦せんから覚えとけ!」 これまた何度も書く。わたしは本当にこのwhatが、まさか他の名詞なりと置き換わっている、つまり 関係代名詞であることを知らなかった。なんちゅう高校三年生やろうかと今にして思う。おそらく、この 年は、英語にたいするあきらめが、最大限に達していたのだろう。確か高1の時の評価は3だったから、 どんどんわからなくなっていたのだ。 幸いにして、持ち上がり式である関西学院大学には推薦してもらえた。しかし、大学の教授面接という 「儀式」のときに、「君は英語が1だね。心理学とかは専攻しようと思ったらだめだよ。英語一杯読ま ないとあかんからね」と、ある教授にアドバイスされ、素直なわたしは文化人類学のゼミに進んだので ある。最終的には世論調査のゼミに進み、ここで本当にありがたい経験をさせてもらい、社会に出て 大いに役にたつことになるのだが、その話はここでは関係ない。 さて、そのような私が英語を勉強しているのだから、進み具合は推して知るべしといえる。カナダで初め て英語の勉強をさせてもらい、怪しげな英語の文章(もちろんWhatを関係代名詞として使うような文は 書いたことがありません)を書いて、外国のひととコミュニケーションをとるようになったりした。 しかしながら、カナダではあまり話すことをしなかったというか、できなかったので、さっぱり会話は 進歩しなかった。(先に出てきたスペイン人のローザちゃんは、もうペラペラである。読みがこんなにあ たると恐ろしいくらいだが、連れのアイダちゃんもそろそろカタコトにチャレンジし始めたから、きっと のこりの数週間で、彼女らは英語が上達して帰っていくのだろう。いまだに両者とも、何か言ったあとに 「Do you understand?(わかった?)」というのが口癖であるが...) カナダでの会話の経験といえば、次の例がもっともわかりやすいと思う。 わたしは、デイリークイーンという甘物屋の「ブラックベリーシェーク」が大好きだった。ブルーベリー と違って、ちいさな種のようなものが入っており、ここちよいのである。おそらく1年間で30回は食べ たと思うが...まともに注文できたためしがなかった。 いつも、ブルーベリー?なんて聞き返され、レギュラー(中)がなぜかラージ(大)になりそうになった。 この話しはあとで重要になってくる。 英国にくるまでに、わたしの英語力はかなり進歩していたようだ。スウェーデンの会社にお世話になって、 上司が外国人という時期も経験したからであろう。単語も知らない間に多く覚えたみたいである。今いる クラスの中では、なぜか英語のボキャブラリーが豊富であるという評価を受けている。剣(ソード)とか 刃(ブレード)なんて言葉を知ってるからだそうだ。生活には何の役にもたたない言葉ばかり、頭に入っ ているように思う。反して、電話をしていて出てくるような単語はまるで記憶されていないのである。 さて、どうしてそんな話しをしたか? わたしが、ソードやブレードなどとカタカナ表記したのはわけがある。 先生がカッターの刃を示して「これは何?」という。私は「ブレード」と答える。先生は「正解」といっ てくれるが、わたしの「ブレード」はどうも違う言葉として聞こえているようだと気がつく。 先生は、先生の知る blade ということばと、少々似たことを言ったので、正解といってくれたのだ。 しかし、ちょっとでも先生の意思と違う、しかし良く似たような意味の言葉をいったら、通じないことが 多いということに気がついてきたのである。 これではいけない! 私は清水の舞台から飛び降りるつもりで、一週間約160ポンド追加となる午後一時間半の個人教授を 受講することにした。目的はずばり発音記号の読み方取得および、発音の矯正である。 やってきたグリニス先生は、わたしがこの学校に来たとき初めて会った先生であり、クラスを決めてくだ さった人であった。いわば教頭先生といった立場のひとである。思えば、カナダでお世話になったメリー ルース・マーテル先生も、クラスを決めてくださった人だったから、第一印象は完璧である。 わたしは、発音の矯正と発音記号の読み方について教えてほしいとお願いした。そして、日本語には子音 と子音の組み合わせがなく、かならず子音のあとには母音(あいうえお)が入るので、英語の発音をする 時にとても困るといった話しを、自作のひらがな・カタカナ・ローマ字対応表を使って説明して、自分の 基本的弱点について説明しておいた。 先生は、「なるほど!それで日本の生徒が、Markのことを「まぁく(Maaku)」なんて発音してるのね」と、 理解を示してくれた。自分を含めて、日本人への教育の何かの足しになればと思う。 グリニス先生は、発音記号をざっと練習させ、私のまずい点を書きだしてゆく。 もともと苦手な音、P、B、V、はそんなにおかしくないという。むしろ、そんなにおかしくないと勝手 に思っていたRが決定的に駄目らしい。Nも駄目。あと、先に登場した子音の組み合わせは、やはりまず いとおっしゃった。 わたしは、Rについては舌を巻けばよいと思っていた。 ところが、解説によると次のようにしなければいけない。 「舌の付け根を両側の奥歯につけたまま、巻き舌をしながらかつ上あごに舌をつけてはいけない。」 「口びるはどちらかといえば突き出すようにし、はじめに「ウ」をいうような感じからはじめるとうまく  いく。」 こんなに難しいとは知らなかった! 以前によんだ、外国人の在日奮闘記である「外人はつらいよ(ドン・マローニ著)」によると、日本人は LがみんなRになると書いてあったので、わたしもそうなってるつもりだったのだ。しかし、先生による と、わたしのRはほとんどLであるらしいのである。 その日かえって、「ゥラビット」「ゥロビン」「ゥリアリィ(really)」などと練習した。 翌日先生は、「昨日さっぱりできなかったのに、今日はできるじゃない!」と大変誉めてくれた。これも 外国流教育法だなどと落ち着いておれないほどうれしかったが、難関はこの後も続く。 Linkなどといった、Lから始まる言葉のLの発音はまったく問題ないといわれたものの、今度はさっきも 出てきたReallyのLがまずいという。 Lが語中で登場するとき、下の先が上あごから歯に向かっておりてゆかねばならないのだ。 これが私にとって一番の難関であることがはっきりした。 Really? (本当?) というときのLは、Aの次にくるから「準備」する暇があるので、まだ楽に発音できる。 ところが、BL、PL、FL、などの子音からLにいく場合、準備ができないので、舌が上あごから歯に おりていかないのだ。うまくおりていかなかった場合、英国の人には「変な音」となってしまうという。 Regular Black Berry (普通のブラックベリー) ものの見事に、わたしが「できない発音」の塊である。 注文できなかったわけが、よーーくわかった! ブラックなんていう言葉は、日本語といっても良いほど自分の口からするりと出てしまう言葉である。 しかし、black はブラックとは違うのだ。 Bの音は、「プッ」と噴出すときの破裂にくわえて、のどから「ボッ!」という音を加えて発音する。 この「ボッ!」がない場合、発音はPになる。つまり両方とも唇からつばを飛ばすような勢いが必要であ る。このBをやったあとに、先のLつまり、下を上あご近くにもって行き、歯に向かっておろすことで、 BLの発音が完成するらしい。 英語でも日本語でも、出だしに何を言っているかは、その単語を聞き取る上で極めて重要な要素である。 だから、はじめの部分がまずいとなると、彼らにとって理解が極めてしにくくなるのも当然といえる。 Regularだって、はじめの音がLと聞こえたら、Large と聞かれてもおかしくないわけだ。 BLからはじまるものでは他に、blue (青)なんてのがあり、これがもっとも私にとって発音しにくい 言葉であるとわかってきたのは本当に以外だった。下手すれば小学校低学年から「ブルー」なんて言って いたような簡単な英単語が、実はまったく間違った発音であったなんて... あと、Please (すみません)も同じである。今まで何度言ったかわからないこの言葉が、現地の人には 変に聞こえてたなんて... Plan (計画)だってそうだ。そういえば、カナダで湿疹が出たときに行った お医者さんで「Planning」といったら「running」と間違われた... まさに目からうろことはこのことであった! flower (花)も、Fの発音(上の歯を下唇につけて強く「フッ」と出す。Vはそれを弱くするだけ。) ばかり気にしていたが、その後のほうが難しかった。F、V、TH、などという「日本語に無い」発音 にばかり気をとられていたが、そうじゃなかった。やはり組み合わせが難しかったのである。 あと、このFの歯の動きを気にしていたら、who などの音がFになってしまうという混乱もしていると 教えてもらった。 who は、唇を閉じたらいけないのである。これはNも同じだ。 これ以外にも、単語の読み方での一杯間違いがあった。発音記号をちゃんと勉強していれば、そのあた りは矯正できるように思う。幸いにして、まだ少々難ありだが、発音記号はゆっくりとなら読めるよう になった。毎日、発音記号だけで読む練習をしていたら、今度は普通の文が怖くて読めなくなってしまっ たという変な状況にもなっている。 英語は表記と発音が違う「難しい」言語なのである。 今度カナダかアメリカに行く機会があったら、絶対デイリークイーンにいって「ブラックベリー」では なく Black Berry シェークを Regular で頼んで、一発で理解してもらうというのが今の目標となった。 他にも、会話を普通にやって、間違った単語を抜き出してもらって矯正するということもやった。 毎日1時間半週5日、この内容で160ポンドは「お得」だったとおもう。 2週間受けたこの個人教授は、先生がお休みに入るため、しばらく私もお休みすることにした。 先生が復帰するまで家で毎日練習して、次の授業ではもう少しばかり進歩しておくつもりである。 また何かお役に立てそうなネタを勉強したら、ここに公開させていただきます。 (次回は...なにかきっとあるでしょうから、そのときに考えるとします)


2004年4月4日から4月10日まで


イースターのお休みで、ドイツ人が一杯やってきた! イースターというのはキリスト教の関係者以外、日本ではあまりおなじみではないが、こちら西洋では クリスマス並みに重要な行事となっているらしい。簡単に言えば、イエス・キリストがゴルゴダの丘で 十字架の上で亡くなったあと、このイースターに復活されたことに起因している。つまり復活祭である。 学校のクラスで、「イースターとクリスマスはどっちが大事か」と聞いたら、今のクラスにはドイツ人 とドイツに住むフランス人しかいないのであるが、「クリスマスは家族のために大事である。」「家族 のいないクリスマスほど酷いものはない」などといった意見となった。どうもイースターのほうは、 単純に楽しむためのものと考えているようである。 イギリスでは大きな卵の形をしたチョコレートが売られている。どうして卵なのかといえば、よくわか らないらしいが、先生のマイクは「生まれるようなものだからだろうか?」などと言っている。他には ウサギがなにやらからむらしく、このウサギについてはまったくわからないという。 わたしにとって、ここでのイースターそのものは、学校がそんな調子で休みはかきいれどきとばかりに 休みにならなかったので、朝の登校のときに車が少なかったといった程度の恩恵しか受けていない。 しかし、町はイースターを気に、たくさんの出し物やホテルがオープンし、一気にシーズンインしてい くようであった。 その代表格が蒸気機関車であろう。 ある朝、登校途中に蒸気機関車の出発点であるペイントン駅を通りかかると、なかなかお目にかかれな いものが白い蒸気をゆらゆらと上げてとまっていた。機関車は朝が早いらしい。出発は10時30分が 最初の便であるが、わたしがとおりかかった8時15分頃にはすでにお目覚めだったわけだ。 この機関車はここ Paignton から、以前列車の止まったことが無い駅としてご紹介した、Dartmouth の 川岸にあたる Kingswear までを運行している。今乗るのは人が多そうで今ひとつと思い、自重している ので、近いうちに搭乗記を書かせていただこうと思っている。 なにしろ、蒸気機関車が実際の路線で運行されているところを見るのすら、これがはじめてであった。 上の写真の一枚を撮るときに、踏み切りにたつ私の目の前を、テレビや映画で聞きなれた、「ジャッツ、 ジャッツ」という独特の音がここちよく響き渡った。この防音の悪い部屋でも、時々汽笛が聞えて来る。 そして、ペイントンの海岸も、イースターで一変する。 上に見える遊戯施設のあるところは、もともと気分の良い芝生だった。 ある日大きなトレーラーがジャンじゃかとやってきたかと思うと、あっという間に遊技場へと早変わりを したのである。以来、毎日遅くまで音楽がこだましている。 騒音というほどの音じゃないので、気にはならない。むしろ、隣の音のほうが気になる。 さて、ここ最近英語の方がさっぱりわからなくなっており、なにやら沈滞気味である。 どうもその原因のひとつとして、デクランおやじのイングリッシュカルチャーコースを卒業したという のが大きいように思う。このコースを受講?していたときは、毎日どこかへ出かけては、デクランの講義 を聞き、生徒と話をし、パブでのんで歌っていた。週末にはデビッドと遠くにでかけて、社会や歴史の 話題を喋っていた。ところが、このコースをやめてしまうと、そういった交流もあまりしなくなり、今や レギュラーのようになっているパブに行って歌うことくらいになってしまったのだ。 その効果はてき面で、まるでカナダの時のように無口なばかりか、デクランおやじの言ってることも、わ かりにくくなる始末。やはり少々お金をだしてでも、またこのカルチャーコースをとることが、わたしの ような輩には良いのかもしれないと、また考えはじめている。 そのデクランおやじが、用事があってイングリッシュカルチャーコースのプログラムを何度か欠席した事 に気を利かせてくれて、先週つれていってくれたのが、以下の庭園 Coleton Fishacre House & Gardens である。「誰にもいうなよ」と、大きな声で言って予約リストに私の名前を書き込んでくれたのだ。 春の英国の庭園は、さすがに美しいとおもう。色とりどりの草花が、実に印象的に配置されている。 この家は、現在アガサ・クリスティー邸の庭と同じく、ナショナルトラストといわれる非営利事業に管理 がまかされている。その前は、ホテルや劇場で財を成したひとの週末ようの別荘だったという。 家の中では、「ミカド」なる芝居の古いフィルムを断片的に紹介していたが、これがおもしろい。 服装は日本の昔の服らしいのだが、中身は鼻のでっかい西洋人である。遠巻きの撮影では、それがよくわ からないから良いが、ズームアップすると、なんとも言いようのない人たちの芝居となっていた。 やはり和服は、東洋人がよく似合う。 広い家のダイニングルームから聞えていたピアノの生演奏が、ショパンの夜想曲9の2という大変有名な 曲になり、そして終わったとき、この家とお別れの時間になった。 どうも、またこのコースを受講したほうが、気分の上でも英語の上でも健康の上でも良いようだ。 デクランおやじに頼んで、もうちょっとしたらまた受講させてもらうことにしよう。 (やはりイギリスは半年で良いのではないかと思い始めております。まだビザの申請は躊躇中です。)


