Last update on Aug.31th,1998



ビクトリア滞在’98



7月15日
7月19日
7月23日
7月27日
8月12日
8月31日

 

7月15日(水)

 違和感が無い...  ビクトリアに帰ってきた。  先週にひいた風邪が絶好調?で、ほとんどフラフラの体を、ごまかしごまかし引っ張って、 時差8時間のこの地までやってきたのだ。 JAL18便の45Kという席は、スチュワーデスさんの席の前である。スチュワーデスと いえば、世の男どもあこがれの人種。そういう意味で、なかなか良い席といえるだろう。 しかし、先日も友達と話したのであるが、「嗚呼、このスチュワーデスさんは魅力的である なぁ。」と感嘆するような人は極めて少なく、日頃の幻影というものにとらわれてる事を 痛感させられるのが普通だとおもう。 変な事を書いたから、言い訳をするわけではないが、このスチュワーデスという商売に、 世の女性達が憧れる理由がわからん。多分、あらゆる接待業のなかで、もっとも激務だと 言えるのではないか。今日も、気流が悪かった時期がしばらくあったのだが、顔に笑顔を つくりながらいろいろなサービスをしている姿には、感動すら覚えるというものである。 今日、私の列を担当していたのは、多分中国人の方で、あまりうまくない日本語をながら 誠意の伝わるサービスをしていただいた。え、その人が美人やったから、この話しを書いて おるのやろって??残念ながら答えはノーである。しかし、当たるとも遠からず。その、 同僚が美人であった... 私のシートの対面にいたスチュワーデスさんは、賢い事で有名な女優の原日出子にそっくりで とても美人であった。しかも席の利で、仕事の事などをわりかし長く喋ってしまった。 「大変な仕事ですね。」なんて言っていたら、突然堰を切ったように「実は、この後メキシ コに行って、1泊だけしてまたこっちに帰ってきて、また一泊して東京なんです」なんて 話しはじめた。そうとう鬱憤がたまっていたのか、めずらしいスチュワーデスさんの語り を聞いてしまった。 名刺でもわたしておこうかと思ったけれど、いつものように準備が悪くて手元に無い。 折角写真付き住所電話番号付きの名刺を10枚ばかり刷ってきて、ここぞと言うときなのに。 つくづく、自分にあきれてしまう。まぁ、わたしたとて、そこらのドブに直行だろうから、 もっと実のありそうな人に渡せばと思えば、気も休まるというものだが。 さて、バンクーバーで乗り換えて、わずか15分の飛行機の旅の予定だったが、今日は とても空港が込んでいるという事で、なんと2時間も遅れて飛び立った。飛び立てばすぐ の15分で、ビクトリア国際空港(実に小さい空港でも一応シアトル行きがあるので)に到着 する。バンクーバーで入国検査は済ませているので、ここは一般のカナダ人と一緒に降り、 早速2時間も待たせた旧友と再会を果たした。下に彼とその部屋の様子を載せる。紹介文は 彼らがめいめいを書いたものである。ここで、関係者の方々に誤解があってはならないので 記しておくが、下の写真の彼らはただの同居人である。ついでに書けば、紹介文も一部を 除いて?デタラメである。 このお二人は、現在居候させてもらってる家の 方々で、左が前の滞在時に学校やバンドで活動 を共にしていた賛美君。バンドではベース ギターを弾いていて、コンサートには賛美君 見たさにたくさんのギャルが集まる。 今はその中のどの子にしようかと思案中。 スポーツはなんでも得意。身長は190cm、 東大卒、お父様はとある大企業の社長。 もう文句のつけどころのない、3高青年。 右はなんちゃって富田靖子さん。現在二十歳で、 もちろん独身。 いろんな男に声をかけられるけど、理想が高い ので今は彼氏募集中。趣味はテニスと水泳。特 技はパチンコと競馬。賭事はなんでもこなすの で、金には困らない生活を送っている。  さて、16日にあった事も書いておこう。 今日は、日本からの美女4人と落ち合ってビクトリアを案内した。彼女等の映像が無いのが とても残念である。ちょうど、カナダを横断してきて最後の仕上げにビクトリアだそうで、 どこにご案内しようかとかなり悩んだ。 彼女達はラッキーなことに、大快晴にめぐり合えたので、美しいオリンピック山地をきれい に望む事ができる。その辺を軸とする事にしよう。
エンプレスホテルの前で待ち合わせし、行動できる時間を聞けば、わずか2時間。これでは どこにもいけないので、地元の人が行く店や公園を案内したり、バスにのってもらったりし た。しかし、2時間はさすがにハードスケジュールで、かなり早足の強行軍になってしまっ た。この場を借りておわびしたく思う。 みなさんごめんなさい!!

