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黒澤明監督追悼





 私は特に映画ファンというわけでもない。それどころか、1年に1回みに行けば良いほう
というほど、映画館というものには疎遠である。

 しかしながら、黒澤明監督逝去のニュースには、身が震えるほどのショックを受けた。

それは、黒澤監督に描いてもらったいろいろな世界が、自分の人生訓、考え方に、大きな
影響を及ぼしているから、と、いうよりは、そのものに近い存在だったからである。

 黒澤監督を初めて知ったのは、ハイドンの「驚愕」をバックにした、ウイスキーのコマー
シャルにでてくるおっさんとしてであった。渋い人だと子供心に思ってはいたが、映画に
触れるまで成長していなかった。
次に出会ったのは、NHKの映画音楽3万人リクエストという特番のなかで、日本映画の
音楽を集めたコーナーがあり、そこで志村喬や司会の高島忠夫が語ってみせた「生きる」
「七人の侍」のエピソードであった。高島忠夫は、舞台の上でブランコにのった志村喬の
後ろの声で、「われわれはこの映画の中で、生きるということはどういうことかを教えて
もらいました。その映画のタイトルは「生きる」です」と言った。
そのコーナーは音楽とともに、とても印象に残ったが、やはり映画を見るまでには至らな
かった。もちろん、見る機会そのものにも恵まれなかったのである。

そして、ついにその日がやってきた。
大学3年の冬、ゼミのレポートの締め切りが明日という日の晩。新聞のテレビ欄を見た時、
長年気になっていた映画のタイトルがそこにあった。「生きる」である。レポートをとるか、
映画をとるか、しばらく悩んだが、まずはちょっと見てみるかという気持ちで、しばらくの
間だけ見ることにした。

その日の晩の日記には、感激のあまり、「レポートとこの映画とどちらが大事だったか?」
とか「コマーシャルというものは、たまには商品の評判を悪くすることもあることを、
広告業界やTV関係者は知るべきだ(コマーシャルの度に、気をはぐらかされて怒っている)」
等と書いた覚えがある。ともかく、強烈な印象と、感動を受けたのである。

「生きる」は、高島忠夫もいったとおり、本当に私自身にも「生きるということ」を教えて
くれたように思う。その後、ビデオを手に入れてから、なんども何度も見た。友達にも見せた。
見れば見るほど、いろいろな発見があった。

	「僕だって、死ぬと分かっていたら、渡辺さんのようにやるよ!」
	「でも、我々だって、いつ死ぬか...」

 それから、堰を切ったように黒澤映画を見始めた。当時黒澤映画のビデオはレンタルショッ
プに少なく、「用心棒」「椿三十郎」「悪い奴ほど良く眠る」などを見ていたように思う。
(「羅生門」も大映だったからか、ビデオ化されていたが、なぜかかなり後まで見なかった)
そうするうちに、東宝より黒澤明のビデオ全集のようなものが発売された。今まで見たかった
作品群が続々とビデオ化される。「隠し砦の三悪人」「酔いどれ天使」「赤ひげ」といった
素晴らしい作品が続々と目の前に現れてゆく。「姿三四郎」「虎の尾を踏む男たち」「どん底」
そして「天国と地獄」。まったく、この全集化はありがたかった。
そして、その全集の最後に「七人の侍」がリリースされた。この映画も、見たことはあった
けれど、詳細に見てはいなかったので、一番楽しみなビデオ化だったのである。

 期待した通り、じっくり見た「七人の侍」からも、「生きる」に匹敵するほど人生の勉強を
させてもらうことになった。見れば見るほど発見がある。それも、映画を見るということの
楽しみの一つだと思うが、この時期の黒沢映画にはその楽しみが詰まっている。

なんといっても一番影響を受けたシーンは、月並みではあるかもしれないが、休憩にはいる
直前、村外れの三軒の家が防衛の対象からはずれているということを知った住人が、独自に
自分たちの家を守ろうとするところである。七人の侍のリーダーである勘兵衛は、その住人
たちに対し、刀を抜いて追い回し、原隊(村が組織した防衛隊)に戻したあとで、次のような
事を言う。
	「離れ屋は三つ。部落の家は二十だ。三軒のために二十軒を
	  危うくはできん。また、この部落を踏みにじられて離れ屋の
	  生きる路はない。よいか!戦とはそういうものだ。
	 人を守ってこそ、自分も守れる。己の事ばかり考える奴は、
	  自分をも滅ぼすやつだ!」
今の日本の政治や、朝日新聞など観念論を展開する論客が忘れていることを、黒澤監督は
昭和29年のこの映画で言い切っている。現在の日本の政治は、人気取りのためか、マスコミの
為にか、物事にプライオリティーをつけることが下手すぎる。少数意見を聞くなというのでは
無い。少数意見のために、大多数の人々が迷惑するようなやり方は、間違っているというのだ。
少数意見はお涙頂戴のためには好都合である。しかし、社会というものは、そんなものではない。
今の政治家やマスコミには、この勘兵衛のせりふをかみ締めてもらいたいのである。
 
 他にも影響を受けた黒澤作品、登場人物はいっぱいある。
「七人の侍」の剣術の達人「久蔵」は、映画が生んだもっともかっこいい人物のひとりだと
確信する。実を言えば、「七人の侍」より先に「荒野の七人」を見て、ジェームズ・コバーン
演ずるナイフの達人にしびれていたから、そのモデルならばかっこよく無いはずがない。
さらに「勘兵衛」にもしびれる。志村喬のどこからかっこよさがでるのかわからんけれど、
かっこよくなるというのは名優の証拠か、はたまた演出の妙か。

「椿三十郎」が、室戸との切り合いの末、若侍と別れ際に「あばよ」と
言い残して立ち去るシーン。私はこのシーンを見るたび涙がこぼれる。
かっこよさもそうだが、この一言で「三十郎」は永遠に我々の前から
姿を消してしまうのである。もっと活躍をみたかった!