2004年4月11日から4月17日まで


世の中変わったものである。 今、わたしの部屋には、512kbpsという日本ではちょっとお目にかかれない程遅い、ADSL回線を ひいてインターネット接続している。 私は関西人らしくタイガースファンだ。 カナダにいたときは、タイガースの情報といえば、良くてチャットと呼ばれるタイプ式の会話方式で情報を 得るくらいだった。だから、1996年のシーズンについての画像情報はほとんどなく、その年限りの外国 人選手なんて見たことすらない。 ところが、今シーズンは違う。 いくつかのラジオ局がインターネット・ラジオで中継をしてくれているのだ。 だから、今岡の同点ホームランの、「カーン」という音まで聞くことができるし、サヨナラ負けした雰囲気 も良くわかる。 それどころか、リアルタイムでテレビも見ることができる。 毎日放送が年間4500円で、甲子園の巨人戦以外の画像を配信してくれているのだ。 だから、岡田落合両監督ともシーズン終盤と勘違いしてんのとちゃうかと思わせた阪神中日戦も、少々荒く たまに画面が止まってしまったりはするものの、楽しく観戦することができたのである。 ただ、ナイターは学校の時間とかさなっているので、休みの日でもないかぎり、良くて最後のほうしかみれ ないのであるが。 ただし、この毎日放送のサービスは、ちゃんと録画もしてくれているので、放送のあった日は、あとからちゃ んと試合を見ることができる。よさそうなシーンだけみて楽しんでいる。 ニュースもいろいろな形で見ることができる。 今、巷をにぎわせているだろうイラクの人質騒ぎも、ネットの上ではいろいろな形で情報がとれる。 玉石混交、うそや過激な表現のものも多いが、実に多くの情報が寄せられている。なかには、本当に感心する ようなものも見つけることができる。 現時点でまだ進行中の事件なので、内容については触れないことにするが、このネットワーク上の意見という のは、今後世論を知る上で、非常に重要な役目を持っていくと思う。少なくとも、今回の事件において、これ また簡単に読むことができる新聞の評論、記事と、ネットの人々が言っていることとが、当初ものすごくかけ 離れていたものが、時間の流れとともにマスコミ側がネットのほうにどんどん近づいていった。 従来、ネット上の意見といえば、学生、技術者といったコンピュータにかかわりやすい人の意見が主流だった。 ところが、あたりまえの事ではあるが、最近は多種多様な人がネットに接続し、そして意見を述べるように なってきた。この状況に、まだマスコミは追いついていなかったと思われる。 ネット上の意見といえば、誰かが自動的・組織的に複数の意見を書き込むといったイメージが強い。もちろん、 今回の件でもそういう書き込みらしいものは、数々見受けられた。しかし、そういったバイアス(ひずみ)の かかった情報をより分けていくと、なかには面白い意見や、あっと驚くような情報が入っているのである。 しかも、新聞の投書欄のようにマスコミの意思で餞別された結果を見るのではなく、生のやりとりがなされて いくのであるから、情報の刺激もつよい。だれかがゴミだめだというのも良くわかる。しかしそこには、思想 や利害関係といったフィルターのかからない、大衆の意見がいっぱい詰まっているのである。 私は、この事件がネット世論というものにとって、ひとつの節目になるのではと感じている。 さて、今週はそういうわけで、ネットにかじりついていたため、話題がまるでない。 最後に汽車の写真をのせておしまいとさせていただく。今回の汽車は機関車トーマスの顔をつけていた。 汽車の煙というのは、もっと埃っぽいものだと思っていた。この写真を撮った線路の上にかかる橋で、覚悟を 決めて待っていたら、何のことはないただの湯気だった。 濃い灰色の煙を吐いている汽車の写真を目にしたことがあるし、よくトンネルに入るときに窓を閉め忘れて、 かおが真っ黒になったなんて話も聞いた。 あれは、違うタイプの蒸気機関車だったのだろうか?それとも、そういった瞬間があるのか? 今度乗って見るときに確かめてみることにしよう。 ネットの話題と、蒸気機関車。 時の流れはあっても、おもしろそうなものはそこ等じゅうに転がっているものである。 (次回は、ちょっと早めに更新の予定です。)


2004年4月18日から5月17日まで


なんのことはない。 ちょっと早めに更新とか書いて、一月が過ぎた。 この期間、何をやっていたんだといえば、本当にいろんなことがあった。 腹の調子が悪いと、保険屋さんにたのんで現地の医者にいって、腹の調子が悪いというのに検尿を指示され、 その結果を聞きに行ったら、外来だから時間がかかるから後で連絡するといわれたから、メールアドレスを 置いてきたのに連絡がなく、すっかり自信をなくして保険屋さんに聞いてもらったら、異常なし。 そりゃそうやろと思いつつ、むかむかするのは続いているし、ホントに悪かったらかなわないと、わざわざ ロンドンまで4時間かけてでかけ、3泊4日滞在して、美術館めぐりをし、三越やジャパンセンターという 日本語が問題なく通用するところで買い物をし、お医者さんでは胆石が少々と、精神的なものの可能性を指摘 され、もどってきたというわけである。ふう... ロンドンの美術館めぐりでは、ルノアールの絵とラファエルの絵に大感激した。 ルノアールなんて、ナマッチョろい絵をかく画家だとしか思っていなかったが、本物を見て驚いた。 その油絵の具が作り出す一つ一つのぎざぎざが、信じられないほどの美しさを生み出している。 絵葉書を買ってみたが、そこにはなんのことはない例のごとくのルノアールがあった。 本物と印刷が、こんなに違うものなのだと、この歳にしてはじめて知ったわけである。 あと、ラファエロの「聖母マドンナ像」は、わずかA4ほどの大きさの絵なのであるが、これがもう信じられ ないほど美しかった。これに関しては、絵の具がどうとか、思いつく技法はなにもない。ただ、ひたすら、 驚くほど美しく崇高な絵だった。 わたしは二つの絵の前で、どれだけの時を過ごしたかわからない。 目に焼き付けるために、ずっとたたずんでいた。 なんども帰ってきて、なんども感心した。 それほど気に入ってしまったのである。 もともと大好きだったターナーの絵が、たくさんあったのもうれしかった。 先のルノアール、ラファエロ、そしてターナー、すべてナショナルミュージアムの展示物であり、おどろく べき事に入場無料である。ロンドンの底の深さを思い知らされた4日間だった。 さて、ロンドンに行くにあたり、学校を2週間ほど休んで気分転換をした。 そんなこんなでネタが多いだろうというのが、「早めに更新の予定」だったわけだが、あまりに書くことが 多くてずるずるやっているうちに一月たっていたというのが真相である。 結局こうして、書き直すことによってとりあえず再開させてもらうことにした。 さて、学校に帰ってみると、なじみのメンバーが何人かいなくなっている。 生徒そのものは増えているようなので、学校でもなにかまったく取り残されたような気分がした。 ラウンジにいっても、知っている人がほとんどいないのだ。 しかし、水曜のパブに出かけてみると、たった2回行かなかっただけなのに、「良く帰ってきた!」といった 按配で、なじみの人たちに迎えられ、何事もなかったかのように何曲かのうたを歌った。 このパブには Paignton に滞在しているかぎり、出かけたいものである。 蒸気機関車にも乗って、Kingswear に行って来た。 もっとぎったんばったんするかと思ったが、極めてスムースな発進をするのには少々驚いた。 面白かったのが降りるときのドアである。内側にとってがついていない。 外に手を出して、取っ手をひねり、中から開けるというなかなかたいした代物だった。 映像も含めて次回もう少しちゃんと更新したい。 そろそろ一時帰国の時も近づいている。 (と、いうわけで、またよろしくお願いいたします)