7月19日(日)

 人は温かいものである。  前の報告の頭で、「違和感が無い」と書いて、内容に書かなかったというか書き忘れた。 違和感が無かったのは街の印象の事で、変な言い方ではあるが、今まで感じた事もないくら い「久しぶりに来た街」という感じがなかったのだ。バスに乗って街並みを見ても、さして 感動が無い。エンプレスホテルの優雅なたたずまいも、あたりまえの風景のひとつなのだ。 ただ、日差しのやわらかさとさわやかな風、緑、フラワーバスケットなどには、もう感動を 越えて、「あぁ、ここに住んでいたい!!」という思いを新たにしてしまう。  この数日間、毎日のように旧知の人を訪ねている。ここ数日は特にキリスト教会の関係者 の方々が多い。もちろん、そういった方々だからでもあるけれど、異国の人々が名前を覚え ていてくれて、かつ、歓迎の意をあらわしてくださるのがなんともうれしい。以前奏楽を していた教会に行けば、いつのまにか近々またピアノを弾く事になっている。その件など、 私の目の前で牧師に「こいつが弾いても良いか?」なんてリーダーのラルフが聞いていた けれど、私自身、そんな話しは聞いてなかったので、おもわず耳が遠いフリをしたが、牧師 が「いいよ」と言っているのに、断るわけにもいかずOKしてしまった。テクはなくても、 ラルフとは気が合うので、彼の方がやりやすいらしい。  と、突然むこうから教会の音響も担当しているピアノの達人(この教会には何人も達人が いるのに、超下手の私が奏楽をやるのもラルフが薦めてくれるからである)モーさんが近づ いてきた。彼は仕事に厳しく、恐い印象がある人だ。何やら満面に笑みで私に話し掛ける。 「水曜日にエンプレスの下で、座ってただろ!ダイスケは日本にいるはずなんで、良くにた 奴がいるもんだと思ってたんだよ!」なんてまくしたてる。前回に書いた美女4人ご招待の 時、40分近くエンプレスホテルの下のベンチで偉そうに座っていたら、やっぱりこの小さ な村では目撃されてしまう。それも、モーさんだったとは...彼の事は、前から尊敬して いたので、覚えていてくれただけでもうれしい。 あと、歌のうまいランディーさん夫妻、バンド仲間のメリーエレンさん一家、若いのに結婚 して落ち着いたミーガンちゃん、そしてもちろんジム牧師ほか何人かと再会を喜びあった。  そのあと立ち寄った、あまり前回縁の無かった日本人教会でも、パトソン牧師夫妻をはじ め、みなさん覚えていてくださり、礼拝後の交換会で所望されて、賛美歌を一曲弾き語りし てしまった。その大多数の人々は、私がクリスチャンで無い事を知っている。しかし、別に それを変な事であるともせず、普通に仲間に加えてくださっている。もちろんわたしも、 ミッションスクール出身者として、教会にいるときは真面目に取り組んでいるからでもある とおもうけれど、それにしても、良い再会であった。 人は、本当に温かいものだと思う。  さて、今回はビクトリアから20kmちょっと離れたところにあるスークという村で、 水浴びをしている風景を紹介する。場所は「ポット・フォール」つまり「水差し滝」とでも 訳せようか。車を止めしばらく歩き、ちょっとした岩肌をくだれば、川の深いなべと滝が 現れる。そこがポット・フォールである。絵にある鐘楼の様なものは、かつてホテルがあっ たらしく、木造の残骸が夢の跡を残している。飛び込んでいるのは、前回ご紹介した賛美君 である。

7月23日(木)