「虎の尾を踏む男たち」の大河内伝次郎の弁慶。「野に伏し、山に伏し、
修行するのを山伏と申すなら、みごと我ら一同、まぎれのない山伏
じゃ...」この弁慶、大男のはずだが、残念なことに良く見ると小さい。
しかし、それに気がついたのも、なんども見直したあとの事。
小さい弁慶が、本当に大きく見える。
「赤ひげ」の狂女。先天的な色情狂であるという赤ひげの診察に対し、若い保本医師(加山雄三)
は、長崎で習いたての知識をたよりに、彼女の幼児体験が原因だと推察するが、彼女にひどい
目にあわされて、赤ひげに助けられる。知識と現実のギャップが大きいから、いまの日本も
うまくいっていない。経済学者が感じ取らねばならないシーンのひとつだろう。
「羅生門」女「真砂」に、女の怖さを教えられたから、いまだに独身なのだと書けば、これは
言い訳以外のなにものでもないが...他にも、いっぱい書きたいシーン、役はあるけれど、
ここではこのくらいにしておく。

 黒澤監督は、多くの財産を残して亡くなった。私自身にも大きなものを残してくれた。この
財産は永遠に残るだろう。そして、そのメッセージに共感を覚え、そして、社会に役立て
ていかねばならない。「生きる」は、昭和27年の映画である。しかし、いまだに、「生きる」
を見る人々は、その中で描かれている役所の仕事の様子が理解できる。もう、この素晴らしい
映画が、ある意味ではその現実を指摘して50年近くたとうとしているのにである。
役所の人々の中にも、この映画を見た人は多いだろうに、みな、やはり、「生きる」の中の
渡辺勘治氏のように、夢を持って入所してきつつ、玉砕してゆくのだろうか?人間とはなんと
寂しいものだろうか。

 黒澤明監督のご冥福を心からお祈りいたします。
								春名大介(Daimaoh)



後記:  いろいろなメディアが黒澤監督の追悼特集を組む中、気になることがある。とても、
	しょうもないことだけれど、次のような話しである。

	「「天国と地獄」の中で、新幹線の窓からかばんを投げ下ろすシーン...」

	当時新幹線など当然走っていないし(公開が昭和38年)、だいたい新幹線なら
	窓など無い。実際の犯人は「特急第二つばめ」か「第二こだま」といったように思う。
	(今、手元に資料が無いので、これも分かり次第ちゃんとします)
	一紙だけがこんな事を書いたのなら良いが、私が見た3紙のうち2紙までが、上の
	ように書いていた。
	まず、映画を見ていないのはよしとしよう。しかし、新聞記者ならば、時間と事実と
	いう概念は一番大切にしなければいけない事ではないか。また、少なくとも「古い」
	映画だと知っているなら、新幹線と聞いた時、「おかしいな」と、思わないものだ
	ろうか?

	日本の国は、マスコミによって左右されることが多い。古くはポーツマス条約の時の
	アメリカ大使館や教会を焼き討ちにした事件。新聞が、状況も知らずただ学者の暴言
	のみを受け入れて「戦勝賠償」のことを報道した為、起こった。

	新聞記者をはじめマスコミは、情報をそのまま伝えてはいけない。まず、自分で
	いったん吟味してから、世に伝えなければならない。そうすることで、はじめて文章
	に責任ができる。責任のある文章は、中傷にも強いだろうし、間違いだった場合も、
	すなおに認めることができるだろう。

	最近、週刊誌を含め、とんでもないウソを平然と書いている記事を多く見かける。
	これは、私の知識が多くなって、嘘を見抜けるようになったからか、それとも書く方
	のウソツキ化が進んでいるものかわからない。
	しょうも無い例で言えば、「ドライブしてみたい場所」特集で、アメリカのキーウエ
	ストにかかる長い橋をあげて「ポルシェ・ボクスターにのって、両方の海を楽しみ
	たい」なんて書いてある記事を見つけた。
	私の旅行記を見られた方は、それがまったく馬鹿馬鹿しい発言であることをご存知だと
	思う。あの長い橋は、高いコンクリートのカベでガードされているので、車高の高い
	車でないと楽しめないのだ。ポルシェなんて、論外なのである。
	知らない人が、嘘の記事を書く。他愛も無い記事だからとおっしゃる方もいらっしゃ
	るだろうが、それが各方面に蔓延しているように思うのだ。たとえば、経済予測の
	記事でも、私が今属しているコンピュータ業界の記事には、毎度笑わされる。まるで、
	ポイントがずれていたり、明らかにどこかの企業を応援していたりする。
	と、すれば、他の業界の記事も、やはり関係者がみたら、お笑いなのではなかろうか。

	記者諸氏にお願いしたい。もう少し、自分を持った記事を書いて欲しい。その為には、
	まず、自分が仕入れたニュースソースに疑問を持って欲しいと思うのである。

	黒澤監督とは関係なかったが、気になったことなのでここで書かせていただいた。

映像について:
 このページのバックの映像は、黒澤明監督「夢」の「きつねの嫁入り」より。
 他の画像もすべて黒澤監督作品よりキャプチャーしています。シーンを語る上での
 参考として、使わせていただきました。



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