2004年5月18日から5月22日まで


前回あまりばたばた書いたためいろいろミスがあった。 ロンドン行ったのは、「日本人のやってる医者に出かけた」のだが、なんとそれを書き漏らしている。 ナショナル・ミュージアムと書いたのはナショナル・ギャラリーである。 ロンドンのお医者さん「ロンドン医療センター」には本当にお世話になった。 受付から看護婦さんまでほとんど日本人である。 当時、Paigntonの医者で、かなり自信喪失の憂き目に会っていたため、精神的にもほんとうにたすかった。 しかし、超音波検査を担当してもらったのは日本人ではなかった。 おなかを出してジェルをぬって、ゴロゴロとあのくすぐったいものをぐりぐりされたあとに、なにやら 英語で言われたがまたしてもこれがわからない。 おそらく右向けとでも言うたのかとおもって、右に向いたら、「反対です」などと言われる。 「あ〜、やはり英語を取得しようなんてのは、まったく見果てぬ夢やなぁ!」 とまたしてもがっくりする。 しかし、そのがっくりは検査に影響しなかったようで、胆石以外に悪いものは見つからなかったようである。 さて、ロンドン医療センター(写真左)の受付の方に、 「近くに良い散髪屋さんはありませんか?」ときいたら、 写真右の散髪屋さんにここのお医者さんは行ってるとのことだったので、行ってみることにした。 「とりむシテクダチャイ(これを書くのもほんとうに久々ですね)」 トリムというのは調髪のことであり、わたしはテンで髪型に興味がない奴なこともあって、それだけ言っ てみることにしたのだ。 「ワタチ、サンパツヤサンニ、イママデモンクイッタコトナイアル」 といったら、いきなり洗髪から始まった。 こうなりゃもうまな板の上の鯉である。なるがままにまかせていたら、しばらくして自分としてはまったく 問題なくすっきりと散髪されていた。やたら櫛が耳にあたって痛かったことを除けば。 実を言うと、外国で散髪をしたのはこれが初めてである。 カナダに住んでいたとき、怖くて?(ほんとです)どうしてもいけなかったというか、何と言えばよいのか まったくわからなかったし、それほど英語ができなかったのである。 おまけに髭までたくわえていたので、一時期のわたしはすさまじい顔をしていた。今は昔の話である。 さて、お医者さんに行く以外では、ロンドンを満喫させてもらった。 有名な芝居にもいってみたかったが、昼間なにせ博物館を歩きまくっていたので、夜になるともうつかれて バタンキューといった感じであった。これも、「ロンドン紀行2」をアップできなかった理由のひとつかも しれない。 今回行った博物館は次のとおりである。 大英博物館、自然史博物館、ナショナルポートレートギャラリー、演劇博物館、ナショナルギャラリー、 アルバート・ビクトリア博物館、(以上無料)、そして交通博物館(有料) 中でも、前回もご紹介したナショナルギャラリーは、わたしのような美術に素人なものでも、ものすごく 貴重な時間を与えてくれるすばらしいところだった。自然史博物館も良かった。 前回のロンドンで訪れた科学博物館とともに、この3つはお勧めの場所である。 しかし、いかんせん博物館系は、時間があっという間にたってしまうので、余裕を持った滞在でないと楽し むことができない。このあたりは、非常に予定を立てる上で難しいところだろうと思う。 今回行ったなかで交通博物館だけは、たしか5.95ポンド(この辺があとから書くとつらくなります。 メモにそう書いてあるけれど、何かと一緒に払ったかも?)支払って入る。基本的にはロンドンのバスや 地下鉄の歴史を実物の展示物で再現しているので、大変面白かった。 右の写真は、世界初の地下鉄である。トンネルの形ぎりぎりに会うような車両になっている。 面白いことにもでくわす。 ロンドンでバスに乗るときは、バス停にある自動販売機で1ポンド入れてチケットを買うとややこしくない ようだと知り、2ポンド貨を入れてみたら案の定お釣りが出ず、1ポンド泣き寝入りした。 ぶつぶつ言いながらバスに乗ってしばらくすると混んできた。 前からマリア像とおもわれる一抱えもあるような像を持って初老の夫人が座るところを探してやってくる。 と、アジア系の若い女性が彼女に席を譲った。 マリア像の夫人はとても感謝してすわり、若い女性にいろいろ質問していたが、その女性が降りる場所が 来たとわかったとき、マリア像と一緒に持っていたカレンダーか何かを彼女に渡して、「これ、あげるわ。」 女性はそれをもって降りていったが、なんともほほえましい光景だった。 ロンドンは本当に面白いところだったし、まだまだまだいろいろ見てないものがあるにちがいないから、 是非一度じっくりと腰をすえて探索してみたいものだと思った。 さて、ペイントンでも面白いことは起こる。 ロンドンから帰ってきて、水曜日のピアノの集いにでかけると、拍手で帰還を迎えてもらった。 夢が叶ったという体験以来、このパブに行くときは必ず歌を何曲か歌ってきた。 こんな調子で歌っているわけである。 以下、少々自分で書くにははばかられるような話しであるが、面白い体験なので書いておこうと思う。 ここのパブで、わたしはひとつのポリシーを持っている。 それは、「人々から声をかけられない限り歌わない」という簡単なルールである。 前も書いたが、ここに集う人々の邪魔をしたくないからだ。 面白いと思われている間は、お役に立ちたいと思うし、それでなければ止めておいたほうが良い。 声がかからなかったら、きっとちょっとさびしい思いをするだろうが、それまでのことである。 ただ、声がかかったときのために、この写真のように歌詞のコピーを用意していく。 基本的にはサッチモ(ルイ・アームストロング)の歌まねと、例のごとく「希望と栄光の国」を歌う のであるが、それ以外にもいろいろなネタを考えていくわけである。 「思い出のサンフランシスコ」を「思い出のトーベィ(ペイントン付近のこと)」に変えてうたった。 ここは丘が多く、霧も出るし、海風が強く、ちいさなケーブルカーだってあるので、サンフランシスコ をトーベィに変えるだけでよいのだ。これには皆さん大笑い。 スペインの女性にスペイン語のアマポーラを教えてもらって、紙にカタカナで書いて歌ったりもした。 これは後で彼女に「ちゃんとわかったわよ」と誉めてもらった。 ドイツの学生が多いので、「会議はおどる」をドイツ語で歌ったこともある。 めちゃくちゃだったとおもうが、ドイツ人にはとてもウケた。 また映画「旅情」のテーマを英語で歌ったときは、5歳くらいの女の子が駆け寄ってきて、 「You have a good voice.」(あなた良い声してるね) といってくれた時は、何と言ってよいやらわからなかった。 独身としては、もうちょっと?歳のいった女性から言ってもらいたいものである。 「アリガト」というと彼女はまた駆けていってしまった。 さて、こんな調子で楽しませてもらっているし、みなさん楽しんでくれていると思う。 なにしろ、毎回とりあえず「歌ってくれ」と声がかかるのだから。 先週もちょっと面白いことがあった。 いつものように、声がかかるのを待っていたら、なじみのおばさんが「マイウエイを歌ってよ」ときた。 マイウエイとは、また大げさな歌であるが、映画音楽集のなかになぜか歌詞が載っていたので、 「コレデチュカ?」と聞いてみると、それだといって、ピアノの女性であるパムへとリクエストをした。 日本のカラオケでマイウェイを歌うことは、かなりはばかられる行為である。 谷村新司の「昴」とともに、他の人がしらけないようにという理由?から、歌ってはならない曲とされて いるからだろう。熱唱はカラオケでは問題がある場合が多いのである。 しかし、歌ってよといわれたら、これはやるしかない世界だ。 英語の発音もへったくれもなく熱唱した!!!マイウエイをこそこそ歌ってもしょうがない! 大拍手!!! 芸人と乞食は3日やるとやめられんというが、一銭ももらってなくてもこれは気分がよい。 英国人の前で、しかもリクエストされてマイウェイを歌ったというのは、わたしにとってまたちょっと 特別な経験になった。 一体彼らはどんな風にわたしの大声だけの歌を聴いているのかわからないが、ともかくこのパブの聴衆に 「エンターティナー」の一種?として認められているようである。 これでギネス(アイルランドの黒ビール)でもおごってくれるならプロだと自覚できるようなもんだが、 残念ながら同じ学校から同行した生徒の人以外から頂いたことは一度もない。 しかしながら、本当にこの機会を楽しませてもらっている。こんなこと、願ってもできるものじゃないの だから。 機会があるかぎり、この集いには参加しようと思う。とてもよい雰囲気がある。 たとえもう歌わせてくれなくなったとしてもである。歌っているほうが明らかに異常だ!! さて、今日はこのくらいにしようと思う。 自己満足の話しをあまり書くのもはばかられる。 わたしのビザは、ミルトンキーンズ編でも書いたとおり、観光ビザである。 これは6ヶ月有効なのだが、なんともう残り1月を切ってしまった。 英国にもうしばらく滞在したいと思っているので、学生ビザへの変更手続きを出している。 家の更新契約時期の提示と、学校への予約期間の提示が必要とのことだったので、10月末までの申請を した。これもどえらいご丁寧な制度だとおもうが、制度なのだから仕方がない。 申請をするだけで、結果にかかわらず155ポンド(3万円ちょっと)とられるのも腑に落ちないが... したがってパスポートも提出中で手元にないから、今は外国へ行くこともできないし、日本にも帰れない。 昨日郵便で、「受付ましたが、残念なことに即時決定できませんでしたから、次の部署にまわしました」 なる文書を受け取った。これはかなわない。 駄目なら駄目といってくれれば、家の解約や、もろもろのややこしいこともこなせる。 ともかく、この件がどちらかに落着するまで、どこにもいけないから困る。 学校は、ひとまずあと一週間でおわり。 あと、英国一周か、アイルランドへの旅行を企てていた。 どうなることかは、英国ホームオフィスのみが知っている。 (次回は、また花の写真でも載せようかとおもっております。もちろん口直し(目なおし?)に...)


2004年5月23日から5月30日まで


先週の木曜日、家に帰ってみると郵便局のいわゆる「不在通知」が入っていた。 この時期わたしのところに届きそうな通知といえばただひとつ、ビザの話しであるから、その日のうちに 取りに行った。今回の不在通知の場合、配達後2時間以降に指定の郵便局に出向き、自分を証明するもの を提示できれば、サイン後受け取る事ができる。 ちょっと、困ったのはこの証明で、荷がパスポートであろうから、パスポートで証明することができない。 仕方がないので、写真つきの証明が好ましいだろうかと、国際免許証を持っていった。 かかりの人に不在通知を出し、国際免許証を差し出すと、なぜか写真のページが何かに引っかかっいて見え なかったらしく、「これじゃ証明できないよ!」といわれた。 写真のページを示すと、「失礼」といった後、「ここにサインね」となり、程なく茶色で厚手の封筒が私の ものとなった。 差出人はやはり「Home Office」(ビザなどの管理をしている組織)となっている。 こういうのを道の上でやるのは非常に危ないことなのだが、はやる心を抑えきれない。 歩きながらびりびりと封印の部分を破り、ごそごそと菊の御紋のついた赤い小さな手帳をひっぱり出して、 「査証」の欄をめくってみる。 ビザが見当たらない。 カナダの時は、大きな紙が折りたたんで貼り付けてあったので、一目瞭然だった。 少々あせりながら、もう一度確認する。 すると、「査証」のとあるページに、パスポートの大きさよりやや小さめの綺麗な紙が貼り付けてあるの を見つけた。なんと、わたしの写真まで刷り込んである。 英国滞在延長許可のビザであった。 不思議な事に、特に学生用なる記述はないのだが、一緒についてきた説明には、学生が英国に滞在するため の注意点である、「週に20時間以上働いてはいけません」などの記載があることから、これは学生用の ビザであると一人合点する。 目を皿のようにして、有効期限を探す。 申請書に書いた日付だと、10月末までの申請であったにもかかわらず、ビザの有効期限は2004年の末 までとなっていた。これで今後の滞在やヨーロッパ訪問などへの自由度が増したので大変ありがたい。 この日、その後久しぶりにデクラン親父の運転するミニバスで、私のお気に入りの大聖堂があるエクセター に行くことになっていたので、早速学校に行き、デクラン親父に報告する。 「びざトレタアルョ!!」 「そりゃよかった!ええニュースや、ホンマ!(毎度ながらデクラン親父の言葉はこんな調子である)」 夕方、エクセター大聖堂に行って、もちろん感謝の祈りをした。 これでひとまず、秋までは英国暮らしができる。ほんとうにありがたい。 実は、その前日の水曜日、つまり歌のパブの夜、 「もしビザが取れなかった場合、日程の関係で今日が最後になるかもしれません」 (カタカナでは気分がでないので、ここはご容赦を...) といつものメンバーの前で言ったら、「なんとか帰っておいで!」などと多くの人に言われ、普段なら 苦虫を噛み潰したような顔をしている、これまた歌の上手な紳士にまで握手を求められる始末。 残念なことにちゃんと意味はわからなかったが、「また合いましょう!」というような歌まで皆に歌って もらったものだから、時間的にはめちゃくちゃだとはわかっていても、あのパブの人たちの力もあったもの だろうと感謝する。 本当はビザを取ったらすぐにでもどこか旅行に行こうと思っていた。しかし、そのパブのおなじみの一人の おばさんが「来週、わたしの誕生日だからきっと来て頂戴」などといわれていたので、もちろんデクラン 親父に頼んでパブに出かける事にする。 前回の最後に口直し、目なおしなどと書きながらまたパブの話しを書いている。 ちょっと失礼してもうちょっと書かせていただく。 その夜、挨拶以外にもわたしは秘策を準備していた。 いつものように呼ばれて、いつもとは違い初めに皆が喜ぶ「ハロードーリー」などルイ・アームストロング の歌をやった。2度目に呼ばれたとき、「シャルウイダンス?」を一人デュエットで歌う。これも、皆さん がお好きな奴である。その後に先に書いた挨拶をやった。 場がざわめいたところで、 「実は今まで変な発音で英語の歌を歌ってきましたが、わたしは日本の歌を歌っていません」 「ちゃんとした発音で日本の歌を歌いたいと思います」 といってみる。もちろんといっては語弊があるが、場は「やれ!!」である。 さて伴奏をどうするかであったが、これはパムにお願いして、ピアノを弾かせてもらうことにする。 この時点では、前回も書いたホームオフィスからの手紙がどうも気になり、本当に最後のつもりでいた。 パムの仕事を邪魔するはとても悪いのだが、日本の歌を歌う場合パムに伴奏はお願いできない。 ここは弾かせてもらおう。 選んだ曲は「この道」である。 ちなみに「上を向いて歩こう」は「スキヤキソング」として有名であるとされているが、わたしは英国で あの歌を知っている人に外国人を含め出会っていない。 バスの旅の帰りに歌ってみたが、だれも知らなかった。 さて、「この道」は、日本の曲の中でも最も美しい曲のひとつだと思っている。 とはいっても、この半年ピアノには触ってないし、もともとちゃんと弾けるわけでもない。 ピアノの前に座って、冗談でベートーベンの「運命」つまり「ジャジャジャ、ジャーン」という冒頭の部分を 弾いて笑いを取り、自分もピアノのタッチを確かめてみる。 思ったよりもタッチの重いピアノだった。 デビッドに聞いたパムの歳が正しいとすれば、このピアノでパムがジャズタッチの曲を弾きまくっているのは ほんとうに凄いことだ。 案の定、すでにギネスが1パイント(545ml程度)以上入っているといういいわけも含め、指がさっぱり 動かず、こりゃ勝手に伴奏なしで歌ったほうが良かったわいなと思いながら、ひとまず歌い終わる。 外国の歌も良いが、日本にもよい歌があるということをわかってもらえたかどうか? ちょっと微妙なところである。 今度の水曜、先の誕生日のおばさんのために日本の誕生日の歌でもうたおうかいなと考えてみたが、どうも そういう歌は無い。あるとすれば「一月一日」か「お正月」であろうが、少々感覚的にも違うように思う。 何か考えて行こうと思っている。 あと、ビザの件に少し話しを戻せば、初めてこのパブに来たときから歌っている歌、「希望と栄光の国」を コンサートホールのみんなが歌うイベント。今は亡き義伯父に教えてもらったプロムス音楽祭が7月から9月 にかけてロンドンのロイヤルアルバートホールで開催される。 (プロムス音楽祭の文字をクリックすると、英語のホームページに飛びます) 「希望と栄光の国」を歌うイベントは9月11日の最終日。 思えば「観光ビザ6ヶ月ではプロムスにいけない」と、出国前にイギリス大使館でうまいビザを取ることが 難しいと聞かされてつぶやいたこともある音楽祭に、とりあえずはいける状態になった。 これはうれしい! この際だから行って、大声で歌ってきたい! ただ、最終日は超人気のプログラムらしく、うまく入り込めるかどうかわからない。 ホームページを検索したが、やはり座席を得るのはかなり困難らしい。 しかし、この音楽祭はありがたいポリシーがあって、すべてのコンサートにおいてロイヤルアルバートホールの 真ん中を立ち見席として解放し、安くかつみんなでどうぞということになっている。 160ポンド出して、この立ち見のシーズンチケットを買うと、一般の日も人より10分早く入場でき、最終日も 少なくとも入れてくれるらしいから、早速この券を手配した。 手に入るとよいのだが、まだ確定はしていない。 最終日だけでなく、聞きたいクラシックの名曲が目白押しなので、ロンドンに頻繁にでかけることになると 思う。それだけの価値は十分ある音楽祭だ。ベルリンフィルやザンクトペテルブルグフィルもやってくる。 日本で同種のコンサート群に行く事を考えれば、160ポンド(約3万2千円)は安いものである。 予約がうまくいくと、写真を送って券をつくってもらうようなので、これまたよい記念になる。 しかし、これを手配した今日ばかりは、ロンドンに住んどくべきだったと少々後悔した。 ロンドンに住んでいれば、拙文に登場する人々との出会いも経験も無かったというのに、人間勝手なものだ。 あと話しはぜんぜん違うが、明日はマンチェスターでサッカーの「イングランド対日本」がある。 これも学校はすでに自主休校してるし、いけない事は無くかつチケットも手配可能だったのだが、自重した。 あまり得意ではない分野で無理をすることはない。 でも、この7月に開催される「F1イギリスグランプリ(シルバーストーンサーキット)」には触手が動く。 丁度一時帰国する日本から帰ってくるはずの週に開催されるのだ。 シルバーストーンはなんと以前過ごしたミルトンキーンズのすぐそば!知っていたら、ここに来るときにでも 寄ってきたのにと、これまた今日知って後悔している。 何事も知っているとしらないとでは大違いである。 佐藤琢磨が非常に調子が良いので、彼はもともと英国F3だったかのチャンピオンであるから、日本にとって 歴史に残る場面が目撃できるかもしれない。 う〜む、これは思案のしどころである。 さて、ここからは本当にお目目なおしとさせていただこう。 英国も5月になると色とりどりの花が庭園に咲き乱れる。 わたしのお気に入りである Dartington Garden は、季節ごとにいろいろな花が咲くが、今回見事だったのは 左の紫の花。デクラン親父は、「ユダ(キリストを裏切った弟子)の木」であると言っている。 左のアガサ・クリスティー邸 ( Greenway garden) も、季節ごとにいろいろなお色直しをする。 右はこれまた冬場とはまったく違った姿を見せる、South West Cornwallの海岸線である。 Coleton Fishacre Garden も、もちろんお色直し。右の花がとてもかわいらしく綺麗だった。 やっぱり、英国を語る上で、庭園と花は欠かせない存在だと思う。 今後も綺麗な場所を見つけたら、また追加してゆきたい。 (さて、今週はちょっと出かけることを考えています。  できればかの地からこのページを更新できればと思っております。)