ビクトリアの海が好きだ。 今日は、いつものような駄文は抜きにして、たくさんビクトリアの美しい海岸線をお見せし ようと思う。簡単に説明をしておくと、雄大な山はアメリカはワシントン州のオリンピック 山地である。ビクトリアは、バンクーバー島という島にあり、海に出て東に進路をとれば、 バンクーバー、南に行けばアメリカといった按配だ。ちなみに夜にはアメリカ側の小さな港、 ポート・エンジェルスの明かりを見る事ができる。 では、ちょっと散策してみよう。
海岸線は、ちょっと移動するだけで、いろいろな表情を見せる。 夏のまっさかりに、日本の秋の野原のような小道を抜けて行くと、老夫婦が手を繋いで 歩いていた。
この海岸線まで、ダウンタウンからバスでほんの10分ほど。ゆっくり歩いても30分くら いで着く。街灯に釣り下がるフラワーバスケットからこぼれ、家々の庭にも咲き乱れる花を みながら歩いて行けば、そこには美しい海と雄大な山。 ビクトリアは、生きているという事の素晴らしさを、改めて感じさせてくれる街である。

7月27日(月)

 今日はちょっと硬い事をかいてみよう。 日本に住む事と、この地に住む事の大きな違い。それは、「ゆとり」であると思う。 たとえば、ここで普通に働いている人々が、9時から5時まで仕事をしたとしよう。 そのあとで、ゴルフに行って余裕でプレーが出来ると言ったら、「ナイターかいな」と思わ れるだろうがそうではない。日が10時まであるから、仕事の後に5時間も休みがあるのだ。 良く言われる議論に、「日本は国民の休日が多い」というのがある。それなどは、木を見て 森を見ずといった典型的な話しで、データしか見れないくせに本当はその使い方を知らない、 一部の識者といった人々が信じる戯言にすぎない。確かに、こちらのほうが休日は少ない。 しかし、毎日ゆとりをもって暮らしている人々に、そういったものが多く必要とも思えない。 そして、その上に「ホリデー」という概念があるのだから、かなり「余裕」なのである。
平均収入はかなり少ないと思うし、税金も高い。消費税なんぞは14%である。失業率は 7%を越えている。でも、次の話しをどう思われるか? たとえば、ここブリテッィシュ・コロンビアでは、子供を一人養育する(ステップ・サン、 ドーターつまり養子も可)度に月々の補助金が支払われる。これがかなりの額になるので、 子供を産まないや育てないといった理由が、養育費であるということは有り得ず、むしろ、 生活のために子供を持っている人も多いという。子供は、高校まで義務教育。そして、 大学に行きたい人は、普通に勉強さえしていれば簡単に入れるが、卒業できる人は本当に 勉強をした人だけである。聞いた話しでは、入学生の4分の1程度までになることもある らしいし、また、これは他の項目でも書いたが、この田舎の短大であるカモソン・カレッジ ですら、正規の学生は本当に良く勉強をし、かつ、させられている。 大学に入る為に勉強をするのでは無いのだ。そして、大学は、本当に勉強をするところ なのである。 話しを医療に移せば、こちらの保険にはいっていれば、有名な歯医者の問題などはあるが (歯医者は保険が効かないことがある)、基本的に無料である。 お年寄り、子供、そういった社会の基本問題についてきちっとした対策を持っているので、 生活に不安感が少ない。お金が少々無くたって大丈夫。人の目を気にするでもないから、 余計な気を使わなくてもいいし、見栄っ張り合戦になることも無い。 こちらに来て空手を教えている日本人の知り合いと良く議論する。この人は塩崎さんと いって全日本のタイトルを何度も取った人である。塩崎さんはいつもこう嘆く。 「こっちのやつらはなってない。根性が足らん。我慢できない。すぐ逃げる。」 わたしのような今の若い世代は妙な形で輸入された西洋風教育で育ってきているから かもしれないが、自分を振り返ってみると残念ながら「なってない奴」のほうにあては まる。ただ、空手の稽古は辛いだろうという前提知識があるから、入門すらしようとしな いだけである。 それでも、まだ一般的に日本人の方が芯があると塩崎さんは言っているが。 ただ、確実に言える事は、日本人も西洋風「軟弱」体質に確実に侵されていることは 間違いないだろう。それを西洋では「社会制度」というもので、サポートし成長してきた。 日本はきっと、家族制度のよさと個々人の精神の強さ、それにもかかわらず集団的行動 にも強さを発揮するといった「優秀さ」によって社会を支えてきた。だから、福祉制度や 子供の育成といった基本問題でシステム的に西洋に大きな遅れを持っていても、やって これたのだ。しかし、今からの時代、「西洋化」した我々には社会制度が必要なのである。 日本で私の周りにいる人々は、まだまだ日本も大丈夫と思わせてくれる人々である。 だから、今はまだ「整備」をする事ができる。壊れてしまったエンジンは、修理に大きな 手間がいるか、または、廃棄処分が道筋だ。壊れる前なら、可能性がある。