2004年6月3日よりアイルランドへ行ってます!


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この前後の話はまたあとで...


2004年6月12日より6月17日まで


早いもので英国に来て半年がたった。 いま、帰国直前のロンドンのホテルでこの中締めを書いている。 いろいろな経験をした。 英語がもうちょっと上手くなると思っていたが、まえよりゃマシ程度の伸びだった。 いまだにニュースは半分くらいしかわからないし、特に一般人が普通に喋っている会話が難しい。 ただ、グリニス先生の個人教授を受けてから、発音が格段に良くなったようで、何か言っても聞きなおされる 回数が減り、聞きなおされても言い直した時にはわかってもらえる事が多くなった。 文法が無茶苦茶なのだから、せめて発音くらいはマシな英語を言いたいものだ。 発音といえば、歌うときの発音にも気をつけるようになった。と、いうか、歌を歌うときの発音というのは、 発音のための口の動きの良い練習になるとグリニス先生も言っていたが、まさにそのとおりで、Rの発音を 意識して行うなどにはもってこいだ。 アイルランド旅行中に、パブで歌う歌のいくつかを暗記した。 そのときに、単語そのものより発音の仕方のほうが気になるのである。 I see tree of green, red roses too. I watched them bloom for me and for you. And I think myself what a wonderful world.                                  「このすばらしき世界」より。 大変な音が一杯だ。 R、BL、W、Fなど目白押しである。 これを発音習う前に歌ってたなんて、今から考えるとなかなか根性が座っている。 そのころも今も「ウケ」は変わらないので、歌詞は聞いていないのか、今でも変なのかいずれかだろうが、 少しずつでも進歩していると確信したいものだ。 さて、ビザもとれたし、7月にまた帰ってくることになっているのだが、半年を過ごしてみての英国の印象 を少しばかり書いておこうと思う。 思っていたより... 物価が高い 景色が綺麗だ 家がそれほど良いわけじゃない 若者が変だ 人々はそんなに冷たくない 車がめちゃくちゃ多い 良いところ、悪いところいろいろ感じた。 では、この先ずっと住んでいたいような国かと聞かれた場合、おそらく答えは「NO」だろう。 この国は、かなり病んでいる部分が多いように思う。 それは、若者の行動について、非常に危ういものを感じるからである。 今開催されているポルトガルの欧州サッカー大会「ユーロ2004」でも、フーリガンと呼ばれる英国の 悪質な応援団が暴動を起こして問題になっているが、フーリガンは昔からの存在なので特に考えにいれて はいない。 私が歌っているパブは、地元のじいちゃんばあちゃんが集まって静かに歌っているところなので、若い奴 はこないが、近所には若者が集まるパブがある。そういうところでは、刺青をしまくった体の若者が多く あつまり大騒ぎをしている。 以前先生に若者のモラルについて話を聞いたとき、先生はそれが大問題なのだと悲しそうに話てくれた。 伝統的にはもちろん英国国教会を基本とする教会や、親、近所と、みんなで子供の面倒をみていたものだ というが、今の子供は教会にはいかないし、親は共働きでモラルを教える仕組みが機能していないという。 もちろん、学校に期待されてもその部分は難しいばかりか、ちょっとしかるとすぐ親が飛んでくるらしい。 どこの国も同じようなことをやっているなと思いながら興味深く聞いた。 欧州人の心は宗教を基点とし...なんて文章を今もたまに見掛ける。 しかし、現状で教会に出かける若者は激減しているという。 では、なにを心の基本として彼らは生きているのだろう。 今もロンドンのホテルの外では、若者が大騒ぎをしている。 今日はサッカーの試合があったわけでもないのに、一体なにをやっているのだろうか? モラルのことを考える上で、参考になる話を書いておこう。 今回のアイルランド旅行の行きがけに、予約席に座っていた「悪者」の話を書いた。 帰りはもっと変な展開になった。 まず、Pembroke Dock からの2両編成の電車の席についているテーブル(前の席に取り付けてあって、 倒すとテーブルになるタイプ)には、ゴミが一杯つまっていた。 酷い事をするもんだと思っていたが、まあこれは良いとしよう。日本でも新幹線のいすのフクロにゴミを つめて出て行く奴はたまにいる。 Swansea で乗り換えて、ロンドンに行く長距離電車(途中で乗り換えます)に乗り換えると、またしても 予約した座席には人が座っている。進行方向に向かって座れる席を予約したのに、窓側通路側と2席ある 席の進行側をカップルが占領しているのだ。 今回は調子もあまりよくなかったし、前回のこともあったので、 「その席はわたしが予約した席ですね(シリアスな展開なのでカタカナはなし)」 と言ってみた。 進行反対側は2つとも空いているから問題ないのである。 わたしは当然「失礼!」などという言葉が返ってくるとおもっていたのだが... わたしの席に座っていたワイシャツにネクタイの彼氏は、わたしをじっとみて、 「Do you want to swap the sheat? (席を交換したいのか?)」 と、聞いてきた。 わたしは唖然として、「Actually, this is a faced sheat. (そりゃ、進行側だからね)」 というと、彼女の方が「かわりましょうよ」と耳打ちして席をかわった。 彼はええ格好でもしたかったのかも知れないが、ネクタイをしているれっきとした大人である。 たしかに、この国の指定席の考え方には難しいところがあって、まいど席に関しては混乱するのである が、明らかな間違いの場合でも失礼とも言わない奴がいるのである。 英国は、人種差別という意味では、勝手な感想ながらあまり感じたことはない。 というか、アメリカ同様いろいろな人種がすでに住んでいるから、そんな事を公衆の前でやろうとしたら 疲れるのがオチだろう。 この話は基本的なモラルの問題だとわたしは考えた。 その列車は時間通り乗換えの駅に到着したが、今度は次の列車が30分遅れだという。 英国の列車が遅れるのは毎度のことらしいから、この件も不問にしよう。 ところがやってきた列車の自分の席にいってみると、今度はテーブル席なのだが、またしてもゴミが デ〜ンと鎮座ましましている。 でかいお菓子のフクロとジュースのコップらしい。 進行対抗計4人がひとつのテーブルを囲んで座るのだから、自分に割り振られた部分は4分の1である。 わたしが乗った時点で他の3つの席は空だったので、ゴミを自分の右側の部分、つまり進行方向の通路側に 置いておいた。よく掃除の人が回収にくるからでもある。 次の駅で、対面に人が一人座った。 彼はゴミをちょっとだけこちらの方、つまり空席である私のとなりの席ようの部分に押して書類を開き、 仕事のようなことをし始めた。ゴミは関係ないらしい。 さて、となりの一団がやはりゴミをおきっぱなしにして出て行った。 そこに女性二人が乗ってきて座ったのでどうするのか見ていたら... なんと、隣のテーブルにゴミを持って行き、置いて帰ってきて座ったのである。 英国人のモラルというのは、このくらい低下しているのだ。 申し訳ないことに、「興味本位」からわたしのところにあったゴミは彼の前にずっとあり、彼はわたしより 先に降りていった。 もちろん、わたしが降りるときには、あまりにも気になったし、簡単なことなので、人のゴミであっても テーブルにのこしたりはしなかったのではあるが。 最後のペイントンへのローカル線は、若者が中で大騒ぎ。 しかも、2つのグループが違う調子で騒いでいる。 酒が入っているのか女も男もまぁうるさい事うるさい事。 車掌さんも顔見知りのようで、全然注意しようとはしていない。 顔見知りというより、あんなのにかまったら大変なことになるということかもしれない。 アイルランドからの帰りの英国は、この国への思いを徹底的に低下させてしまったのである。 すべての英国人がそんな調子というのでは決して無い。 今回ロンドンにやってきたときの対面の男性は、いろいろな事に気を使い、ゴミもきっちり処分して出て 行った。カサこそ持っていなかったが、英国紳士といった感じの人であった。 しかし、列車に乗る人を見る限り、そういう人は少数派なのである。 英国のカードかなんかのコマーシャルで、日本にいってゴルフをしていてホールインワンをする話がある。 登場する日本人は、ティーグラウンドで「日本人らしく」3人集まってべちゃべちゃお喋りをしている。 主役の彼が気を取られながらショットすると、ボールは木に当たって、しかしそのままホールインするのだ。 人の国の悪口を考える前に、紳士の国たる自国の惨状を考えないと、この国はこの先大変なことになる。 (蛇足ながら、日本のゴルフ場でそんなことをしている日本人はまずいない。) 日本も、子供の人権がどうとか、行き過ぎたことを言って外国の真似をしていると、こうなってしまうぞと いう悪い例だとおもうのである。外国のやっている事が、なんでもよいわけじゃ決してないのだ。 あと3月ほど英国に滞在するつもりでいる。 こういう悪い面は、あまり見たくないと思う。 前回書いた、「プロムス音楽祭」の写真つき立ち見通し券が届いた。 この夏ロンドンに何度も行くことになる。 イベント体験を通して、パブや学校で経験しているような良い英国を味わいたいものだとおもうが、なにせ 混乱のありそうな立見席。 どうなることやら... さて、明日は日本への便に乗り込む。 しばらくこの文章もお休みとさせていただこうと思う。


2004年6月18日より7月14日まで


ペイントンに帰ってきた。 日本には6月18日から7月7日まで滞在し、旧知の方々とお会いするなどして大変楽しい日々を過ごさせて 頂いた。 その間、ずっと言っていたことといえば、 「英国は物価が高くて、モラルが酷くて、もうあまり住みたくない」 という前回の中締めとして書いた文章の内容と同じような話だった。 実際、日本帰国時はヴァージンアトランティック航空の成田直通便で、しかもプレミアム・エコノミー席と いう広めの席でゆったり帰ってきたのに対し、イギリスへ再び飛ぶ便は経費節減のため、マレーシア航空が 出している留学生対象の1年オープン12万円しかしクアラルンプール経由というものであり、わざわざそんな 大変な思いをしてまで帰るような場所かいなという思いが日々募っていたのである。 たしかにクアラルンプール経由の旅は大変だった。 関空を昼12時にたって、クアラルンプールが現地時間夕方5時。時差が1時間で飛行時間は6時間。 そこまではよいが、ロンドンへの乗り継ぎ便の搭乗開始が夜の11時ごろ。それまで6時間、ひとりで空港を うろうろして時間をつぶして、やっと乗り込んだ飛行機が12時前に出発し、ロンドン着が朝の6時ごろ。 時差が7時間あるから飛行時間13時間。ここまでですでに26時間をかけている勘定になる。 それから通関をして、ヒースローからパディントンに出てきて、運賃が高い9時30分までの列車を避けた後に、 プリマスへの列車に乗って、ニュートンアボットで乗り換えて...ペイントンについたのが昼の1時。 つまり関空からの勘定で33時間の旅、岡山の実家から数えれば...やめときましょう... しかし、である。 ペイントンは実に涼しかった! Tシャツ一枚で日本からやってきた者には寒いくらいで、すぐ鼻水とくしゃみが歓迎してくれたのである。 日本のあの灼熱の暑さからくらべて、ここはなんと天国であることか!! ロシア人やポーランド人が驚くほど世界でも稀なる暑がりである(ことがこの冬わかった)わたしには、何より すばらしいことだった。 荷解きもそこそこに、テスコに買い物にでかけて数日分の食料を買い込み、とりあえず電子レンジで温めれば OKのマッシュポテトとソーセージを食べ、日本から持ってきたお茶を牛乳用のプラスチックボトル2つ分 (8パイント約4.5リットル)煮出し、水につけて冷やし始めたところで体力が尽きた。 その後の日曜日までの2日というものは、ほとんど寝ていた。これだけ寝られるというのは、もしかしてまだ 若いのかもと思うほどよく寝た。それだけ寝れば、鼻水もくしゃみもいつのまにか吹っ飛んでいた。 もちろん、そんなに寝られるという条件に、「涼しい」ということがどれだけ大きかったことか!! 早くも日本での発言を忘れたかのように、ここが世界で一番よいところのように思えてきた。 さて、日曜日。あまり寝ていたので足腰がなまる。実際起き出して、食料を買出しに行こうとしたら、足は ガクガクだわ、腰は痛いわで、情けない思いをする。明日は学校だから、良い予行演習?にはなったようだ。 学校に行くと、デクラン親父、ドライバーではないほうのデビッド校長、グリニス先生などのメンバーと会っ て言葉を交わしていれば、いつの間にか元のペースになっていた。 ただ、ビックリするほど生徒が増えている。噂には聞いていたが、あの閑散とした2月の学校を思い出すのが 難しいくらいだ。 休暇明けなので、またテストを受けてクラスを決めてもらう。 同じテストも3度目なら、いくら答え合わせをしていないとはいえ、わかる問題が増えてくる。 結果、出たときは「中の中」だったレベルが、「中の上」に格上げされてしまった。 入ったときも中の中だったから、自分の中では「あきらめる」程進歩していないとはいえ、いくらなんでも同じ レベルにずっと居るのも変だと思って受け入れることにした。 クラスにいる生徒の人数は、やはり過去最大の10人。この学校の規定で10人以上はないので、最大状態だ。 ただドイツ人ばかりでなく、ロシア、スロバキア(チェコじゃない)、スイス、韓国そしてドイツといろいろな 国の人がそろっているので授業は面白い。英国の授業はこれでないと!と思う。 ただ、これだけ人がいると、以前のように友達になろうとかいう意識が希薄になる。 残念だが顔見知りが一杯という雰囲気である。 そして、当然水曜日がやってくる。 そう、歌を歌うパブ、「チャールストン・コート」へ出かける日である。 デクラン親父が盛大に「ポップスターが日本から帰ってきた!」と宣伝を始めたので、本当の事かとおもった ドイツ人からサインを頼まれる始末。こんなデブなポップスターなどいる筈もない。 デクラン親父はパブへのミニバス代を、いつもの長期滞在割引1割に「スター割引」?としてもう1割引いて くれて、5ポンドのところ4ポンドにしてくれる。これからもそうしてくれるそうだ。 ところで、この滞在記を書いていて、ありがたい事に何人かの方から感想を頂いた。 自分にとっては大変意外な事に、このパブでの歌の話題の評判が一番良い。 考えてみれば一番尋常ではない話なので、あまり意外ではないのかもしれない。 そこで、少々口はばったい話も出てくるかとは思うが、これからも折に触れて話題にしていきたいと思う。 久しぶりに古い、しかし豪華なパブに入っていくと、いつものおじいちゃんおばあちゃん、そしてパムに手を 振りながら笑顔で迎えられた。夏を迎えて、観光客と思われる人々も沢山来ている。 しばらくみんなで「ケ・セラ・セラ」などといった歌をパムのピアノに合わせて歌ったあと、お声がかかった。 今日は新ネタ?は準備していなかったので、「ハロー・ドーリー」「この素晴らしき世界」をいつものとおり サッチモ調にやることにした。 「また歌っても良いですか?」 なんて周りの人に軽口を言ってから、例のだみ声を張り上げて歌っていると、なにやら元の暮らしにやっと 戻ったみたいな気分になってきた。 おなじみの方々には毎度の事だが、普通にパブを訪れた方々には刺激になるようで、沢山の人が笑顔でこちらを 見、歌を知っているひとは一緒に歌っているのが見える。そんな人が見えれば見えるほど、わたしも楽しい気分 になる。 わたしはこのパブでの役割を「場の盛り上げ役」だと思っている。 だからだみ声も、身振り手振りも、できるだけ大きくやって、できるだけ多くのひとが「日本から来た変な奴」 の登場を楽しんでもらえればと考えている。 この夜は、わたしの歌がそうさせたかどうかはもちろんわからないが、多くの人が自らパムに願い出ていろいろ な歌を披露したので、いつもにまして楽しい宴となった。 その中のひとり、フランスから来たほかの英語学校の生徒であるという年配の女性がシャンソンを歌って喝采を 浴びた。パムが「もっとやらない?」と聞いたようで、彼女は何事かパムに言ったように見える。 と、パムの一番近くに座っていた「おなじみのおじちゃん」が、立ち上がってわたしのところにやってきた。 「ラビアンローズ(ばら色の人生)をやるといってるが、あんたの持ち歌だろ?」 なるほどこれは面白そうだ。 もちろんフランス女性はフランス語つまり原曲でラビアンローズをやるだろう。 わたしはサッチモ調の英語詩である。 おじちゃんに「う〜〜ん」とか言っていると、歌が始まってしまった。 よっしゃひとつここはおじちゃんの提案にのろうと判断し、フランス語で歌っている女性の一番近くの空いた 席に移動する。1番が終わったとき、パムがリピートでメロディーを弾くところにサッチモで入り込んだ。 どうせみんなで歌ってるわけだから、ちょっと声の大きいしかし目立つだみ声が入るだけといった按配であり、 場そのものとしては問題ないはずである。 フランス女性も、初めと惑っているように見えたがすぐ一緒に歌い始め、おそらくおじちゃんの思惑通りこの 偽ピアフと偽サッチモの歴史的デュエット?は、とても盛り上がって終わった。 フランス女性にお礼を言って引き下がる。おじちゃんにもお礼を言わねばならないところだが、言いわすれた。 帰りがけに手を振ってサヨナラしたから良しとさせてもらおう。 この夜は、「日本人の留学生を昔から世話してたが、ご主人が亡くなり最近は世話をしなくなった。日本人の あなたの歌が聞けてとてもうれしい」というおばさんや、「あんたの歌を聞きに来た」とホンマかウソかわか らない言葉をくれたハンガリー人の顔見知りの女性など、いろんな人と話ができたのもうれしかった。 英語の勉強についてはあきらめの境地であるし、では何か他に会得できそうなものがあるかといえば、あまり 思いつかないような今回の英国滞在ではあるが、このパブでの役割は得がたい経験だし大事にしたい。 来週もまた出かけてみんなで楽しもうと思う。 ペイントンでの生活が、完全に元に戻った。 いつまでここにいるか? 日本で考えていたときより、長くなりそうな気がする。 ともかくビザは年末までである。 (さて、次回はいよいよ始まるプロムス(音楽祭)の話題などが書ければと思っています。)


BBC PROMS 2004へGO!


BBC PROMS 2004のページを作りました。




2004年7月15日より7月27日まで


犬も歩かなければ棒にあたらない。 ペイントンにやってきた頃は、学校に行って面白そうな人を見つけては「ジョージ・ブッシュをどう思う?」なんて 訪ねては話に熱中していた。毎週末の夜は、送別会をパブで開き、再会を約束しあっていた。 最近はといえば、学校には人があふれかえっていて、自分のクラスにいる9名以下の人以外知り合いを作ろうという 気持ちすら起こらない。よって、昼に授業が終わると速攻で家に帰り、昼飯を簡単に作って食べ、あとはだらだらと している。 だから、面白そうなネタが出るわけでもなく、このページも必然的に水曜のパブみたいな話だけになる。 こりゃいかん!やはり行動しないと、なんの経験にもならない!! もちろん、悪い事も同じように待っているのだろうが、人生なにもしないでいて何が面白いものか! 最近ネットを眺めていて、海老原充さんのホームページに出会った。 分子生物学への誘い