8月12日(水)

 ここまで、遊んでいたわけではない。 実際、今度の滞在は忙しいものとなっている。 現地の日本人の間で、PCを持つ人が増えているので、それらの相談にのっているうち、 あとわずか4日の滞在を残すのみとなってしまった。まったく、毎日充実している。 以下は、8月4日付けで書いていた紀行文である。  今日はいろんな風景を交えつつ、いろいろ書いてみるとする。  前回ここに住んでいた時からのひとつの目標であった、この島の北端に行ってきた。 レンタカーを1週間借りての旅である。いつも借りるバジェットレンタカーに行って、 コンパクトより一つ上のクラスの車を借りた。1週間で保険込み約500ドル。一寸高い が、遊びとはこんなもんだとばかりに、奮発する。(その直後に、帰りの飛行機の予約に いった旅行会社で、「ロンドン往復479ドル!」というのを見掛け、しまったと思った ことも間違いない)
朝の4時30分にビクトリアを出発し、上の様な美しい朝日を拝みつつ走った。北の果て まで600kmの道のり。つまり、東京ー大阪間よりちょっと長いくらいである。平均 時速80kmとすれば、6時間30分でつく按配であるとおり、途中しばらくの休憩を 入れて13時ごろに最果ての街ポート・ハーディーに到着した。
 早朝からの運転で疲れていた事もあって、早めにどこかのモーテルで休もうと、小奇麗 なモーテルのフロントで、いつものやつをやってみる。 「キョウ、ヘヤアルアルカ??」「申し訳ありませんが、空いていません」 「アリガト。ジャーネ!」「Good luck!」 なんやて?Good Luckというのは、変やな。と思いつつ、次のモーテルへ。 結果は、4軒ほど回ってみな同じ。今はバケーションのシーズンであり、部屋は無いので ある。まさに「幸運」でもない限り泊まる事はできない。 こういう時は、速攻の行動に出るに限る。つまり、早々に写真を撮り、土産を買って戦線 を離脱し、別の街を探すのだ。とはいっても、この街、北の果てときている。ちゃんとした 街であるキャンベルリバーまで200km!しかたが無い。まるで、北米一周旅行の最後の 方みたいな気分になりつつ、最果ての地をあとにする。
 アラスカ・ハイウエーの時とは違って、野生動物に出会う訳でもなく、森林の中の道を 走り続ける。たまには、上のような幻想的な光景もあって楽しませてくれるが、気は重い。 キャンベル・リバーにたどり着いたのは8時過ぎ。ここも観光地なので、税込み70ドル という高いモーテルにチェックインして、やっと一休みすることができた。 明日は、ポート・アルバーニという所に泊まる事にして、ゆっくり休む。
モーテルを後にして、しばらく行けば「34ドル」なんて値段を出しているモーテルに 出会う。まったく、もう少し昨日走っていれば、泊まれたものをとちょっと悔しい思いを する。ま、昨日は疲れていたからしょうがあるまい。 ところで、上の森林は「キャシードラル・グレーブ」という巨木の森林である。倒れて いる木々は、私が前回滞在中の97年1月の大風で倒れたものだそうだ。96年の年末、 ビクトリアは記録的な雪に襲われ、数日の間交通が麻痺し、わたしも雪かきにいそしんだ ものである。もともと、雪の降らないところだけに、降ると大変だ。そしてその直後、 この老巨木達は倒れていったらしい。この森については、ビクトリアに来て、一番初めに お世話になったメリールース先生が、授業の中で教えてくれた。その時直に来ていれば、 これらの木が生きている様を見る事ができたのにと思うと、少しばかり残念でもある。  ポート・アルバーニでも、やはり季節料金で税込み69ドルをとられた。ここで、洗濯 をしたり、暑中見舞いを書いたりして、本来のペースにもどして、翌日はビクトリアへと 帰ることにする。途中、クームという村によってブルーベリーを一杯買う。この日記の 初めに登場した同居人だった女の子が、以前から悪かった処をなおす手術を受けたので、 そのお見舞いでもある。一杯あるから、配ってまわろう。 ビクトリアに着いたら、とんでもない事に気が付いた。モーテルの部屋のTVのリモコン を持ってきてしまった。TVなんぞ一度も見なかったので、フロントで受け取ったまま にしてしまったのだ。早速電話して、「ゴメンナチャイ!」とあやまってから、直に 速達で送ることにする。その郵便局のおばさんは、とても親切だった。感謝!!
 ここからは、8月3日の夜に行われた、BCデー記念コンサートとの模様である。 ビクトリアの小さな港に、オーケストラを乗せた船が現れて、野外コンサートを行う恒例 行事だ。花火もあがるので、観光客も市民も、楽しみにしている行事のひとつである。
 いつもと反対側からインナーハーバー(港)に向かうと、水上飛行機が着水していたり ビクトリアの違った一面が見られる。遠くに見えるエンプレスやパラメントビルディング の周りには、人が一杯のようだ。実際、近づいてみると、大変な騒ぎである。 ヘリコプターがやってきて報道している。このヘリもお茶目な動きをして、群集が皆手を 振り、声を張り上げる。とても楽しくなる瞬間だ。
 水上のオーケストラ・ピットでは、ビクトリア響が、有名なクラシックを演奏している。 そしてメーンは、チャイコフスキーの序曲「1812年」である。この曲は大砲が演奏に 使用される事で有名であるが、この野外コンサートでは、大砲の代わりに花火が打ち上げ られる。ジャンのかわりに、BC博物館の時計台の鐘がなる。盛り上がる一瞬だ。
 アンコールの最後は、J・シュトラウス父の「ラデッキー行進曲」である。西洋人は、 このメロディーが好きらしい。元はといえば、ウィーン・ムジークフラインザールでの、 ニューイヤーコンサートからだと思うけれど、同じ様に皆手拍子をしてフィナーレを 迎える。オオトリは、大勢のバグパイプによる「アメージング・グレース」で終わる。 ちょっと苦言を言えば、2年前と殆ど同じ内容で、花火は少なくなっていた。BC州の 財政難が影響しているのではと人は言っている。それから、曲目に「希望と栄光の国」 を加えて欲しくも思う。これは、日本では「威風堂々第一番」のサビの部分として、 知られている曲に歌詞をつけたもので、実に盛り上がる音楽なので、是非ここで聞きた いものである。 とはいっても、あと何度来る事ができるものやら。考えると悲しくなる。 最後に、その翌日に行った、ビクトリアでは初めてみる「バッティング・センター」と その施設内にある「ウオータースライダー」の絵を載せて終わる。 この「バッティング・センター」、ボールは日本で言うところのトップボールで固く、 また、ボールの出所が見えにくいので、とても打ちにくい。20球で2ドルというから、 値段も日本とトントンと言ったところであろうか。
と、いうわけで、ざっと残っていたネタをかき出してみた。この水泳以降、なにかと 忙しく、映像も殆ど撮っていない。次回は、その少ない映像からピックアップして なにか書いてみようと思う。もしかしたら、もう日本からになるかもしれない。

8月31日(月)

 日本に帰ってきた時、ちょっと涙がにじんだような気がする。  今、日本で働いている。こんな奴にもかかわらず、いろいろな人にお世話になって、 またこの国で働く事が出来るという事には、本当に感謝している。 ただ、成田空港でにじんだ涙は、決してうれしいものではなかった。日本で暮らすと 言う事に、楽しさを見出す事ができるのだろうか。そこに自信がもてないのである。  もちろん、楽しさが見出せない事を、環境のせいにしてはいけない。自分自身が、 それらを引き込まなければならないのだ。だから、今、いろいろと試している。 自分の生活については、日本にだっていろんな楽しみ方があるだろう。温泉という 名の、すばらしい道楽だってある。日本でも、バンドを結成して楽しむことだって できる。今、仲間を集めているところだ。  でも、ここは東京砂漠である。 街並みは喧騒に満ち、何を急いでいるのかと言いたくなるようなこの空間。いつも 追い立てられて生きる人々。汚れた海、川、空。本当に、この国で生きていく事は 幸せなのだろうか?この質問への答えは、現在の所、NOである。  返ってきて以降、言葉は悪いが馬鹿みたいな話ばかり。毒物事件で和歌山県は、 「こんどから、食中毒の診察の時は青酸、砒素の診察も加える事を議決」だって。 人気取りのつもりだろうが、こんな事にどれほどの税金を使うというのだ。 医者の尊厳も何も皆無視である。 こんな国をどうすればよくする事が出来るのだろう? 今回は、映像なしである。次回をこの項の最後にしたい。 (ごめんなさい!1999年になってもまだ書いてません...) 
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