ここの、英国見聞録のコーナーは、長く英国に暮らされた方である上に、文章には絶妙な冗談がおりまぜられていて、 声を出して笑えるような素晴らしい随筆である。 現時点で397話!もっと早くであっていればよかったと思うので、皆様にもご紹介したく思う。 偉い研究者の方の文章と、自分のそれを比較するのも失礼だと思うのだが、海老原さんの文章を読んでいて、最近の この英国滞在記は少々真面目すぎるのではという反省をした。 元々ネタがあってこそ書いていたのに、最近は定期性(週一回)を勝手に気にしている上、上記に述べたとおり 「ぐうたら」度が最高潮に達しているのでネタが薄い。 ここはひとつ「歩く」ようにして、「棒に」あたるようにしようじゃないかと思う。 「犬も歩けば棒にあたる」といえば、「でしゃばってはいけない」という意味だと教えてもらったように思うが、 これまたネットを検索していれば、江戸時代でも「何もしないと面白い事にも会わん」というような意味で使われた ことがあったようだ。ここはまさに、その意味で使わせてもらおう。 さて、今日はといえば、ネタが無いわけではないが、これがまた「英国失望体験」なのである。 PROMSを聴きに行くと、昼の部でもない限り終演は夜の10時前後になる。 今回はケンジントン庭園を突破すれば歩いて20分ほどのところにホテルを取っていたのだが、この公園は夜の9時 すぎに閉まってしまう。庭園はとても広いので、迂回するとかなりの距離を歩くことになり、また公園の柵のきわを 歩くといっても、灯りがコウコウとしているわけでもないから、「悪漢」がどこからかでてくれば、独身を満喫して いる身としては、守るものも無いかわりに、助けてくれるものもいない。 PROMSに初めて出かけた日には、夜にサングラスをかけ(といってもホールの中でもかけていたが)、いつもの ようにこちらも悪漢になりすまして早足で突破?したが、翌日以降は地下鉄を使うことにした。 帰り道は多くの人がホールからでてくるので、さほど寂しい道ではないが、やはり大都会の夜道でところどころ一人 になるのは楽しい経験ではない。もちろん、これはロンドンに限った事じゃなく、当然のことだ。 さて、ロンドンの地下鉄は初乗りが2ポンド!つまり400円である。 一日乗車券を9時半以降に買えば4.3ポンドでゾーン1、2といわれる区間が乗り放題なのだが、ちょっと利用し たいときなどには「ええかげんにせい!」といいたくなる値段だ。 切符を買って乗り込むと、夜の10時でもそこそこ人は乗っている。 いくつかの目の駅に到着した時、近くに座っていた中年のおばさんが立ち上がって電車を降りようとした。 と、席に振り返り、持っていた空のコーラかなにかのペットボトルを椅子に置いてから出て行ったのである。 「おいおい!!」 わたしは唖然とし、口から「あっ!」という言葉がでそうになるのをグッとこらえた。 なんちゅう事をするのか?しかも、ええ大人がである。 すぐに、人が乗ってきて空いているその席に座ろうとし、ペットボトルを除けてから座った。 英国の町には多くのゴミ箱が設置されている。 ゴミの捨て場に困ることは、わたしの少ない経験の中でも少ない。 電車にはゴミを置いていくというのが、英国人の習慣なのだろうか?? ペイントンへ帰る日、出発するパディントン駅で列車を待っているとき、このモラルのことを考えながら過ごした。 「この日乗る電車では、どんな経験ができるもんかね?」 掲示板を確認すると列車が来たようなので、表示されている9番ホームに向かう。 予約している車両は「コーチ(車両)A」なので、コンコースからは一番遠い車両だ。 ゴロゴロと荷物を引きずって車両にたどり着き、座席に行ってみると、30過ぎといった感じの女性が乳飲み子と 5歳くらいの女の子を連れて席に座っている。窓の外にはお父さんが別れを惜しんでいるようで、女の子はしきり に手を振っている。 「さて...わしの席はどこかいな...」 前にも書いたが英国の中距離列車を座席予約すると、席の背もたれに予約区間が書かれた伝票が差し込まれて 「予約席」であることが示されることになっている。わたしはいつも窓際の進行方向正面をむく席を予約するので、 当然それらしい席を見るのだが、いくら探しても伝票がない。 先の女性が「どこへ行くの?」と聞いてきてので、「ニュートンアボット...」と答えたら、「この席じゃない の?」と、通路側の席を指差した。 たしかに、その席に刺さっている伝票には「パディントン−ニュートンアボット」という表示がなされていて、 座席番号もわたしの予約している席の番号だ。 しかし、座席番号と網棚に書かれている座席位置を見比べてみると、やはり窓際なのである。 瞬時に、この女性が入れ替えたのだと理解した。 多くの座席はテーブルを挟んで進行方向正面と反対側の4席がセットになっている。 この家族は3つの席を予約したが、正面を向く側の席が通路側になっていたわけである。 「デモ、コノ席ココジャナイミタイ」 すると、女性はあわてたように、「娘がどうとか...」といい始めた。 どうせこちとら人生の休暇中の身であり、子育てに大変な人に逆らうのも面白くない。 道中寝ていることのほうが多いし、なんども往復すると決めたこともあるから、景色がさほど見たいわけでもない。 この娘さんが窓際に座って道中を楽しめるならそれでよいじゃないか! アイルランド記の「善行」の話じゃないが、天に善行を積んで損はないと判断し、 「ノープロブレム」 とだけ言って、通路側の席に座った。 「英語で言い争いたくない」という理由でなかったことは間違いない。 ただ、「この善行で株が上がってくれればありがたいわな!」と天の行いに期待したことは事実である。 さて、座ったのは良いが、やはりこの伝票挿げ替えについては腹が立ってきた。 車掌が間違えることはまずないだろうから、この女性が娘のためか、娘の様子を見やすい為かでやったのだろう。 しかし、一言言ってくれれば(わかったかどうか微妙だが)気分よくかわってあげたのに、なんという事をするものか? 列車は時間をむかえ、家族がお父さんに一生懸命手を振るなかパディントンを出て行く。 わたしは「不機嫌である」ということを精一杯顔に出して座っていた。 少なくとも正面に座っているこの母親の行いだけは許したくなかった。子供が見ていたとしても、意味がわからないと 思ってやったのかもしれないが、根性が気に食わない。 人間である以上悪いことをやって、かつその対象者が不機嫌なら、何かを感じてくれるだろうと思ったのだ。 今まで、英国で何度列車にのったことか?そして、非常に高い確率で、こういったモラルを疑う行為を目にしている。 わたしが東洋人だからそうなったわけじゃないのは明白だ。わたしが来る前に事は起こっているのである。 ゴミを置いていく、座席を挿げ替える、英国人が自発的に行った行為である。 PROMSや無料の博物館群といった超文化先進国の側面と、もはや堕落しきった国の両方の側面を痛烈に感じる。 やはり、「この国にはあまりおりなさんな!」という天のサインなのかもしれないと、不機嫌な顔のままで考えた。 「不機嫌」をしばらく続けていると、顔が疲れたものか、もともと疲れていたのか、眠ってしまった。 しばらくして起きると、本来のわたしの席に座っている娘が無邪気に遊んでいる。 もう怒っていても馬鹿馬鹿しいので、うつらうつらしながらこの家族のやっている事をそれとなく観察していると、 乳飲み子と、遊びたい盛りの子供を抱えて、この母親が大変なのが良くわかった。 娘はとても活動的なので、窓際の席に閉じ込めておきたいのだろう。 サングラスをかけて座っている妙な東洋人が気になるのか、娘がなんどかわたしの顔を見る。 とても無邪気な可愛い顔をしているので、「ニッ」と笑ってやる。 列車がわたしの降りるニュートンアボットに近づいた。 彼らが降りる駅は、その次のトットネスである。 さっきから気になっていた、おそらくあの父親が持ち上げたに違いない網棚のベビーカーを指差し、 「オロシマチョウカ?」 と、たずねる。 横幅はあるが小柄なその母親が「そうしてほしい」と言ったように思ったので、自分の荷物と一緒に降ろした。 トットネスの駅で、あの子供二人と荷物を全部担ぎ出す様子を考えれば、何か手伝いたくもなる。 母親に抱っこされている娘が椅子に置きっぱなしにしている、キティちゃんのバッグを指差し、 「ワスレチャダメヨ」 といって、娘にバイバイをして列車を降りた。 「あとは善行を積んだ分、株価が上がってくれれば良いや」 と、すぐにやってきたペイントン行きの列車に乗り換えたのである。 さて、株価といえば、ロンドンでちょっとした「悪行」もやったので微妙なところだ。 PROMSに出かけようとしたある昼間、パディントンの駅前にあるレストランの張り紙が目に入った。 「チョコレートサンデーあります!」 写真付きで出ているのは、まごう事ない「チョコレートパフェ」である。 これまた幼児体験というか、小さい頃から家族でレストランに出かけて、この「チョコレートパフェ」なるもの に興味津々だったにもかかわらず、食べさせてもらった事は非常に少なかった。 それがこうじたものか、今でもこの「チョコレートパフェ」なるものを見ると、少々異常なほど興味があるのだ。 これは弟も同じような事を言っているので、おそらく事実だろう。 戦時中に子供時代を過ごした人がバナナに興味を持つ(疫痢になるといわれて食べさせてもらえなかった)とか、 俳優の土屋嘉男氏のおにいさんが、幼時に夜店の物を食べて病気になり亡くなったことから、綿菓子を食べさせ てもらえず、綿菓子の機械を買っていやというほど食べるのが夢で、実際に買って作ったという話のようなもの で、子供の経験とはそんなもんだとおもう。 馬鹿馬鹿しい話といえば、社会人1年目で集団研修をしているときに男10人で喫茶店に入り、誰からともなく チョコレートパフェを頼んだら、全員それでよいということになって、むくつけき男どもが10個のパフェを 食べたという経験もある。さぞアノ店の人は驚いたことだろう。 そんな話はさておき、ここはロンドンである。 構えがレストランなので、少々迷った挙句、勇気を奮って入り、 「ちょこれーとさんでーダケデモイイアル?」 と、ウエイトレスさんに聞くと、「いいですよ」というので、案内された席に座った。 「コーヒーか紅茶はいかがですか?」 「イヤ、ヨイアル!」 「ほんとにサンデーだけ?それは良いわね!(Sounds good!)」 なんて、ちょっと微笑を浮かべながらスプーンを持ってきてくれた。 さて、ここに習慣という壁がある。いわゆるチップという奴だ。 いままで払った経験が無いわけではないから、払い方がわからないというわけじゃない。 しかし、「わずか3.25ポンドのパフェにチップを払うものかね?」と、考えはじめた。 チップというのは給仕をしてくれた人へのお礼であり、かつそれが給仕をする人の大切な収入でもある。 お礼といっても収入といっても、相場が1〜2割なら50ペンスのチップ。 「100円か...でも、たったこれで50ペンスは多すぎるから、30ペンスくらいか?」 なんてせこいことを考える。 チョコレートパフェが運ばれてきて、可でも不可でもないその味を楽しんでいるときも、「どうしたものか?」と 考えていた。やがてパフェは空になる。 「伝票(Bill)ヲクダシャイ!」 といったら、先のウエイトレスさんがレジに行った。 伝票を席に持ってきてくれるなら、チップを渡しやすいのだが、わたしも何を思ったかレジに向かう。 彼女は伝票をくれ、わたしは5ポンド札で支払った。 お釣りはややこしい1.75ポンドである。 1ポンド貨と50ペンス貨に20ペンス貨と5ペンス貨がお釣りで来る。 そこで、50ペンス貨をだせば話は済んだものを、さっきの「多すぎ」が頭を駆け巡り、だらだらしていると、 彼女はそのまま「サンキュー」といって、レストラン内の所定のポジションに行ってしまった。 チップというのは渡すタイミングが肝心だ。 それも1ポンドも渡すならまだしも、50ペンスをどうするかなんていうのは、わざわざ「ちょっと...」なんて 言って渡すのも変じゃないか? 伝票には「この料金にはサービスチャージは含まれておりません!」と大書(ホントに大きい)してある。 しかし、実際タイミングを逸したわたしは、彼女にサンキューと手を振ってそのまま出てきたのである。 地下鉄の駅に向かって歩きながら考えた。 「なんで、50ペンス渡さなかったのかね??」 100円に困るほど困窮しているわけじゃなし、こうして歩きながら悪いことをしたなと後悔するくらいなら、 「気前よく?」100円払っておけばなんということは無かったじゃないか? しかし、どう考えてもわからないのが、レストランの中では100円が惜しくて惜しくてしょうがなかったのである。 では、60円では良かったかといえば、間違いなく「良かった」のだ。ただ、払うタイミングを失っただけである。 では、その差40円はなんなのだろう?? パフェの最後の一滴が、スプーンが大きすぎてどうしてもすくえなかった恨みか? そんな馬鹿なことはない! わたしは、こんなに後悔するくらいなら、いくらでも払っておけばよかったと大後悔した。 明日も行って、メニューにあったアップルパイ+アイスクリームという、これは先に書いた集団研修のときに覚えた お気に入りを食べて、チップを盛大において帰ってくるかとも思ったが、あのウエイトレスさんにあたらねば意味も なしと、この考えは止めにした。第一、西洋人の顔は覚えにくく、その時点ですでにどんな顔かも忘れていた。 異文化の中で暮らすというのは、こういったときに困るのである。 さて、最近画像をあまり入れていないので、入れようと思う。 左は、わたしの住む町ペイントンの遠景である。土曜日に散歩にでかけてとおりかかる道からの風景だ。 右は、先のモラルの話の家族が降りる駅だった、トットネスから程近いところにあるダーティトントンガーデンだ。 数えてみると、訪れるのは6度目になる。 この日は、今までで一番多くの生徒と2台のバスで出かけた。左の写真のように、みんなでかたまってデクラン親父 の名調子を聞くわけである。わたしが来た頃、このツアーは彼と他の生徒が一人二人なんて状態だったので、本当に よい英語のレッスンになったものである。 6度目ともなるとこの日は逆に、説明の肝心なところを忘れた彼に 「ホールの天井の話を忘れてる!」 なんて囁いて、アシスタントの役目をしていた。 夏の庭園は、花が少なくなるので少々美しさにはかけるが、それでも緑が美しく、訪れて損は無いところである。 続いては、ロンドンの大観覧車「ロンドン・アイ」だ。 ビッグベンのある議事堂の対岸あたりに位置し、英国航空が運営しているらしい。 右の行列は、チケットを買うときのもので、おもしろいのは「中が狭いので、並ぶ人は一人だけにしてください!」 と、係りの人がアナウンスをしていることだ。しかし、カップルなどは当然のように二人でならんでイチャいちゃ している。カップルでなくても聞く人聞かぬ人、行列の国といってもやはりいろいろな人がいる。 11.5ポンド(約2300円)という高額な料金を払って、次の行列に並ぶ。 実は料金表には「学生8ポンド」というのがあったので、ラッキーとばかりに例のしょぼい学生証を見せたが、 「残念ですが、夏場は学生料金を適用できません」 といわれたのであきらめた。 少しずつ動いているカプセルに、足元に気をつけながら乗り込むと、晴れた空に少しずつ上がってゆく。 左の真ん中に小さく見えるのがバッキンガム宮殿である。 現地人によると、最高に上がった時点では大ロンドンのほとんどが見渡せるらしい。 ただ、有名なタワーブリッジが、ちょうど建物の影になって、一部しか見えないのが残念だ。 晴れていたのでとてもよい眺めだった。 降りがけに、設置されているカメラがカプセルに居る人々の写真を撮ってくれるが、英語の聞き取れない悲しさ、 2つあるカメラの違うほうを見ていたので、写真にはおさまらなかった。 情けないはなしであるが、降りてから見かけた写真の値段もびっくりするほど高かったので、おそらく写ってい ても買わなかったと思う...。 興味のある方は、地上に降りる直前のアナウンスと、一緒に乗っている人がどっちを向き始めるかを見ていれば 写真におさまることができるだろう。 左はPROMSが開かれているロイヤルアルバートホールの中をとった写真。煙をまいた後なので、スポット ライトに煙が写って、まるで心霊写真のようになっている。 PROMSの詳細については、「BBC PROMS2004」のページをごらんいただければと思う。 右は前回のロンドン滞在で使った部屋。1泊35ポンド。今まで泊まった中では広さも値段もまずまずだったが、 電話がついているもののケーブルが裏に廻っていて、ネットに接続することができなかった。 最後についさっき行われていた、ペイントンの花火の画像を入れておこう。 左の画像をよく見ていただくと、下のほうに人が一杯居るのがわかる。 規模は田舎のこともあって日本の大花火大会ほどの事は無かったが、それなりに楽しめた。 実はこの文章を一生懸命書いていたら、爆弾が破裂するような音が響き渡り始めてびっくりし、外を覗いたら 花火だったという按配。海岸まで歩いてすぐの所に住んでいるので、こういうときには便利である。 さて、今日は沢山書いた。 最後にちょっとだけ天の裁きの結果を書いておこう。 席を譲った善行と、50ペンスの悪行。 ペイントンに帰ってきて以来、株価は下降線一方。 もっともっと、善行を積まないといけないようである。 (今回、かなり長くなりました。読んでくださったかた、ありがとうございました。次回もよろしく!)


2004年7月28日より8月4日まで


情報とはありがたいものである。 前回ご紹介した、分子生物学への誘い

に次のような記述があった。 「アボガドに醤油をつけて食べるとマグロのトロのようです」 早速テスコに出かけて、「トロ」を買って来る。ラッキーなことに「1つ買うと1つタダ」のセールだった から、もちろん2つ持ってくる。 友達夫婦にもらった玄米にちょっとイタリア米を混ぜて炊き、アボガドの皮をむいて種をとり、不器用では あるが、なんとか数枚の「トロ」を作って醤油をかけ、ご飯と一緒に一口。 「なるほどねぇ!」 残念なことに?わたしはあまり口が肥えていないため、日本でもほとんどトロのような高いものは食べない。 回転寿司(この時点で食通の方々には見放されるだろうが)で食べるメインは、なんといってもシメサバ! この大抵安いメニューが一番のお気に入りなのだから安上がりである。そのあと、ハマチ!ちょっと奮発して イクラ!これでおしまいである。なぜならサバを2枚、ハマチを2枚食べているのでもう5枚だ。 うぅ、これは自爆したようである。しばらくこういうものにはありつけないのに、どうして詳細に思い出して 書いたものか!シメサバが食べたくなってきた。 話を元に戻せば、トロなんぞもともとほんのたまにしか食べないから、「これがトロです」といわれても、 「ふ〜ん」といったくらいなもの。だからかもしれないが、この「アボガトロ?」には妙に感激してしまった。 ぬるりとした食感がなんとも高級?である。 一時期メロンにマヨネーズかければなんとかかんとかというのが流行ったが、これといって試そうと思った事 などなかった。今回はそういう情報がとてもありがたい。もっと覚えておけばよかったかもしれない。 さて、だいぶ前に英国の飯に問題があるかどうか?なんて話を書いたと思う。 相変わらずドイツ人やスイス人には大変評判が悪いし、学校の授業における議論の格好の肴でもある。 しかし、旨い物も存在するのである。 わたしの住んでいるデボン(日本でいうと県のような区切りだと思います)の名物は、Clotted Cream とよば れるバターのようなクリームである。これは隣のコーンウォールでも名物なので、この一帯の名物である。 イギリス人すら信じない人がいるが、ここデボンでは良質のブドウを産するらしく、ヨーロッパのワイン品評 会で多くの賞を取っている。「イギリスのワインなんて」と馬鹿にできない。そして、やはり良質の牧草を 産するらしく、この Clotted Cream は、ほんとうにおいしいのである。 「クリーム・ティー」なるおやつについて前にもちょっと書いた。 日本でみた英国のガイドブックのひとつに「英国にきたらクリーム・ティーを」などと書いてあるものを見つ けて大変驚いたのだが、このクリーム・ティーは英国の名物ではなく、ここデボンの名物である。 ロンドンで食べるなら、生八橋を東京で食べて満足しているようなものだ。 そんなことはさておき、この「クリーム・ティー」について少々ご紹介しておくと、 「スコーン(パンとケーキの中間のようなお菓子)2個とストロベリージャムとクリームで楽しむ紅茶」 のことである。 スコーンは1個などと指定できる場合もある。また、スコーンにレーズンや干し果物が入っている場合もある し、ストロベリージャムではなくほかのジャムを指定できる場合もある。 そして、クリームなるものがこの Clotted Cream なのだ。 食べ方は、まず今川焼のように見えるスコーンを水平に半分に切る。切った表面にクリームとジャムをたっぷ り塗りつけ、そのままもとのスコーンを挟んでもよし、そのまま食べてもよしである。 これは実においしい!!紅茶にも実に合う。紅茶がこんなにおいしいものかと思うのは、このクリーム・ティー を食べる時だ。日本におしゃれなお店でもオープンすれば、かなりウケルと思う。 ただし問題は、現地人も言うが大変な高カロリー食品なので、ダイエットの大敵なのではあるが。 現地人は、このクリーム・ティーを食べるとき、かなりの量でてくる「クリーム」を総て食べることを薦める。 わたしは以前から書いているように「もったいないお化け」の信仰者ではあるけれども、あのクリームを食べ 残した晩に、もったいないお化けが「もったいな〜ぃ」といって登場しても、何も怖くないだろう。 おいしいといってあれを全部食べるから、ここの人々の多くは丸々なのかもしれない。 最近、前の会社の同僚がはるばるペイントンへと訪ねてきてくれたので、まずはこのクリーム・ティーを試し てもらった。彼は芸術家志望だったからか、切ったスコーンを綺麗に階層状に並べて、 「ビッグマックのようにしました」 といって、かぶりついていた。 おいしかったらしいが、食べるには不適当なのは間違いなく、後で後悔していた。 これ以外にあまりおいしいものなど出会えないと思うので、少々かわいそうである。 その日彼はエクセターの大聖堂を楽しんだようなので、それで勘弁してもらおう。 さて、この Clotted Cream の用法は他にもいろいろあって、クッキーなどがよくお土産で売られている。 しかし、最高だと思うのは、アイスクリームである。 Clotted Cream 入りとかかれたアイスクリームは大変おいしい。 小さな観光地でも、あちこちにアイスクリームの出店が出ている。そういう時は、 Clotted Cream を目印に 買い求めると失敗はないと思う。 わたしは地元のスーパーで売られているのを見つけたので、冷凍庫によくいれている。 このアイスクリームに、この夏とれたてのラズベリーを洗って一緒に食べる。 いやはや、いまから冷蔵庫に飛んでいって食べたい気分だが、あいにく明日からのロンドンに備えて、ラズ ベリーの在庫をさっき一掃してしまったし、アイスだけならやめておくとしよう。 甘みのものばかりかいているので、他に何かないのかという事になりそうだ。 とりあえず隣のコーンウォールには「ペストリー」と呼ばれる食べ物がある。 これは厚いパイ生地のようなものに肉や野菜を煮込んだものを入れて食べるもので、やはりこのあたりに 多い炭鉱での現場での昼飯として発達したものだという。 先の彼はこれも食べていたが、皿にはチップス(フレンチポテト)とこのペストリー。 「おいしいのですけど、ペストリーの中にもイモが入ってます」 といって、その取り合わせのまずさを語っていた。 まさに英国料理の英国料理たるところなのかもしれない。 このペストリーは中身がどうなってるかわからないので、ドライバーのデビッドに言わせれば、「お腹を 悪くする料理ナンバー2」なのだそうだ。1位はこれまた有名な「フィッシュ&チップス」であるらしい。 「ほとんどの店で油を一年中換えないからだ」というが、真偽の程はわからない。 ほかにお勧め料理があるとすれば、日曜日の昼に食べるとされている、「ローストビーフ&グレービーと ヨークシャープディング」だろうか。グレービーとは、肉汁などで煮込んだソースのことである。 このグレービーがヨークシャープディングとよばれる、これまたパン状の小麦の塊にとてもよくあう。 一緒についてくる温めた野菜と、ヨークシャープディングとを絡めてもおいしい。 ローストビーフのかわりにソーセージということもあるが、どちらにしても大抵美味である。 何か食べようとして訪れたパブの日曜のメニューにこれがなければ、他のパブに行って見るべきだと思う。 少なくともデボンとコーンウォールでは、であるが。 というわけで、今回はこれでおしまいである。 先に登場した彼曰く、ペイントンはわたしが言うほど田舎ではないし、とてもとても良い所だそうだ。 今も外ではカモメがぎゃぎゃーいっている。 これも考えようによっては自然に囲まれた素晴らしい暮らしということになる。 事実カモメは現地人と違い、いまだにわたしの心を和ませてくれる友達のようなものだ。 しかし、彼がロンドンへと帰る2両編成のディーゼル列車を見送りながら、逆に日本への里心がちょっと ばかり生まれた。日本語で語り合えることの楽しさ!一時帰国したときにはあまり感じなかったことだが、 この土地ではちょっと意味合いが違ったようだ。 こんなところまで訪ねてきてくれた彼にも感謝したい。 さて、いつまで此処で暮らそうか? ぶつぶつ独り言を言いながら、国内の観光客でにぎわう通りを抜け、家路についた。 (とはいいながらまた水曜の晩には大声で歌って、いつまでも居たいもんだなんて思っているのですが!)


2004年8月5日より8月21日まで


今日は寒いのである。 8月の夜だというのにまったく冷えてしかたがない。 昨日おとといと、去り行く人の送別会を開いて夜道を歩いた。特に金曜日の晩の寒かった事といったら、 暑がりだけが世界最高レベルだろうと思っているわたしですら、こごえる思いがした。 ブルガリアの国営放送のテレビレポーターであるゾーヤさんも、この晩を最後にお別れである。 元東欧諸国から来ている彼女らですら、この寒さは異常だといって、ぶるぶるふるえながらのお別れとなっ た。考えてみれば、彼女と親しく話しをしているのは、日本で言えばNHKのテレビレポーターと机を共に しているのと同じだったから、なかなか面白い体験だったかもしれない。 ブルガリアで彼女はかなり有名人らしいから、久保純子あたりと机を並べていた感じろうか? 彼女とは例のパブで、「ラブミーテンダー」をデュエットして欲しいと頼まれ歌った。彼女には18になる 息子がいるが、わたしよりもだいぶ若い。なんとも複雑な思いではある。 また、日本人に対して思われている、「女性蔑視の国」のようなイメージについて、天照大神が女性である ことや、鎌倉の侍社会でいかに母親が大事にされていたかなどといった歴史的背景に加え、最近についても たしかに社会においては差別があるものの、実生活においては女性が弱いといったことは決してないという 話をし、その証拠に日本で女性差別に対する運動が盛り上がらないことをあげた。そんな話になったのは、 英語の仮定法を勉強しているときに、「もし死後転生したとしたら?」という話になり、「わたしは日本の 女性がやってみたい」と答えたから、彼女が大変興味をしめしたのである。 ただ面白かったのは、「日本の家庭ではおかあちゃんが一番強い」と言う発言をしたところ、英国人の先生 と、わたし以外のもうひとりいたスイスのおじさんが異口同音に、「そりゃどこでもや!」といったことで ある。西洋のレディーファーストの文化とは裏腹に、女性蔑視といった根強い傾向があるという話をどこか でよんだことがあるが、どうもそれは一面にすぎないらしい。そういえば、スイスは女性の力が強い国だと、 これまたどこかでよんだことがあるし、英国もサッチャーさんの国といえばそうではあるが。 さて、そんな話を証明するかのように、最終日に見たビデオは、アメリカ・イギリス・ドイツ・日本の観光 客をトルコに連れて行って行動を分析するといったドキュメンタリーであり、海岸の砂を使ってホテルの模 型を作るという課題では、日本組みは女の子がリーダーになって見事に一番上手な砂のホテルを完成した。 なんでも「我々が見なかったほかの課題では、一番年上の男性がリーダーになって行動していた」とこの週 だけ担当していた先生は言ったが、わたしが別の週に言った先述の「日本人女性は特に差別なんてされては いない」説に対するちょっとした説明にもなっただろう。しかも、そのリーダーぶりがなかなか大したもの だったので「やっぱり日本人の女の子は強いでしょ」なんてゾーヤさんらに言ったりしたものである。 今日、野口みずき選手がマラソンで金メダルを獲得した。英国では世界最速のラドクリフ選手に大きな期待 が集まっていたから、BBCでも中継があったのだが、英国にとっては大変残念なことに棄権に終わって しまった。わたしは彼女の金メダルに大変感激しつつ、「たしかに日本女性は強いワイ」などとあの時教室 にいた人々が思ったのではないかと、少々複雑な心境になった。 ゾーヤさんはジャーナリストであるから、もしかしたらこれがきっかけで、日本に興味をもって何かドキュ メンタリーを物にするかもしれない。ものすごく積極的に発言する大変印象深い女性であった。 この秋に予定しているヨーロッパ周遊の時には是非、ブルガリアに訪ねてみたいと思う。 ところで、気がついてみればこの更新、3週間も間があいている。 ネタが無かったわけではなく、PROMSに書くことが多かったのと、まさにPROMSでロンドンに行っ て帰ってくるだけでなく、会場ではたちぼうけといったことも手伝って、非常に疲れていたのである。 PROMS以外でもいろいろ面白いことはある。 相変わらず水曜にはパブに出かけて歌っている。特に変わったことは起っていないが、最近はバカンスシー ズンで人が多く、みんなでピアノと歌を楽しんでいるという感じではなく、どちらかといえばカラオケバー みたいな感じになっているのが少々残念ではある。 文化系といえば、ついこの木曜日に寒い夜空の下、露天の演劇を鑑賞した。庭園にある芝生を利用した舞台 で、オスカーワイルドの喜劇「The Importance of Being Earnest」を見たのである。これもデクラン親父 らが企画する課外活動の一環で、水曜のパブ以外では久々に参加したというわけだ。 デクラン親父に「行くなら寒くならないようにしていけよ」と言われていた。 「郷に入りては郷に従え」。いかに暑がりであっても、他の国での生活においてはアドバイスを聞くのが 間違わない一番の方法である。この日は、Tシャツに釣り用のベストといういつものスタイルに加え、冬場 に愛用したカッパを持って家を出ようとした時、ふとデクランの言った言葉を思い出して、トレーナーをタ ンスからひっぱりだし、リュックに押し込んででかけた。 演劇は実に素晴らしく、言葉がわからない部分が多かったにしても、ちゃんとスジや多くの冗談やオチは 理解できたし、ちょっぴり毒を含んだようにも思えるハッピーエンドに感激した。それができたのも、デク ランのアドバイスを忠実に守ったからに他ならない。雨も降らないのに、カッパまで着込んでエンディング の拍手を送ることになったのだから。 もしかすると、この夜あたりでペイントン一帯の夏が終わったのかもしれない。 さて、ペイントンには全国的にも有名な動物園がある。 離れる前に一度行っておかねばとおもっていたのだが、一人で行くのもさすがに寂しいので機会をうかがっ ていたら、一緒の組の韓国人の女の子が暇だからどっかに行こうというので、これを幸いと出かけることに した。半分ほども歳の違う女の子と動物園デートというわけである。 この動物園は、オリそのものがサファリっぽく構成されているので、かなり大きな敷地をもっている。 出かける前に得た情報では、「鳥好きと散歩好きには良い」という否定的とも思える情報を得ていたから、 学生7ポンドの入場料には少々割高感を感じた。 同行の彼女はこの日、学生証を持っていなかったから一計を案じ、わたしが学生証をみせて「学生2枚」と 言ってみたら、見事に作戦成功。学生料金で二人入場できたのである。忘れてきただけだから、特に悪い事 をしたわけじゃない。 この日、めずらしくいつも持っているデジカメを持っていなかったため、写真が無いのが残念だ。 鳥好きには確かに良いかもしれないが、それよりも猿の展示がすばらしかったのである。 なかでも南米産の金色ライオン猿??なるものが、ほとんど屋外といった状態で飼育されていて、木々を 飛び回るさまはなかなか圧巻であった。名前に似合わず小さいので、目の前にやってくるととても可愛い。 あと、なんといってもゴリラである。 ゴリラ。何年ぶりに見ただろうか!その悠々と動くさまを見て、どうしてだかわからないがとても感動して しまった。おそらく25年ほども前に最後にゴリラを見たときには、特別な感情はわかなかったと思う。 しかし、この歳になってみるゴリラは、なんとも堂々としていてかつ、こういう動物が世に存在している事 になにやら特別な感情がわきあがったのである。 あと、インコやオウムのショー、ヤギの子供が一杯いて自由に触れる子供動物園など、ひさびさに訪ねた 動物園はかなり面白かった。「暇だから」のお付き合いで、彼女とはまさに午後の良い散歩を楽しませて もらい、それぞれの予定をもって動物園を後にしたのである。 この時のゴリラ体験が、ロンドンでの次の行動を生んだ。 つまり世界最古とも言われる「ロンドン動物園」へと出かける事にしたのだ。 パディントンの駅近くにあるホテルから、ロンドンの町を歩いて出かけることにする。 ロンドンも駅からちょっと離れると、このような水路があったりしてなかなか味わいがある。残念な事に このすぐ近くにビートルズのレコードジャケットでお馴染みのアビイロードの横断歩道があったのだが、 ホテルに帰ってきてから気がつくという体たらくだった。 ロンドン動物園は、入場料が一般13ポンド!である。 学生料金でも11ポンドであるから、かなりの内容が無ければ満足はできないだろう。 しかし、閉鎖も検討されている動物園はあまり面白くなく、多くのおりに「今動物はいません」という表示 がなされている。大きな鳥が乱れ飛ぶ網の中に入ったとたんに、おでこに冷たいものを感じたので拭って みると、案の上、爆撃を受けていた。ペイントンのあの多くのカモメとはお友達で、多くの友達が被害に あっているという爆撃体験が一度も無かったわたしに、ロンドンの鳥はいきなりやってくれたのである。 ちょうどトイレから遠いところだったので、それからしばらくの鳥の展示は早足で立ち去ることになった。 なかには私が長年小物収集の対象にしているふくろうが何羽かいたので、そのときばかりは立ち止まって 少しだけ眺めたりしたのであるが。 でもさすがに伝統ある動物園ということで、左の爆撃とは別の場所にあった鳥舎は1928年という年号が 表示されているし、右の動物には係員と一緒に子供が餌をやることができるような展示があったりする。 ペイントン動物園にあったような子供動物園や、鳥のショーなんかもあったが、それらはペイントンの方が 空いていてもいるし芸そのものも面白かった。ロンドンでは他に猿のショーもあった。 そしてヘビ舎では、「ここでハリーポッターの撮影をしました」なんて表示も見かける。 ヘビほど見ていてゾッとする生き物が他にあるだろうか?? 小動物の展示では、食べ物がたくさんある家の台所を思わせるセットにネズミが飼われている。 おそらく世界で一番幸せなネズミだろうが、きっと一定量に保たれているのだろう。それはそれで不幸か? 悲しい事に、象舎とおもわれるオリにはらくだが飼われていた。 勝手に「悲しい事に」という言葉を使った。動物園の象には悲しい逸話が多いから、ここで見ることができ ないのも、なにかそういった逸話があるのかもしれないと思ったからである。 英国ではビリヤードのタマを作るなどのために多くの象を狩猟してきた。 今でも象牙は密猟者の大きな収入源らしい。 西洋人はその文明開化によって、多くの動物を絶滅間近に追い込んできた。この動物園では、虎がそういう 目にあっていると、漢方薬の箱と共に展示してあるがそれはまったく責任逃れだろう。 もちろん、バイアグラの時代に精力剤として虎を捕るのが良いとは絶対言わないが、絶滅した、あるいは 絶滅に瀕する動物の多くは西洋人がまず原因を作ったのである。鯨保護をヒステリックに騒ぎ立てる権利そ のものが彼らには無いとわたしは思う。もちろん、「ヒステリック」ではない保護を必要としているものに ついて、それを馬鹿にしようなどとは断じて思わないが。 先日も授業で、「もし美しい蝶の羽をむしりとったら3ヶ月の世界旅行に行けるといったらどうしますか?」 という変わった設問がプリントにあり、わたしと数人の生徒は即座に「むしる」と答えたが、数人は「でき ない」と答えた。わたしは「標本にするのに蝶を殺すのと同じじゃない?」と聞いてみたが、先生が「人そ れぞれ考え方がある」といってそれ以上の議論をとめたので答えが聞けなかった。 わたしは残酷な人間なのだろうか?もっと他の動物なら答えが変わったのだろうか?あるいは、さらさなく ても良いところで、本音を必要以上にさらしているだけなのだろうか? もちろん、いままで蝶の羽をむしったことなど無いし、ゴキブリと蚊以外の虫については、たとえばハエでも できるだけ外に追い出すようにしているくらいだ。殺生はできるだけしたくない。 ネズミの展示をみて可愛いと思う人も多いと思う。実生活では敵以外のなにものでもない。 そしておそらく、あの展示のなかで生れた子供の多くは間引かれていくのだろう。実生活ではわざわざ業者 をやとってまで行うだろうその行為が、動物園でおこなわれたらおそらく多くの人が反対するのではないか? 動物をめぐる本音と建前の議論は、ベジタリアンという生き様にまで発展するほど難しい。 私の意見としては、当たり前の話だが、保護も狩猟もやりすぎがいけないのだと思う。 だから蝶をめぐる意見などは、人の欲望から考えて「やりすぎ」だとおもうのである。 もちろん「むしらない」と答えた彼らの世界旅行に対する欲望が、あまり強くなかったのかもしれないが。 英国では実験用動物の扱いをめぐって昨年から反対運動が強まり、ケンブリッジではついに実験ができなく なってしまった。おそらくそうすることで、人間の多くの疾病についての解決が遅れていくことになるだろ うに。否、人間がそんなにしてまで生きながらえる必要があるかどうかという問いは、たしかに存在するし 私自身よくわからない。 さて、難しいことはこれくらいにして、お目当てのゴリラである。 このゴリラたちは、ペイントンで見たときと同じような驚きを与えてくれた。なんという動物が世の中には いるものだろうか?また、この隣にはチンパンジーのオリがあって、そこの最古参はなんと1966年生れ。 わたしと1つしか違わない。かれと思われるチンパンジーは、木の上で悠然とオレンジを食べていた。 動物園というのは子供のためにあるとおもっていたが、わたしのような状態にあるものにとっては、なにか 人生そのものを考えさせられる場所であるということを再認識する。 入場料が高いので、これから何度も行こうというような場所ではないが、次にこのゴリラやチンパンジーを 見るときに、わたしはどんな感情をもって見ているのだろう。 機会があったらどこの動物園かわからないが、また訪ねるとしよう! ロンドンに何日も滞在していて、ひとつ心残りがあった。 ロンドンといえば、バッキンガム宮殿の衛兵交代こそ一番有名なのではないか?? いつでも良いと思っていて見損ねたら後悔するので、でかけてみることにした。 夏場には1日おきに11時ごろから行われていると、日本から持ち帰ったガイドブックに出ていたので、ハイ ドパークを縦断して出かけてみる。 ケンジントン庭園に隣接するハイドパークは、ここもまたとても美しく広大な公園である。 上の右にみえるモニュメント風のものは、ダイアナプリンセスメモリアルなる噴水であるが、この噴水で遊ん だ人がころんで怪我をする事故が相次いだため、訪ねたこの日はまだ閉鎖中だった。20日に一般公開が再開 されている。 下に見える「Rotten Row」というのは、ハイドパークにある乗馬用のダートを指す。「R」の発音 を練習しているとき、この言葉が登場し苦労した。昔王様が使った道らしい。 さて、右の真ん中に写っている人は何をしているのでしょう?というのが問題である。 答えは、馬糞を拾って集めているのであった。 自分の庭の肥料にでもするのであろうか。自転車でやってきて、素手で拾っているのには驚いた。 バッキンガム宮にやってくると、「今日は交代式典はありません」という看板が見えて、衛兵さんは通常勤務 にいそしんでおられる。 しかたがないので、ビッグベンの方に向かって歩いていると、しょうもない「ビッグBIN(ゴミ箱)」を 見つけた。しょうもないしゃれである。 学校の宿題で「あなたの国で聞けばとんでもない言葉になる英語の言葉はありますか?」というのがあった。 なんでもこれのことを「Faise friends」というらしい。 わたしは、「ビッグベンは大便である」というのを考えていったが、この宿題は翌日の授業がほかのことで 盛り上がったので「答えあわせ」がなかった。幸いしたかどうかは定かではない。 翌日は8月15日の日曜日。日本では終戦記念日である日に、わたしはバッキンガム宮で衛兵交代見物である。 察しの良い方はもう私の今日のオチを悟られたかもしれない。 まったく失礼な話なのだが、この衛兵交代について思ったこと、それは、「オリのなかの猿みたいだ」という ことなのである。 この式典は1時間ほども続く。夏は1日おき、冬場は毎日らしい。これを文化としてとらえれば、英国の懐の 深さをまたしても感じるといえば感じる。この式典を行う事で、観光客は間違いなくバッキンガム宮殿そして ロンドンを訪れるだろう。しかしいまやタダの観光儀式であり、実質的な意味をおそらくもたないこの式典を、 はからずも鉄格子のこちらから眺めれば、この前に感激したゴリラがうろうろしているのとなんら変わらない 印象を持ってしまうのだ。 鉄格子の向こう、いや、こちら側は、日曜という事もあって信じられないほどの大観衆である。 自分も含めて人間というものはさてもおかしな生き物である事よ。 やがて式典は終盤を迎えて、交代した衛兵はバッキンガム宮殿を去ってゆく。 このとき目の前にやってきた隊列が奏でていた音楽は、なぜか「リパブリック賛歌」つまり、「ゴンベサンの 赤ちゃんが風邪ひいた」である。「グローリグローリハレル〜ヤ!」と歌うが、これはアメリカ人が大事にし ている曲で、レーガン元大統領の葬儀でも延々と演奏されていた。 英国の式典においてこの曲が演奏されるのが普通なのかどうか私は寡聞にして知らない。 しかし、このアメリカを象徴する曲をここバッキンガム宮殿の前で聴きたくはないなと、なぜか思った。 行列はさり、衛兵は持ち場を離れ詰め所?へと戻っていく。 おそらく先に失礼ながら「猿」と描写した彼らは、英国ではかなりのエリートなのではないだろうか? 彼らはどういう気持ちで、この式典を毎日のようにこなしているのだろう? 伝統をまもるということはとても大事だと思うし、今後もこの優雅な式典が続いて欲しいと思う。 ただ、しつこい事を承知で書くが、人間というのはつくづく面白いもんだと苦笑しながらバッキンガム宮を あとにした。 人ごみの中、ロイヤルアルバートホールに向けて急ぎ足の私の目に、面白いものが目にとまった。 濃いグレーのバーバリーのコートを着て高めの帽子を被り、きつく巻いた傘をもった紳士である。 顔がシャーロックホームズのようだったら写真でも撮ろうかと思ったが、ワトソン博士のようだったので やめた。あの人は衛兵交代の人ごみにわざわざやってきて、典型的な英国紳士を演じていたのであろうか? ロンドン。まだまだ面白い事がありそうな町である。 (今週から学校を一月休みます。いろいろなことが待っているかと、とても楽しみです。) 後記:ページが大きすぎるので分割しました。続きは英国滞在記(その4: Paignton 編3)でお楽しみください。

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